第14話 そして、船は世界を渡る

 L70号の撃墜から8時間。戦場を脱出したL57号は、北海中心部の洋上にいた。

 ようやく夜が明ける。空はほの明るくはなっていたが、頭上一面を鉛色の雲が覆い、強風が吹く洋上は高いうねりがどこまでも続いていた。

 イギリス本土沿岸からは500km近く離れており、飛行機による追撃の心配なくなった。

 寒さと酸素不足からクルーを守るため、高度は2,000mまで下げている。

 しかし、この時期には珍しい強い勢力に発達した低気圧がアイスランド東方沖に停滞し、南からの強風を引き起こしていた。

 その風に乗ったL57号は脱出には成功したものの、想定よりも大きく北へと流されていた。 

 機関出力を落とせば風に流され低気圧の嵐の中に引きずりこまれる。しかし、昨夜から全速運転を続ける5基のエンジンは、残り少ない燃料を刻々と消費し続けていた。


「メル様、船に損傷はありませんが、機関室の報告では、あと6時間以内に燃料が尽きるそうです」

 少し目を伏せたエリスが、隣に立つメルに声をかける。

「ありがとう、エリス・・・もう戻るのは難しいわね・・・」

 諦めとも後悔ともつかない表情浮かべ、メルは答えた。

「ごめん。みんな・・・・」

 ポツリとつぶやく。

 こんなことになるのなら、捕まるのを覚悟してでも出撃を拒否すれば良かった・・・いえ、それより、飛行船乗りを諦め、軍に入るのを断れば良かった・・・そもそも、自分が飛行船乗りを目指さなければ・・・

 わたしはどこで間違えたんだろう。ただ、みんなと一緒に飛行船を飛ばしたかっただけなのに、こんなところまでみんなを連れてきてしまった。

 巻き添えにしてしまったクルーに申し訳なくて、目の奥が熱くなった。


「メル、この船とみんなを助けたい?」

 操舵室の奥、壁際でじっと様子を見ていた少女が、ポツリと言った。

「助かる方法があるの?」

「ある。ただし、もう戻ることはできない」

「それは・・・」

 メルは操舵室を見回した。

 舵輪を握るアメリアとリディア、デスクの前のヘレン、計器盤のスイッチを操作するイレーナ、傍に控えるエリス、みんな、不安げな表情でメルとアルムを見つめていた。


「わかった。アルム、どうすればいいの?」

「・・・メル、私の世界へ行こう」


 アルムは壁際を離れてメルの側に歩み寄った。メルの手を取り、その上にポーチから取り出した球をひとつ、そっと置く。

 以前、治療に使ってもらった青い元素石より二回りほど大きい。そして、黒曜石のような光沢を帯びた黒色をしていた。前にアルムから聞いた説明では、確か、元素石は火の赤、水の青、風の緑、土の黄色の4種類ではなかったか・・・?

 メルは、不思議そうに手の中の石とアルムを交互に見る。 

「これは魔力石、元素ではなく、魔力を蓄えた石。世界を越える転移魔術は元素で引き起こすものではないから、この魔力石を魔術の発動に使う」

「・・・転移魔術・・・って、もしかして、アルムがこちらに来るときに使った魔術のこと?」

「そうだ。私がこちらに来たのは、イルミナを包囲する討伐軍を退けるため、違う世界に渡り、強力な魔術や武器など戦力になり得るものを探し、手に入れ、イルミナに持ち帰るためだ」

 渡った先の世界にまさか魔術がないとは、アルムにとって全くの想定外だったが・・・

「これは、目的を果たして帰還する時のために残していた魔力。魔力は元素のように自然界には溢れていない。歴代の魔術師たちが自らの魔力を注ぎ込んで、百年以上もかけて蓄え続けた貴重な物だ。でも、これだけ大きな船を転移させたら、おそらくこの石の魔力は1回の転移で尽きてしまう」 

 メルはアルムの肩をぎゅと掴んだ。少し潤んだ緑色の瞳が、迷いと不安に揺れていた。

「でも、それをわたし達のために使ったら、アルムの国はどうなるの?!わたし達では、戦力にならないよ。助けてくれるのは嬉しいけど、大丈夫なの?」

「大丈夫だ。こんな時に・・・少しは自分の心配をしたらどうだ」

 アルムは表情を和らげ、呆れたような笑みを浮かべた。


 でも、アルムはL57号ごと転移すれば、自分の目的も果たせると考えていた。

 メルは戦力にならないと言ったが、この船の貨物室には4トンものTNT爆薬が積まれている。これを使えば討伐軍を文字通り吹き飛ばすことができる。爆薬を討伐軍への攻撃に使うと言えば、メルは怒るかもしれないが、イルミナもいつまでも包囲されているわけにはいかない。

 爆薬をイルミナに譲渡すれば、少なくともメルたちは直接戦わなくて済む。それで納得してもらうほかない。

 

 アルム自身も こちらの世界に来て、限られた時間ながら様々な本を読み漁り、メルたちから教えられ、自分たちの知らなかった科学の知識を得た。

 物質がどうやってできているのか、どういう性質があるのか、特定の条件下に置くことでどう変化するのか。魔術によって様々なことができてしまうが故に、アルムの世界ではそういった研究は進んでいない。研究者の多いイルミナですらそうだ。他では更に遅れていると言っていい。

 元素の力を感じられないこちらの世界では十分に試すことができないが、魔術に応用すれば、これまでにない強力な魔術が構築できると確信していた。


 アルムはメルを見つめ、続いてエリスたち操舵室のクルーを見回した。そして、エリスに伝声管の蓋を開けてもらうと、船全体に聞こえるように言った。

「この状況から脱出するため、私は転移魔術を使う。確実とは言えないが、転移魔術が成功すれば、私のいた世界、つまりこの世界ではない世界に、この船ごと転移する。」

 そこで一旦言葉を切る。

「しかし、転移魔術の発動に必要な魔力はあと1回分しかない。転移してしまったら、もうこちらの世界には戻れない。それは覚悟してほしい」

 そして、メルが話をを引き継いだ。

「みんな、ごめんなさい。この船はもうドイツまで戻ることができません。このままでは、どこかに不時着するしかなく、おそらく船は大破します。クルーも無事ではいられないでしょう。でも、わたしは、みんなで生き延びることが出来るなら、アルムの転移魔術に賭けます」

 メルは自分の考え・・・いや、望みをはっきり宣言する。

「・・・わたしは、みんなを一人も失いたくない。だから、みんなをアルムの世界に連れて行きます」

 いきなり魔術と言われても到底信じられないだろう。アルムが敵機を退けたり船を風で押し上げるところを見ていた操舵室のクルーだって、正直なところまだ半信半疑。戦闘のストレスでメルがおかしくなったと思われても仕方がない。

 でも、メルの意思はもう決まっていた。全員で助かるには、他に方法はない。


「メル、いいか・・・?」

 尋ねるアルムに、メルは頷いた。手にしていた魔力石を返し、深く頭を下げる。

「お願い。わたしたちを助けて」

「わかった。魔術による転移は一瞬だ。衝撃もほとんどないはずだから、みんなはそのままでいてくれればいい。一応、外にいる見張りは船の中に戻してくれ」

 アルムは、操舵室の床に足を組んで座り込む。

「背面見張り台、船尾見張り台、ミリア、ティナ、二人は船内に戻って、シェリーたちと一緒にいて下さい。機関室は現状のままで待機を」

 エリスが伝声管を通じてアルムの指示を伝えた。


 アルムは、祈りを捧げるように、魔力石を包んだ両手を胸の前に掲げる。 

 少しづつ、魔力石からぼんやりとした光が漏れ始めた。まずアルムの座る床に、幾何学模様が浮かぶ円盤状の術式が現れ、その外側を二重、三重に円環状の術式が取り巻く。続いて、同じものが操舵室の天井にも現れた。

「操舵室、こちらシェリー。ミリアとティナが戻りました。休憩室で待機しています」

 伝声管から報告が入る。これで準備は整った。

 アルムは、ふーっと息を吐くと、魔力石を握る手に力を込める。

 操舵室の床と天井を彩っていた術式が、スッと消える。次の瞬間、L57号の全長を上回る大きさにまで拡大された巨大な術式が、船の上下の空中に出現した。描かれた複雑な幾何学模様が脈打つように明暗を繰り返し、徐々に光の強さが増していく。

 あまりの光景に、操舵室の全員が声も出せず、ただ見入るほかなかった。

 アルムは、ただ静かに祈っているかのように見えるが、その頬をつっと汗が伝う。

「行くぞ」

 短くアルムがつぶやくと、二つの術式が上と下からL57号を押しつぶすように挟み込んだ。

 術式同士が接触した瞬間、キィンという高い硬質の音が響き、全てが光の粒子となって飛び散り、消えた。

 強風が吹き荒れ続ける灰色の空に、L57号の姿はどこにもなかった。


 ロンドン爆撃の失敗から2日後、フリードリヒスハーフェンのオフィスで新聞に目を通していたエッケナーは愕然とした。

 8月5日にロンドン爆撃へと出撃した6隻のうち、シュトラッサーのL70号は撃墜され、メルのL57号は北海洋上で消息を絶った。新聞記事はそう伝えていた。

「なんてことだ・・・」

 L57号は戦闘ではなく輸送任務に回されていると思っていた。その約束だったはずだ。まさか爆撃に参加させられていたとは思わなかった。

 こんなはずではなかったと嘆いても、もう遅い。船が洋上で墜落したのだとしたら、クルーは全員、生きてはいないだろう。

 この戦争が終われば、またメルたちに船を任せたいと思っていた。そのために、長距離旅客船の試作型として7万m3級の新型船の設計も進めさせていたというのに。

「・・・伯爵、メルフィリナ様、・・・申し訳ありません」

 エッケナーは、もうこの世にいない二人に詫びつつ、力なくうなだれるばかりだった。


 メルたちの未帰還を、悲劇のヒロインとして利用しようとしていた参謀本部は、爆撃失敗の3日後、8月8日に開始された連合国側の大攻勢により、それどころではなくなっていた。

 参謀本部次長ルーデンドルフ大将をして「ドイツ陸軍暗黒の日」と言わしめるほどの大敗北を喫し、ドイツの敗色はもはや覆しようがなくなっていた。

 シュトラッサーの予測通り、もはや硬式飛行船による爆撃が行われることもなく、3か月後、ドイツの敗北で戦争は終わった。


 終戦後、エッケナーは再び飛行船による航空事業の復興に取り掛かった。

 メルたちのために設計が進められていた新型船LZ126は、戦後賠償としてアメリカ海軍に譲渡されたが、その優れた性能と安全性により、1924年の完成から1939年に解体されるまで、実に15年という、硬式飛行船史上、最も長い一生を送ることとなった。 


 そして1928年、メルたちが消息を絶って10年後。エッケナーは、LZ126を更に拡大発展させたLZ127グラーフ・ツェッペリン号を就役させる。L57号にも採用したブラウガスを燃料に用い、個室のキャビンやダイニングルーム、シャワー室を備えた本格的な長距離旅客船であった。

 エッケナーは自ら船長となり、グラーフ・ツェッペリン号で世界一周の飛行に出発する。船は21日をかけて4万kmを超える距離を飛行し、その途中には人類史上初となる太平洋無着陸横断の快挙も達成した。


 グラーフ・ツェッペリン号のゴンドラに設けられた小さな船長室。

 その壁には、厳めしい表情のツェッペリン伯の写真と並んで、笑顔のメルとクルーたち15人が写った飛行船学校の卒業写真が飾られていた。

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