第37話 蒼穹の高みへ
重苦しい沈黙が操舵室を支配する。窓の外に浮かぶイルミナティ学府は、変わらず上昇を続けている。
「・・・あのー」
アメリアが舵輪を握ったまま、顔だけ振り向いた。
「アルム、魔力がなければ術式は発動しないんだよね。浮島探検した時、そう言ってたよね?」
「あ、あぁ・・・確かに言った・・・」
アルムは戸惑いながらも答える。
そういえば、メルたちがロセリアに来て最初に着陸した浮島で、アメリアと一緒にアダマント鉱石を発見したのだった。
自然のものだと思っていた浮島が、イルミナの浮島と同じように魔術の仕組みで浮いていると知って驚いたが、その後のバタバタの中ですっかり忘れていた。
アメリアは、少し遠慮がちにアルムに提案する。
「あの塔が魔力を吸い込んでいるなら、逆にアルムが塔から魔術で魔力を吸い出すことはできないの?それなら、浮島を止められるんじゃないの?」
「吸い出すことはできるけど、あれだけの魔力を自分の身体に流し込むことはできないよ」
アルムは首を横に振った。いくら魔力量の大きなアルムでも、あれだけの魔力を受け入れるのは不可能だ。一瞬で飽和し、逆にあふれ出した魔力を塔に吸われるだろう。
「そうかー・・・探検した浮島は危なくなかったから、同じようにできたらいいと思ったのに、ごめんね。つまらないアイディアで」
いつもの屈託のない口調ではあったが、残念そうな表情は隠せず、アメリアは前を向く。
「いや・・・アメリア、考えてくれてありがとう」
アメリアに礼を言ったアルムの脳裏に、魔力を吸い出す、という言葉が引っかかった。
ふと思い出して、腰に巻いたポーチを探った。幾つかの元素石に混じって、ひときわ大きな透明の石が入っている。転移魔術を使った時に蓄えていた魔力を使い切ってしまった魔力石だ。
「これだ・・・!」
アルムは石を握りしめた。イルミナの魔術師がおよそ百年かけて注ぎ込んだ魔力を飲み込むほどの、超大容量の魔力タンク。莫大な魔力を消費する転移魔術のために存在する特殊な魔道具だ。
暴走する塔の魔力を流し込んでも、そう簡単には飽和しない。制御術式の代わりにこの石で塔の術式に流れる魔力の量を制御し、術式の稼働を抑えれば、暴走を止められるのではないか。
「なんとかなるかもしれない!アメリアのアイディアのおかげだ。ありがとう!」
小走りにアメリアに近づいたアルムは、後ろからアメリアを抱きしめた。
「ひゃッ!・・・アルム・・・何?!」
アメリアは驚いて声を上げたが、すぐにアルムの様子に気付いて、嬉しそうに笑った。
「アルム、方法があるの?」
メルの声にも期待が混じっている。
「メル、私を塔の頂上に降ろせるか?」
メルは、アメリアを見つめた。そこまで細かい操船は、船長の領分ではない。操舵手の腕にかかっている。
「アルム、任せてよ。どこにでも船を着けてあげる。メル様、僕、やってみせますよー」
「わかった、時間がないわ。みんな、早速、始めましょう」
『はいっ!』
メルの声に、全員が揃って返事をした。
ルイーゼ号は、一旦、学府から距離を取ると学府を追い越して上昇した。先に上空で学府を待ち受け、乗り移るタイミングを計るためだ。
「メル様、まもなく高度4,500です」
「下げ舵5、トリム水平」
「後部バラスト20排出」
「機関前進微速」
「学府は本船の右舷前方斜め下方です、目測で高度4,200」
「面舵10。方位125」
「了解、面舵10、方位125で舵戻します」
チャンスはほんの数秒、慎重に船の位置と針路を調整し、タイミングを計る。
「機関前進第1速」
メルは、じっと学府の位置を目で追っている。
すでに操舵室の中は真冬のような寒さとなっていたが、緊張で手のひらにじっとりと汗をかいていた。
「アルム、準備はいい?」
メルの問いに、アルムは黙ってうなずく。
学府が目の前を上っていく。
「上げ舵5、アップトリム5」
「機関前進第3速」
ルイーゼ号は、学府に合わせて高度を上げていく。
上昇を続ける学府に、ゆっくりと船を着けることはできない。学府の上を横切り、塔の頂上をかすめて、すれ違いざまにアルムには塔に飛び移ってもらう。ルイーゼ号はそのまま止まらず、学府と接触しないように全速で学府の反対側へ抜ける。
「アップトリム5、舵戻します」
「後部バラスト排出10」
「機関前進全速」
「高度4,600、学府の上空に入りました」
「アメリア、塔に寄せて。操船は任せる」
「はい!」
アメリアは、ぐっと舵輪を握りしめた。
操舵室の窓から見える塔の姿がぐんぐん大きくなってくる。
衝突寸前で、わずかに取舵。船体が少し傾き、ゴンドラが塔に最接近したところで、メルが叫んだ。
「アルム!お願い!」
「行ってくる!」
アルムがゴンドラから飛び降りた。
そのままでは元素不足で魔術が発動しないため、元素石を使って風の魔術を発動し、ふわりと塔の上に着地した。
「針路トリムそのまま、学府上空から離脱」
前進全速をかけたままルイーゼ号は学府の上を通過し、安全な距離をとったところで回頭した。
双眼鏡をのぞくと、塔の上にアルムの姿がある。無事に乗り移れたようだ。
メルはほっと息をついた。
「トリムそのまま、学府を追いかけます」
まだ終わってはいない。学府はすでに高度5,000mを超えようとしている。
ルイーゼ号は、一定距離を保って学府の後を追う。
「全員、酸素マスク着用、酸素供給開始」
まだ、学府の上昇は止まらない。
メルは、じっと塔の上のアルムの様子を見守っていた。
「さすがに息苦しいな」
塔の上に降り立ったアルムは、荒い息をつきながらつぶやく。
周りは意外なほど静かだった。魔力を吸い出されるような感覚も、ここでは感じない。
塔の頂上、その中心には元素を集めて蓄え、アダマント鉱石に安定的に流す巨大な元素石が置かれている。黒い石で作られた元素石の台座が、魔力を集積して塔全体の術式に流し、稼働させる仕組みとなっていた。
そこに魔力石を接触させて魔力の流れを変更し、術式を暴走させている過剰な魔力を魔力石に流し込んでやれば、暴走はおさまるはずだ。
アルムは、ポーチから魔力石を取り出した。
そして、魔力石を複雑な術式が彫り込まれた台座に押しつけると、石を通して台座に流れる魔力を感じ、引き寄せ、魔力石へと魔力の流れを導く。
魔力の流れは、今までに感じたことがないほど激しい。轟々と流れる濁流に立ち向かうような感覚だ。魔力の勢いが強すぎて弾かれる。なかなか流れを掴むことができない。
アルムは、何度も魔力の濁流に挑戦する。
魔力制御に集中したいが、息は荒くなり、苦しさは増すばかり。脳が少ない酸素を瞬く間に消費し、酸素が足りないと、激しい痛みで訴える。深く空気を吸ってみるが、全く頭痛は治まらず、集中の邪魔をする。
風の魔術で空気を集めることも不可能ではないが、魔力の制御と同時に魔術を使うほどの余裕がない。
アルムの表情に焦りが生まれる。暴走する魔力の流れがこれほどとは思わなかった。集中も満足にできない状態では、流れを導くのは無理かもしれない。
・・・一人で来たのは失敗だったか・・・
眩暈と激しい頭痛に襲われ、アルムは額を抑えて膝をつく。そして、目の前が。すぅっと暗くなるのを感じた。
「アルム!」
双眼鏡の視界の中でがくりとアルムが膝をつくのを見て、メルは叫んでいた。
おそらく酸欠による意識障害だ。早くなんとかしないと、アルムまで死んでしまう。
「メル様、わたくしも塔に降ろして下さい。魔力の扱いならわたくしも心得があります。アルムを手伝います」
アリアがメルを見つめる。
「メル様、私がアリアを塔に降ろします」
エリスも名乗り出た。
そしてエリスは、首に提げていた革袋から緑色の元素石を取り出す。初めて魔術を使った時に、練習に使えとアルムからもらった元素石。蓄えておいた風の元素を使えば、何度かは風の魔術を発動できる。
「・・・」
メルは返事を躊躇った。アルムを助けるにはそれしかない。だが・・・
現在高度5,500m、高度が上がると酸素不足でエンジン出力が低下し、気圧の低下とともに浮遊ガスの浮力も減少する。
もしも魔力の制御に失敗し、学府の上昇を止められなければ、ルイーゼ号は学府に追いつけなくなる。それは、3人が二度と戻ってこないということだ。
いやだ、エリスが戻ってこないなんて、絶対に嫌だ。メルは、潤んだ瞳でエリスを見つめる。
「絶対・・・絶対、戻ってきて・・・エリス」
「はい」
エリスは、メルの頭を胸に抱き、髪を撫でる。
「エリスは、メル様のお側に戻ってきます。絶対です」
「わかった・・・エリス、アリア、準備をお願い」
メルは、顔を上げると小さく微笑んで目尻の涙を拭った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます