第38話 風の天使

 メルは伝声管を開け、機関室に呼びかける。

「エンジンはまだ大丈夫?」

「あぁ、まだなんとかいける」

 ロザリンドの声が返ってきた。

「これからもう一度学府に乗り込みます。わたしが指示したら限界まで回して。最悪、焼き付いても構わない」

「おい、エンジンが壊れたらこっちじゃ直せないなんだぞ」

「それでもいい。どのみち学府を救えなかったら、もう飛べなくなるから」

「・・・わかった。いつでも言ってくれ」

「ありがとう」

 メルは操舵室を見回した。

「もう一度、お願い。条件はさっきより悪いけど、アリアとエリスを塔に降ろしたいの」

「現在アップトリム10、そのまま維持します」

「バラストはあと30まで放出しても大丈夫です。気嚢圧力にもまだ少し余裕があります」

「現在高度5,800、現在位置、学府の下方目測で200、距離1,000です」

 返事の代わりに、報告を返してくるクルーたちにメルは頷いた。


 先ほどまで学府に追随してほぼ同じ高度を飛んでいたが、少しづつ学府から離されている。高度6,000に近づき、ルイーゼ号の上昇速度が徐々に落ち始めているのだ。

「エリス、アリア、いい?」

「はい」

 いつでも飛び降りられるよう、開口部で待機する二人。

 メルは伝声管に叫んだ。

「機関前進全速!」

 5基のエンジンが力を振り絞るように轟音を上げ、プロペラが猛然と回転する。

「バラスト30排出、上げ舵5、アップトリム15へ」

「バラスト放出します!」

「上げ舵5!」

 ルイーゼ号はプロペラの推力と船体に迎え角を与えることで動態浮力を稼ぎ、無理やりに船体を持ち上げる。

 しかし、この高度ではエンジン出力が十分に出ない。少しづつ加速はしているが、学府の上昇になかなか追いつけない。 

「全バラスト放出!」

「全バラスト放出します!」

「アップトリム修正、20へ」

「上げ舵そのまま、アップトリム20へ」 

「機関室、もう少し頑張って!5分、いや3分でいいから!」

「くそっ、本当に焼き付いても知らんぞ!」

 エンジンが悲鳴を上げる。上昇速度に弾みがつき、ルイーゼ号は学府の上へと飛び出した。


「アメリア!」

「はい!」

 アメリアが針路を微調整し、塔をかすめるコースに船を乗せる。操船を誤れば、ルイーゼ号は学府の上に座礁し、全員が運命を共にすることになる。

 こんなに真剣に舵輪を握ったのは、いつ以来だろうか。舵輪を握る手に全神経を集中する。

 塔の姿が急激に大きくなり窓一杯に映り込む。衝突するかと思われるほど、ギリギリの高度でゴンドラが塔の真上をかすめた。

「エリス、今っ!」

「行きますっ!」

 メルの声で、アリアを抱えたエリスが船から飛び降りる。元素石の元素を使って風を起こし、ふわりと塔の上に着地した。

 轟音を響かせてルイーゼ号の船体が頭上を通過していく。

 エリスは、すぐに倒れているアルムに駆け寄った。携行式ボンベの酸素をアルムに吸わせる。

 アリアは魔力石に触れて魔力の流れの制御を試みた。

「・・・エリス、か・・・」

 朦朧としていた意識がはっきりしてくる。アルムは、目の前で心配そうにのぞき込む顔につぶやいた。

 口にはマスクを当てられ、息を吸えば酸素が流れ込んでくる。

「アルム、無事ですか?」

「あぁ、私は、気を失っていたのか」

「はい、アリアが魔力の制御を試みています。もう時間がありません。アルムも、もうひと頑張りお願いします」

「わかった」

 アルムは、身を起こしてアリアに隣に並ぶと、魔力石を通じて魔力の流れを掴む。

 頷き合い、タイミングを合わせて魔力の流れを魔力石へと引きずり出す。

 荒れ狂う濁流をせき止め、強引に流れを変えるような、力づくの制御。

 魔力の扱いに長けた、魔女、聖女と呼ばれる二人がかりで成し遂げられる強引な方法だった。


 エリスは二人の後ろに立ってサポートに徹する。

 少ない空気を集めて圧縮することで、呼吸を楽にし、寒さを和らげる。

 少しでも集中できるよう、元素石に残った元素を使い、二人を風で守る。

 

 塔の魔力が術式から引き剥がされ、魔力石へとその向きを変える。

 透明だった魔力石が、塔の魔力を吸収して、ぼんやりと黒く染まり始める。

 台座の上でギラギラと輝いていた巨大な元素石の光が、徐々に淡くなっていくにつれて、学府の上昇速度もゆっくりになっていく。


「・・・止まった・・・」

 メルはつぶやいた。

 塔をかすめたルイーゼ号は、大きく回頭して再び塔へと船首を向けている。

 もはやそのエンジンは轟音を上げていない。その必要はなくなっていた。

 メルたちの目の前で、学府はその上昇を静かに止めていた。


 操舵室の高度計が示す高度は、6,680m。


 操舵室の全員が、その光景にただ見とれた。

 どこまでも続く真っ青な空の中に、ぽつりと浮かぶ学府の姿は、まるで天上の宮殿のように神秘的だった。

 塔の上では、淡い緑色の風が優しく渦を巻いている。

 エリスの展開する風の魔術が、アルムとアリアを包み込んでいた。

 メルには、二人を守るエリスの姿が、まるで風の翼を広げた天使のように見えた。 

 

「塔に船を寄せて!早く!」

「了解ですー!」

 ハッと気がついて慌てて叫ぶメルに、アメリアはにこりと笑いながら返事をする。

 ルイーゼ号は、ほぼ静止した学府の上を進み、塔の上へと近づいた。

 塔の上では、3人が疲れ切ったように座り込んでいた。

「エリス!アルム!アリア!みんな無事?!」

 ゴンドラから身を乗り出してメルが叫ぶ。

「メル様!」

 メルの声に顔を上げたエリスが、風をまとって塔の床を蹴り、ゴンドラに飛び込んだ。

「ただいま戻りました・・・メル様」

 メルの腕の中に飛び込み、その首筋に顔を寄せる。

「おかえり、エリス。本当によかった・・・!」

 メルは、エリスをぎゅっと抱き締める。

「・・・成功、したんだよね?」

「はい、もう大丈夫です」

 笑顔で言うエリスに、メルは何度もうなずいた。


 魔力石が塔が集めた魔力を吸い上げていくにつれて、塔の術式の稼働は抑えられ、元素や魔力の吸収は、ほぼ収まっていた。

 やがて、アダマント鉱石への元素の供給も減り始め、ゆっくりと学府が下降を始める。


 ルイーゼ号を学府の岸壁に係留し、クルーたちは船内にあるありったけの酸素ボンベを降ろして、酸欠で倒れている人たちの救護に走った。

 魔女の館の中では、クレスとヴァンデル、ミネアが気を失っていた。酸欠に加え低体温症になりかけていたが、アリアが治癒魔術を施し、アルムが火と風の魔術で室内を暖める。

 顔にマスクを当ててボンベから酸素を送り込むと、ほどなくして3人とも意識を取り戻した。

「・・・メル様・・・アルム・・・?」

「む・・・私は、一体」

 軽く頭を振りながら、クレスとヴァンデルが身を起こす。

「父様、母様、塔の暴走は止まりました。今、学府は少しづつ高度を下げています」

 アルムが言う。

「何があったのかは、後で詳しく聞きます・・・でも、アルム、よくやってくれました。・・・メル様とアリア様も協力してくれたのですね?」

「いいえ、私ではありません。頑張ってくれたのはエリスです」 

 メルは、遠慮がちに控えていたエリスを前に押す。

「メル様・・・そんな」

「本当じゃない。だって、わたしじゃアルムは助けられなかったもの」

「そうだな。エリスとアリアが来てくれなかったら、私はあのまま倒れて、目覚めることはなかったかもしれない」

 アルムも頷く。

「メル様、アルムまで・・・でも、そう言ってもらえると嬉しいです」

 エリスは顔を赤くして照れている。

 クレスは、その様子を微笑ましそうに眺めていた。


「お母様!」

 アリアはミネアに抱きついていた。

「アリア・・・あなたは大丈夫なの?」

 ミネアはアリアの髪をそっと撫でる。

「はい、わたくしは大丈夫です。もう塔の暴走もおさまりましたから、安心してください」

 どうやら、メルやアルムたちと一緒に、アリアも塔の暴走を止めるのに一役買ったようだ。討伐軍に応対した時の様子といい、どちらかというと気弱で、周りの言うことに流されてばかりだったアリアが、ずいぶんと変わったと思う。

 ミネアは、娘の成長に目を細めた。 

「アリア、あなたの活躍、詳しく聞かせてくれる?」

「はいっ!」

 アリアは嬉しそうな笑顔を浮かべて頷いた。

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