第40話 教会の顛末

 その夜、魔女の館。

 クレス、アルム、ミネア、アリア、そしてメル以下ルイーゼ号のクルー達が集まる中で、アリア宛ての書簡が開封され、その内容が読み上げられた。

 シレジアからの知らせによれば、法王府はシレジア側、つまり法王ミネアに味方する勢力が掌握したとのことだった。


 法王府に残ったシレジアが行ったのは、積極的にボルディアニスの考えを法王府内部に広めることだった。実際に嘘ではないだけに、広まるのも早かった。

 イルミナ討伐に関してはボルディアニスに賛同していた多くの者達も、シレジアによって、ボルディアニスの目的が魔術や神の恩恵そのものの排斥だと知れ渡ると、すぐさま動揺し始めた。

 神の恩恵は、教会が民衆に教義を広める時の重要な要素だ。それが失われたら、教会は今まで通りに民衆の支持を得ることができるのか、不安が広がったのだ。教会という組織が揺らぐことは、彼らにとって何としても避けたいことだ。

 ボルディアニスが、最初から言葉を尽くして魔術の危険性を説き、彼の考えを周囲の人々に理解させる地道な努力をしていたら、もう少し違う結果になったのかもしれない。

 しかし、自分の考えが正義であると盲信したボルディアニスは、他の者の理解を得ることを怠った。イルミナの討伐を掲げて支持を集めたものの、実際の目的は支持者の耳には入ってはいなかった。

 そして、自らも危惧していたにも関わらず、神の恩恵という便利な力を、それに頼る者から取り上げることが、どれだけの不安と抵抗を招くか想像していなかった。

 シレジアは、法王府に広がった不安を利用した。・・・不安に駆られた者がボルディアニスを見限ると読んで、シレジアは自身の主張を教会内に広めた。

「イルミナとの和睦し、協調関係を築けば、イルミナの魔術を神の恩恵として教会に取り込むことができる」

 これも嘘ではない。イルミナは教会の下に入るわけではないが、教会が神の恩恵として魔術を扱うことには反対しない。

 教義の解釈には多少の修正が必要だが、イルミナが持つ魔術の知識を教会が利用できるのなら、イルミナ討伐を続ける理由はなく、むしろ味方に取り込んでおく方がいい。

 イルミナどころか、教会の基盤さえ揺るがしかねないボルディアニスの考えに賛成するより、余程教会という組織にとっては都合がいい。

 つまり、多くの者が、シレジアの主張の方が教会にとっての利益になる、と考えたのだ。

 やり方はともかく、真剣に魔術の危険性を憂いたボルディアニスの方が、ある意味純粋だったのではないかと、シレジア自身も書簡の中で自嘲していた。

 とにかく、シレジアに法王府の主導権が移った結果、ボルディアニスは失脚し、今は自室で軟禁状態に置かれているという。

 ミネアに早く法王府に戻ってほしいと告げて、シレジアの文書は終わっていた。


「メル様、ロムルスまで船を出して頂いてよろしいですか?」

 ミネアは、少し寂しげにため息をつきながら言った。

「イルミナでの暮らしはずいぶん心地よかったのですが、さすがにこのまま教会を放っておく訳にはいきませんから」

「ミネア様、お気に召したのなら、いつでもお越し頂いて結構ですわ」

 クレスがにこりと笑う。

「クレス様も、ぜひ法王府にお越し下さい。歓迎いたします」

 短い滞在ではあったが、クレスもミネアもお互いを信頼できる相手と見定めたようだ。

「ミネア様、船の補給と整備に2日ほどかかりますので、3日後でしたらロムルスへ出発できます」

 二人の話が途切れるのを待って、メルはミネアに返事をする。


 そして、一瞬、アリアと目を合わせると、遠慮がちに続けた。

「・・・それと、お願いがあるのですが」

「えぇ、メル様の願いとなれば聞かないわけにはいきませんね。なんなりと仰って下さい」

 ミネアはゆっくりと頷いた。

「・・・アリアがルイーゼ号で旅をするのを許可してください。わたしは、アリアに言いました。『ルイーゼ号で一緒に旅をしよう。色々な街へ行って、困っている人を助けて、アリアの思うとおりにすればいい』って。それを果たしたいんです」

 ミネアは、すぐには返事をせず、アリアに視線を向けた。

「お母様、ずっとでなくても構いません。いずれ聖女の仕事に戻ります。・・・でも、今は、メル様たちと世界を旅して、自分の目で見て、困っている人たちに直接手を差し伸べたいのです」

 アリアは、テーブルの上に置いた手を握りしめ、切々とミネアに訴える。

 ミネアは、じっとアリアを見つめていたが、やがて口元を笑みを浮かべた。

「メル様、アリアのこと、よろしくお願いします・・・あら、これではメル様のお願いを聞くのではなくて、私のお願いを聞いてもらっているみたいですね」

 冗談めかして言うミネアに、メルの方が慌てる。

「ミネア様、・・・本当に良いのですか?」

「あら、メル様は冗談のつもりだったのですか?それでは、アリアが可哀想だこと」

「い、いいえ!そんなことはないです。本気です」

 くすくすと笑うミネアに、メルは大きく首を振って、否定した。

「・・・お母様、ありがとうございます」

 アリアも嬉しそうにミネアに頭を下げる。


「そうね。まずは1年、それから先は状況次第というところでどうかしら・・・」

 ミネアは、悪戯っぽく笑って言った。

「・・・魔女殿とアリアの迫真の演技も、無駄にはできないものね」

「!」

 アリアとアルムが驚いて息を呑む。

「小道具まで用意してアリアが重傷を負ったように見せかけたのも、そうやって聖女は死んだ、ということにして、メル様たちと一緒に行くためでもあるでしょう?・・・ラケルス伯爵の入れ知恵かしら?」

「はい・・・」

 ばつ悪そうにアルムとアリアは顔を見合わせる。

「でも、その作戦は少し修正させてもらいます。イルミナと協調関係を結ぶことになったからには、魔女殿と親しいアリアを聖女から降ろすことはできません・・・傷の療養ということで少なくとも1年は隠します。その間は好きになさい。見分を広げるいい機会でしょう」

 ミネアは少し真面目な表情に戻っていた。

「でも、いずれは聖女に戻らなくてはいけないことを、忘れないように」

「わかりました。お母様」

「アリア、良かったな」

 アルムも嬉しそうにアリアの肩を叩く。

「あら、アルムが一緒に行っていいと許した覚えはないのだけれど」

 わざとらしく、しかもからかうような口調でクレスが口を挟んだ。

「母様、それなら私は魔女を降ります」

 アルムは、少しムッとして言い返した。

「・・・そんなことできるわけないでしょう。聖女様と魔女がせっかく仲良くなったのに、それを利用しないなんて、有り得ません」

「利用すると言いましたね?!」

 抗議するアルムに、悪びれもせずクレスは答える。

「えぇ、二人が良い友人である限り、イルミナと正教会の関係は安泰ですもの。せっかく仲良くなった二人の信頼関係を、教会と良好な関係を維持するのに利用しない手はありません」

 口元に手を添えて笑いながらクレスは、意味ありげに視線を動かす。

「メル様とエリスさんが見ていてくれれば、きっと二人が仲違いすることはないものね」

 クレスとアルムの掛け合いを、微笑ましく眺めていたところに突然に話を振られ、メルは慌てて背筋を伸ばす。

「でも・・・もしアルムとアリア様が仲違いするようなことになったら、二人とも降ろして、エリスさんに魔女と聖女を兼任して頂こうかしら?・・・エリスさんの持つ魔力なら、その資格はあるはずですもの・・・ねぇ、ミネア様」

「そうですわね。それも良いかもしれません・・・」

 ほほ、とミネアも面白そうに笑う。

 エリス魔力のことがどうしてバレているのか、と顔を引きつらせたメルの手をそっと握り、エリスはにこりと笑った。

「それはお受けできません。私は生涯、メル様のお側に仕えると決めていますから」

 迷いなく答えるエリスに、クレスは軽く肩をすくめる。

「振られてしまいましたね。残念です」

「・・・エリスの魔力のことは秘密にしてたはずなのに」

「私はイルミナティ学府の学長ですよ。魔力の形質くらい見定められなくては務まりません」

 楽しそうに笑いながら言うクレスの前で、メルはぐったりとテーブルに伏していた。


 4日後-。

 ミネアを乗せてロムルスに到着したルイーゼ号は、前回同様、法王宮殿の屋上に降下した。

 係留を終え、ミネアが船を降りると、屋上で待っていたシレジアが出迎えた。人払いがされており、屋上にいるのはシレジア一人だ。

「シレジア、よくやってくれました。ありがとう」

 ミネアが早速、労いの言葉をかける。

「勿体ないお言葉。・・・討伐軍の撤退も無事に成功したと聞いています。そちらもご苦労があったのではありませんか?」

 シレジアは恭しく頭を下げるが、その口元は笑っていた。

「えぇ、色々なことがありました。シレジアにもゆっくり聞いてほしい・・・討伐軍の撤退に関しては、私よりもメル様たちや魔女殿、アリアが頑張ってくれました」

 ミネアの言葉に、シレジアはハッと顔を上げる。

「アリアは・・・」

「アリアは、討伐軍を説得している最中に、何者かに矢で射られて重傷です。辛うじて命は取り留めましたが、意識も戻らず、時間をかけて治癒するしかない状況です」

 ミネアは悲し気に目を伏せる。


「・・・と、いうことになっているのですね。アリア、隠れていてもわかりますよ」

 シレジアは、アルムの後ろにいた黒いマント姿の魔術師を指さした。

「ミネアも、わざとらしい芝居は結構です」

「シレジアにはかないませんね・・・」

 ミネアが苦笑を浮かべ、魔術師に扮していたアリアは観念したように被っていたフードを脱ぐ。

「アリア、メル様たちと一緒に行くの?」

「はい。しばらくの間、我が儘を許してください」

 シレジアは、メルたちに深々と頭を下げた。

「どうか、アリアのことをよろしくお願いします」

「はい。お任せください」

 メルは胸を張って答えた。

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