第39話 法王府からの書簡

 学府は順調に下降を続け、約24時間かけて湖の上に戻った。

 降下している間、回復したクレスたちが手分けして他の魔術師たちの救助を行い、ルイーゼ号のクルーたちもそれを手伝った。

 強力な治癒魔術が使えるミネアとアリアは、魔女の館に待機し、長時間の酸欠による脳障害や、重い凍傷を負った重傷患者の回復に当たっていた。脳障害や手足を失うような凍傷は、通常の治癒魔術では治せないが、二人の治癒は復元魔術とでも言うべき、別格の効果を持つ。おかげで、犠牲者を出すことは避けられそうだった。

 アルムは塔の上で魔力石の制御を続け、ヴァンデルは回復した魔術師たちとともに、塔の術式の修復に取り掛かっている。


 だが、塔が暴走して強引に周囲の元素を吸収したせいでイルミナ周辺の元素が不足し、魔術の発動に支障が出るほど希薄になっていることがわかった。

 幸いにも元素が枯渇して回復しないというほどのひどい状態ではなかったが、元通りに回復するには年単位の時間がかかると予想された。

 奇しくも、魔術の暴走によって、ボルディアニスが危惧していた事態が起こり得ると証明された形だ。

 また、ヴァンデルたちの話では、塔の術式は予想以上に損傷が酷く、また術式自体未解明の部分が多いため、完全な修復は不可能とのこと。今は部分的に制御術式を修復し、魔力石による魔力吸収と併せて間接的に制御しているが、いつまで保つかわからない。

 現状の報告を受けたクレスは、浮島の機能を停止し、学府を湖に降ろすことに決めた。塔と浮島は今では製法も失われた貴重な魔術遺産である。しかし、街や学府を危険に晒してまで空中に置く意味はない。

 一部の魔術師達からは惜しむ声も上がったが、イルミナ周辺で起こっている元素の不足を速やかに回復させるためには、塔の元素石に蓄積された元素を開放するしかないと言われ、納得するしかなかった。


 浅い湖の中に学府がゆっくりと着水する。

 水面に大きな波紋が広がる中、学府はそのまま水に沈んでいき、静かに着底。

 学府は、青い湖に浮かぶ島となり、静けさを取り戻した湖面にその姿を映した。


 塔の上では、クレスとアルムが最後の仕上げ作業に入る。塔の魔力を全て魔力石に吸収させ、元素石の表面に術式を展開して元素を開放。

 開放された元素が、元素石から溢れだし、キラキラと淡い光を放って空中に溶けていく。

 そして、約千年に渡って稼働し続けてきた塔と浮島は、その機能を完全に停止した。


 市街地との間に仮設の橋がかけられ、食料や医薬品が届けられるようになると、ようやく学府にも市街地にも落ち着きが戻ってきた。

 大事には至らなかったが、魔術師達が住民たちを見捨てて自分たちだけで逃げたという誤解が広まり、市街地の側でも混乱はあったようだ。急に学府が空に上がり始め、城壁の外にはまだ討伐軍がいるのだから、市民は不安に感じたことだろう。

 結果的に1日ほどで学府は地上に戻り、これまでのように空中に浮かぶことなく、湖の中に着底した。何か異常があったことは市民たちも察していた。


 学府が地上に戻ったとき、草原に陣を張っていた討伐軍は、姿を消していた。

 ルイーゼ号で空から確認したが、森の中の幕営地も半分以上がすでに引き払われており、残っている軍勢も撤退準備を慌ただしく進めているようだった。


 そして5日後、討伐軍で最後まで残っていたブランダリウス伯、ヨハン・フォン・クルムバッハが、正門前に現れた。2人の護衛騎士を引き連れただけで、本人は鎧も着けていない軽装だった。

 イルミナ側はアルムが対応した。なぜかヨハンは「イルミナの魔女」との面会を求めてきたのだ。

 乗っていた馬から下り、手綱を護衛の騎士に預けると、ヨハンは城門の前に一人で待っていたアルムに近寄った。

「ブランダリウス伯、ヨハン・フォン・クルムバッハだ。イルミナの魔女殿か?」

「初めてお目にかかる、ブランダリウス伯。イルミナの魔女、アルムリーヴァ・テオ・ファルニスだ」

 若い魔女の姿に驚いたヨハンだったが、少し遠慮がちに尋ねた。

「魔女殿、・・・聖女様の容態は如何だろうか?」

「まだ意識も戻らず、予断を許さない状況だ。近く、船を出してロムルスにお送りしようと思う」

 アルムは淡々と答える。そして、・・・ふと思い出したように尋ねた。

「・・・聖女を射た者は?」

「あの場にいた将兵を取り調べたが、矢を射た者はもちろん、矢が射られるところを見た者すら誰一人見つからない。気がついたときには、聖女様に矢が突き立っていた、と口を揃えて言うばかりだ・・・正直に言えば、私も何が起こったのか理解しきれていないのだ」

 ヨハンは顔をしかめつつ答えた。

「・・・失礼した。私から訊く話ではなかったな」

 アルムは、ほっとした内心を隠しつつ、軽く頭を下げる。

 アリアは討伐軍の陣営の何者かが放った矢が当たり、重傷を負ったことになっている。しかし、犯人が見つからないのは当然だ。矢は討伐軍の上を飛んでいたルイーゼ号から落とされ、それをアルムが風の魔術で加速、誘導してアリアに命中させたのだから。

 無実の兵を犯人にでっち上げられても困るので様子を訊いてみたが、どうやらこちらの目論見通り、犯人は見つからず、有耶無耶になりそうだ。

「魔女殿のお心遣い、痛み入る」

 しかし、そんな真実を知るはずもないヨハンは、アルムが討伐軍の事情に配慮してくれたものと好意的にとらえ、アルムに礼を返した。

「今日、面会を求めたのは魔女殿にお渡ししたいものがあるからだ」

 ヨハンは、脇に抱えていた木箱から、二通の文書を取り出した。

 一通は開封されており、もう一通は封蝋がされたままの未開封のものだった。

「今朝ほど、法王府からの使者が届けに来た。こちらは私宛だったので開封した。聖女様から頂いた文書と同様、討伐許可を取り消し、信徒は速やかに自領へ戻るようにという内容だった」

 アルムは驚いたが、それを顔に出さず、ヨハンが広げた文書を確かめる。

・・・どういうことだ?法王府からの命令ならば、ボルディアニスが討伐の継続を命じたもののはずだ。

 しかし、ヨハンが示す文書は、確かに討伐許可を取り消すというものだ。

 また、文書には魔術に対する教会の今後の対応についても記載されており、それもまた、クレスが法王府に示した和睦条件から、さらに一歩進んだものとなっていた。


・教会は、魔術師たちの身分を保証し、必要に応じて保護を与える。

・教会の治癒と同様に、魔術もまた神の恩恵である。

・教会はイルミナティ学府と協調し、神の恩恵たる魔術が不当な目的に利用されることを認めない。

・神の恩恵である魔術を、より広く民の生活により役立てるため、教会に魔術研究の拠点を設ける。


 長期間にわたる討伐への参陣への謝意として、今回参陣した領主達の領地にある教会を、魔術の研究拠点として優先的に整備するという。

 そもそも、イルミナ討伐に参加した領主たちは、魔術を疎んでいたり、魔術に関心が無いのではない。むしろ魔術の価値を知っているからこそ、多くの魔術師を擁するイルミナに脅威を感じ、その知識を奪おうとしたのだ。

 将来的な話ではあるが、自領に魔術研究の拠点ができて、新たな魔術の開発が盛んになれば、自領の発展が見込める。それは、領主達にとって願ったり叶ったりだ。

「なるほど。教会でも魔術の研究を進めるのか。良い考えだ」

 アルムのつぶやきを聞いたヨハンは不審そうな表情が浮かべる

「イルミナとして文句はないのか。魔術を独占できなくなるかもしれないのだぞ」

「構わない。・・・勘違いしてもらっては困るが、元々イルミナは魔術を独占する気はなどない。魔術師はイルミナに属する必要はないし、魔術の研究をどこでやろうと、それを邪魔するつもりもない。…むしろ、各地の魔術研究が盛んになるのなら、我々にも良い刺激となるだろう」

 アルムの答えに、ヨハンは呆気にとられた顔になったが、コホンと、わざとらしく咳払いすると、未開封の方の文書をアルムに差し出した。

「私宛の文書の内容は理解してもらえたと思う。・・・こちらは、聖女様に宛てた文書だ。このとおり、封蝋には手を付けていない。魔女殿から聖女様に渡して頂きたい」

「私が・・・?」

 アルムは、差し出された文書に視線だけを向ける。さすがに聖女に宛てた法王府の文書を、魔女であるアルムが預かるのはマズい気がするが。

「私が勝手に開封して中身を見る恐れを考えないのか?」

「もちろん、考えている。ただ、法王府からの伝言で、聖女様に直接渡せない時は魔女殿に預けるようにと言われている」

 ヨハンも完全には納得していないらしく微妙な表情を浮かべていたが、法王府の意向に逆らう気は無いようだ。

「わかった。お預かりする」

 アルムは文書を受け取る。そして、文書の差出人の名を見て、伝言の意味を察した。

 文書は法王府に残ったシレジア・フレクスディアからだった。


「では、用件は果たした。・・・これで私も故郷に戻れる」

 アルムは、馬に乗って去っていくヨハンたちを黙って見送る。今日中には彼らの軍も自領への帰途に着くだろう。

 1年余にも渡ったイルミナ討伐は、この日、完全に終結した。

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