第36話 学府暴走

「近くで見たかったな。アリアとアルムの名演技」

 アリアとアルムを乗せた馬車がイルミナの門内に走り込むのを見届け、メルは残念そうにエリスに言った。

 双眼鏡を通して見た二人の演技は、なかなか迫真のものだった。アリアの胸に矢が突き刺さった瞬間には、思わず息を呑んでしまったほどだ。 

「お芝居だと知っていても、アリアが倒れた時には、つい声が出そうになってしまいました」

 苦笑しながらエリスも頷く。

「さて、わたしたちも帰りましょうか」

 メルは、アメリアに進路変更を指示する。

 ゆっくり向きを変える操舵室の窓に、学府の塔が見えた。討伐軍が放ったバリスタの矢が10本以上、痛々しく塔に突き刺さっている。矢が削り取った幾筋もの外壁のキズも目立つ。

「あれ、直せるのかな・・・?」

 だんだん近づいてくる塔をぼんやり眺めていると、隣にいたエリスがわずかによろめいた。

「エリス・・・?」

「いえ、大丈夫です・・・何か、力が抜けたような気がして」

 しっかりと身体を立て直して微笑んだエリスだったが、少し戸惑いの表情を浮かべている。

「エリス、気になることがあるなら教えて」

 メルは、エリスの表情に不安を感じて、真剣に見つめた。

 エリスは、少し自信なさそうにしながらも正直に答えた。

「・・・気のせいかも知れませんが、魔力を吸い取られている気がするんです。少しづつですけど」

「魔力を?」

「はい。学府に近づくにつれて、強くなってるように感じます」

 討伐軍が何かしているとも思えないけど、早く戻ってクレスたちに話した方がいいかもしれない。メルは、焦る心を抑えつつ、近づいてくる学府の姿を見つめた。


 アルムたちの乗る馬車が魔女の館に着いた時、ちょうどルイーゼ号も着岸のため、船を寄せているところだった。

 馬車を帰し、アルムとアリアは、ゆっくりと岸壁に接近するルイーゼ号を眺める。

「あんな大きな船を、よく細かく操縦できるものだな」

 船に乗っているとあまり気にならないが、こうして岸壁から眺めると、いかに巧みな操船をしているかがわかる。

「アルム、・・・少しおかしな感覚はありませんか?」

 アリアが、遠慮がちに尋ねた。

「おかしい?」

「はい。ぞわぞわするというか、魔力が少しづつ漏れているというか・・・」

 アルムは、自分の感覚に意識を向けた。他人の魔力を吸い出す魔術は存在する。

 元々は魔術師同士が戦う際に、相手の魔術を封じる目的で使われていたと聞くが、現在は小規模な魔道具、例えば、元素を集めて明かりを灯す道具に組み込まれ、周囲の人間から少しづつ魔力を補って永続的に術式を作動させる機構に用いられている。

 アルムは魔女として、魔力の吸引に抵抗する技術も身につけているため、あまり違和感を感じていなかった。

 だが、意識してみると確かに外から魔力を吸い出そうとする力を感じる。今はまだ抵抗できているが、その吸引力は徐々に強くなってきている。

「確かに、妙な・・・」

 言おうとした瞬間、ぐらりと足下が傾いた。


「面舵、緊急回避!前後バラスト排出30!」

 すぐ近くに接近していたルイーゼ号のゴンドラで、メルが叫ぶのが聞こえた。係留作業に備えて、ゴンドラの開口部の扉は開かれている。

 とっさに、アルムはアリアを抱えて跳んだ。風の魔術を発動し、ゴンドラの開口部に飛び込む。

「アルム?!」

 どさりと転がり込んできたアルムとアリアに、メルは驚きながらも安心した表情を浮かべた。

「機関前進第1速へ。学府から安全な距離を取ります。方向舵そのまま、トリムは水平を維持」

 とりあえずの指示を出してから、メルは床に転がったままのアルムとアリアに手を差し出す。

「よかった。二人とも怪我はない?」

「あ、あぁ・・・足下が揺れたから、とっさに船に飛び移ったが、・・・何が起こった?」

 アルムは、メルの手を取って立ち上がりながら訊く。

「見た方が早いわ」

 メルは窓の外を指さした。


 学府のある浮島が、少し傾きながら上昇を始めていた。

 バリスタで傷ついた部分の塔の外壁が揺れのせいでボロボロと剥離し、市街地と学府を結んでいた吊り橋がピンと張り詰めたかと思うと、引きちぎられ、バラバラになって湖の上に落下する。

「これは・・・」

 アルムも絶句した。

 学府は、ゆっくりとだが確実に高度を上げている。すでに地上と学府を結ぶものは何もなく、学府の人々が脱出する手段は失われていた。

「学府の後を追います。上げ舵10、アップトリム5、機関前進第2速へ」

「了解、上げ舵10、アップトリム5で戻します」

「機関前進第2速」

 エンジンテレグラフのレバーが、ジャリンと音を立てて第2速の表示に合わせられる。少し高まったエンジン音に押されるように、ルイーゼ号は上昇を開始した。

「アルム、一体何が起こっているの?」

 メルはアルムに尋ねるが、アルム自身、何が起こっているのかさっぱりだ。

「とにかく、学府の様子を確認した方がいいか・・・」

 ルイーゼ号が学府の高度を追い越し、上の様子が見えてきた。

 建物などに大きな損壊はないようで、人々の姿も見える。しかし、何か苦しそうに蹲ったりしている者も見える。


「そういえば、エリスが何かに魔力を吸い取られてるらしいの。アルムたちもそう?」

「はい、わたくしも感じます」

 アリアが頷いた。

「私も感じる。私はこれくらいなら抵抗できるから大丈夫だが、本当に、何が起こっているんだ」

「学府が急に上昇を始めたのと関係あるのかな。これ、意図してやってる事じゃないよね?」

「たぶん、何かの事故だと思うが・・・」

 アルムの答えも歯切れが悪い。・・・こんなことは、過去の記録でも見たことがない。

「メル様、あそこにクレス様がいます!ヴァンデル様とミネア様もご一緒です」

「よかった、無事みたいね」

 魔女の館の近く、ルイーゼ号を係留する岸壁にクレスたちが出てきたのを双眼鏡で確認し、メルも安心して笑みを漏らした。


「アルム、聞こえますか?ルイーゼ号に乗っているのですか?」

 不意に、クレスの声が耳元で聞こえた。

「風の魔術で声を届けているんだ」

 アルムは顔の前に小さな術式を展開させ、話しかける。

「母様、聞こえています。こちらも全員無事です。アリアも一緒にルイーゼ号にいます」

「そうですか。こちらも今は無事です・・・しかし、少々面倒なことになりました」

「一体、何が?」

「討伐軍の攻撃で、塔に刻まれていた術式の一部が破損しました。そのせいで、塔が魔力と元素を周囲から無制限に集めはじめています。浮島はすでに制御できていません。術式の修復を試みていますが、塔に近づけば近づくほど魔力を吸い取られるため、うまくいっていません」

 クレスは簡潔に状況を説明する。

「私もそちらに戻って・・・」

「いいえ、アルムとアリア様はメル様たちと一緒にいてください。メル様、申し訳ありませんが、ルイーゼ号で学府の様子を見張っていてもらえますか?外から見て、何か変化があれば教えてください」

「わかりました」

 メルは頷く。上昇を続ける学府を外から見ることができるのは、この世界にルイーゼ号しかない。

「では、一旦、話しを終えます。また後で」

 クレスの声が途切れた。


「アルム、あの塔って、魔術のための設備だったのね?」

「そうだ。学府の浮島はアダマント鉱石という素材でできていて、元素を与えると空に浮かぶ性質がある。あの塔は、周囲の元素を集めて供給する設備だったんだ」

「それが壊れた?」

「あぁ、バリスタの矢が命中したせいだろうな」

 アルムは、窓の外の学府に目を向ける。

 討伐軍もまさか、こうなることをを狙ったわけではあるまい。学府の中央に一撃加えて脅せば降伏するとでも思ったか。なんにせよ、厄介なことをしてくれた・・・アルムは内心、舌打ちする。

 塔と浮島は学府創設の時期の遺物で、詳しい記録が乏しい。刻まれている術式の解読は長年かけて行われているが、まだ未解読の部分も多く、術式の修復は簡単ではない。


「メル様、そろそろ高度1,000mに達します・・・」

 エリスがメルに告げた。窓から見下ろすイルミナの市街地が、かなり小さくなっていた。

「ここまで、30分くらいかな?」

「そうですね・・・そのくらいだと思います・・・」

 エリスはメルの質問の意味を察し、表情を固くする。

「あと、おおよそ3時間以内にどうにかしないと危険ですね・・・」

 エリスの指摘に、メルは厳しい表情で頷いた。

「メル、それは、どういうことだ・・・?」

「1,000mまで約30分、このままの速度で上昇を続ければ、3時間後には高度7,000m近くになるわ。・・・アルムも体験したでしょう?・・・5,000m以上の高高度がどんな世界か」

 ロンドン空襲の時、高度5,000mに上昇したL57号-ルイーゼ号の操舵室は、極寒の世界だった。地上よりも約30℃も低い気温、薄い空気・・・最初、酸素マスクが邪魔で着けなかったら酸欠による強烈な頭痛に驚き、慌ててマスクを着けた。

 イルミナには酸素マスクもなければ、この時期、寒さを防ぐ準備など何もできていない。

 そんな状態で高度7,000mの環境に晒されたら、人間は長くは耐えられない。


「術式の修復が間に合わなければ・・・いえ、間に合うかどうか、クレス様に聞いてもらえる?」

 メルは途中まで言いかけた言葉を飲み込み、アルムに頼んだ。

「わかった」

 クレスたちはすでに岸壁にはいなかったが、アルムは術式を発動した。

「母様、聞こえますか?至急、お話ししたいことがあります」

「・・・アルム?どうしました?」

 すぐに返事が返ってきた。

「術式の回復は、どのくらいかかりそうですか?」

「・・・今はまだわかりません。今日中にはなんとか・・・」

「クレス様、メルフィリナです」

 クレスの答えに青ざめるアルムに代わり、メルが言葉を引き継いだ。

「クレス様、良く聞いてください。今のまま上昇が続き、塔の修復できない場合、あと3時間以内に学府は高度7,000mに達すると予想しています。・・・その高度では、酸素不足と寒さで人間は長く生きられません。魔術で耐えることは可能でしょうか?」

 しばらくの沈黙の後、クレスの声が返ってきた。

「残念ですが、どちらも無理そうです。・・・塔が魔力と元素を吸い込み続けていて、すでに学府の上では、魔術はほとんど発動しません。元素石を集めて対応していますが、そう長くはもたないでしょう」

「そんな・・・」

 アリアがつぶやいた。クレスのそばにはミネアもいるはずだ。

 メルは少し躊躇い、感情を押し殺した平板な声で言った。

「・・・今から、ルイーゼ号を岩壁に近づけます。クレス様、ミネア様やヴァンデル様たちと船に移ってください」

 学府の全員をルイーゼ号に乗せることはできない。一度地上に送り、戻ってくるだけの時間もない。

 メルだってこんなこと言いたくない。クレスたちを助けて、他大勢は見捨てるということなのだから。

 でも、アルムとアリアの家族を失わせたくなかった。絶対に。

「お願いです・・・クレス様・・・」

「ごめんなさい。辛いことを言わせているわね・・・でも、私が先に逃げるわけにはいきません」

「クレス様・・・!」

 わかっている、そんなことはわかっている。メルは唇を噛んだ。もし、この船に危機が迫り、クルーを捨てて、自分だけ脱出しろと言われたら、できるのか・・・できるわけがないのに。

 クレスは、静かに言った。

「・・・メル様たちは、無理をせず離脱してください」

 がくりとアリアが膝をついた。ミネアの声は聞こえないが、きっとクレスと同じ事を言う。

 アルムも辛そうに俯いている。

「まだ諦めたわけではありませんよ。できることを考えます」

 そう言って、クレスの声は途切れた。

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