第15話 異世界ロセリア

 窓から押し寄せた光のまぶしさに目をつぶる。

 メルが恐る恐る目を開けた時、L57号は、先ほどとは一転して晴れ渡った空を飛んでいた。

「・・・元素の力を感じる。ここはロセリアだ」

 アルムが床から立ち上がった。

「メル、みんな無事か?」

 しばし放心していたメルは、その声にハッと気付いて周りを見回す。

 操舵室のクルーは全員、そのままの場所にいる。怪我をした様子もないようだ。

「みんな、怪我はない?」

『はいっ!』

 操舵室にいるクルーたちの返事が揃う。

「全員、異常はありませんか?」 

 エリスが伝声管を通して尋ねる。

「こちらシェリー、船務班全員、異常ありません」

「こちら機関室ロザリンド、こちらも全員異常はない。エンジンも順調だ」

 ホッとしたメルに、ロザリンドの少々不機嫌そうな声が続ける。

「・・・だが、メル、どういうことか説明してもらえるんだろうな」

「わ、わかってる。ちゃんと説明するから。まずは船を安全な場所に降ろしましょう。エンジンを微速に」

「了解だ」

 慌てて答えるメルに、伝声管から少し可笑しそうなロザリンドの声が響いた。


 船の下には、まばらに低い木が生えたなだらかな草原が広がっていた。高度はいつの間に下がったのか、200mもないように見える。ここなら着陸できそうだ。

「どうやって船を降ろそう・・・」

 しかし、いざ着陸するとなると、大きな問題がひとつあった。

 飛行船を着陸させるには、地上要員の支援が不可欠だ。地上に降ろした係留索を確保して、風で船が流されないように保持するとともに、係留索を地上に固定してもらわなくてはならない。

 しかし、ここには地上要員などいない。

「大丈夫だ。こちらなら自由に魔術が使える。魔術で風を操れば船をその場に留めることもできる。メルはいつもどおり船を降ろしてくれ」

 アルムが自信ありげに言った。自分の世界に戻れたのが嬉しいのか、少し口調が弾んでいる。

「わかった・・・着陸します。プロペラ停止」

 アルムが魔術を発動させると、船の周りを取り巻くように帯状の術式が出現する。船を風のカーテンで囲い、内部を無風にしているようだ。

 船が空中に静止すると、浮揚ガスを一部排出して降下を開始した。風に守られた船体は流されることもなく、高度を下げていく。

 地上近くまで降りたところで、アルムがゴンドラの開口部を開いて船から飛び降りた。しかし地面まではまだ10mほどある。

「ちょ、まだ梯子が・・・」

 慌ててメルが開口部に駆け寄ると、風に守られたアルムがふわりと地面に着地するところだった。

「魔術って、こんな自由自在に使えるんだ・・・」

「・・・すごいですね」

 縄梯子を用意してきたエリスも驚いてその様子を見つめている。

「係留索を降ろして。あと、船務班は集合。船を係留します」

 メルは振り返って、操舵室に指示した。


 エリスが縄梯子を降ろし、船務班の娘たちとメルが地面に立った。

「ふむ、こんな感じか・・・」 

 アルムが地面に手を付いて何かを引き出すように持ち上げると、高さ1mほどの石の柱が地面から生えた。

「アルム・・・それも魔術?」

「そうだ。地の元素を利用して、押し固め、石を生成した。船に繋ぐにはこんなものでいいか?」

「あ、うん、十分だけど・・・」

 アルムが次々と事もなげに扱う魔術に、メルも驚きを隠せない。元素の力がないという自分たちの世界ではどれだけ魔術が制限されていたのか、今更ながら思い知った。

 ただ、驚いてばかりもいられない。アルムが生成した10本ほどの石の柱に、手分けして係留索を結び付ける。

「エリス、係留索を巻き取って」

「はい、メル様」

 ゴンドラで待っていたエリスに言うと、係留索をウインチが巻き上げ、ピンと張り詰める。

 アルムが風の魔術を解くと、再び空気が動き始め、緩やかな風が草原をなでるのが感じられた。

「・・・みんな、降りてきていいよ」

 メルは思わずその場に座り込んでいた。基地を出撃してから緊張の連続。安心したらもう立っていられなかった。このままここに寝転がって眠りたい。

「メル様ー!」

 ゴンドラからヘレンが顔を出した。

「どうしたのー?」

「船がまだ動いています!」

「え?!」

 慌てて船を見上げる。係留索はきちんと張られたまま。船体は微動だにしていない。

 呆れたように微笑んで、メルはヘレンに手を振る。

「もー、ヘレン、脅かさないで。大丈夫だから、ヘレンも早く降りておいで」

「でも、窓から見える景色が動いているんです・・・!」

「そんなはず・・・・・・・えーっ?!」

 自分でも間抜けな声を上げたと思う。でも、草原の向こうに見える山が、確かにゆっくりと動いていた。

「アルム!山が動いてるんだけど・・・!」

「あぁ、ここは浮島の上だからな」

 何を驚く、と言わんばかりの口調で、アルムは平然と言った。

「浮島?」

「メルの世界にはなかったのか?空中を漂っている島のことだ。風に流されて動くのは当たり前だ」

「・・・そ、そうなの?」

 やはりここは違う世界なのだと痛感した。これからも色々と驚くんだろうな・・・メルは小さくつぶやいた。


 メルは、クルー全員を船から降ろすと、船に積んでいた水と保存食を配り、まずは休息をとることにした。

 メルはもちろん、全員が昨日から一睡もせず、何も食べていない。

 草原に座り込んたクルーたちは、ようやく緊張を解いた。

 空を見上げて放心する者、安心して涙ぐむ者、珍しそうに景色を眺める者、・・・でも、みんなが無事だったことに、メルは感謝した。

「ありがとう、アルム。あなたがいてくれたから、みんなを助けられた」

「メルたちが先に私を助けてくれたんだろう?」

 座ったまま見上げるメルの視線から、アルムは、照れくさそうに目をそらす。

「浮島の上に降りたのは幸運だった。ここには地上の人間は来られないから、危険はないと思う。みんな疲れているだろうから、しばらく眠らせたらどうだ」

「そうね・・・そうさせてもらう」

 メルは地面に手を付いて立ち上がると、ここに危険はないこと、明日朝までここに留まることをクルーに伝えた。

 そして、ここから出発する前に、何があったのか、ここはどこなのか、説明することを約束する。

 船から毛布が持ち出され、保存食で簡単な食事を終えたクルーたちは、思い思いの場所で眠りについていた。


「メル様もお休みになってください」

 エリスがメルの隣に座り、手にした毛布をメルに差し出した。

「ありがとう。エリスも疲れているでしょう・・・わたしも寝るから、エリスも休んで」

「はい、あの・・・メル様、隣で休んでもいいでしょうか・・・」

 遠慮がちに言うエリスに、メルも恥ずかしそうに囁いた。

「一緒に寝てくれる?・・・本当は、わたしも心細いんだ・・・」

 メルが草原に寝転がると、エリスも隣に横になる。

 柔らかな草で覆われた地面は少し温かく感じた。メルは毛布を広げるとエリスと一緒にくるまった。

「エリスの匂い、安心する・・・」

 毛布を顔の半ばまで引き上げて目を閉じると、メルは安らいだ表情を浮かべた。

「・・・エリス・・・これからも一緒に・・・」

 つぶやきながら、すぐに寝息を立て始めたメルに、エリスはそっと身を寄せる。

「おやすみなさいませ。メル様」

 エリスも幸せそうな表情で目を閉じる。

 寄り添って眠るのは、ずっと側にいると約束した、5年前のあの日以来だった。


メルが目を開けると、まだエリスは眠っていた。

 冷え込んだせいか、それともエリスの温もりに包まれていたかったのか、いつの間にか甘えるようにエリスの胸に顔をうずめていた。子供みたいで少し恥ずかしい・・・エリスが先に起きていなくてよかった。

 そっと身を起こすと、クルーたちもまだぐっすりと眠っていた。

 メルはエリスの寝顔を見つめる。この世界には聖女と呼ばれる女性がいるらしいが、エリスの寝顔こそ聖女、いや、天使だとメルは思う。

 いつもエリスの方が先に起きるので、メルがエリスの寝顔を見るのはかなり稀だ。この寝顔を見るためなら早起きするのもいいかも、と思っていると、ゆっくり、エリスも目を開けた。

「おはよう、エリス。よく眠れた?」

「・・・メル様、おはようございます。はい。よく眠れました」

 嬉しそうに微笑んで、エリスも身体を起こした。

 まだ明けきらぬ夜明けの空は、まだ夜の名残を残す紺色から、地平線に近くなるほど赤く、少しづつその色を変えていた。

「きれいな空・・・」

 エリスがつぶやく。

 今日からこの世界で生きていくのだ。どうすればいいのか、メルにもわからない。正直、不安はたくさんある。

 でも、みんないる。船もある。・・・メルは顔を出した朝日の眩しさに目を細めた。


 クルーたちが目を覚ました後、メルはこれまでのことを全て話した。


 ここは、ロセリアという異世界であること。

 アフリカで救助したアルムは、このロセリア世界の人間であること。

 ロセリアには、魔術があり、アルムは魔女の称号を得た魔術師であること。

 アルムの祖国、イルミナは、教会による討伐を受けており、アルムは討伐軍を退ける手段を求めて、メルたちの世界に転移してきたこと。

 ロンドン爆撃は失敗し、シュトラッサーのL70号が自分たちの盾となって撃墜されたこと。

 なんとか脱出したが、燃料の不足でドイツに戻ることができず、不時着しかない状況となったこと。

 不時着を避けるため、アルムの魔術によって、このロセリアに転移してきたこと。


 そして、メルはクルーたちに深々と頭を下げた。

「もう、元の世界には戻れません。でも、わたしは、誰も死なせたくなかった。だから、戻れないとわかっていても、転移することを決めました。みんなを家に帰してあげられなくて、ごめんなさい」

「まったく・・・メル・・・」

 ロザリンドが呆れたように頭をかく。

「船長は責任を負うものかもしれないが、何でもメルが背負わなくていい。こっちが心配になる」

 ため息まじりにメルの肩に手をかけると、ぐいっと顔を上げさせた。

「飛行船乗りは一蓮托生だ。何年も一緒に過ごしてきた私達に、もう少し甘えてくれてもいいんじゃないか?」


 クルーたちは、お互いに顔を見合わせる。メルの話には正直驚いた。ここが異世界だと言われても、実感はわいてこないが、とにかく助かったことはわかる。

 もし不時着することになっていたら、今頃、15人のうち果たして何人が生きていられただろうか。爆発物の塊と言っていい飛行船の不時着が、どれだけ危険かは良く知っている。


 爆撃に行くことを命令された時には、死ぬかもしれない、もう帰れないかもしれない、と予感した。

 イギリスに近づいて、敵機に襲われた時は、もうダメだと覚悟した。

 暗い北海の上を逃げている間、このまま冷たい海で死ぬんだと諦めていた。

 ・・・でも、全員が無事で、ここにいる。


「色々とありすぎて、全て納得とは言えないが・・・みんな無事だ。船もある。頼れる船長もいる。みんな、何か問題はあるか?」

『ありませーん!』

 全員一致だった。メルは、泣き笑いのような表情を浮かべてもう一度頭を下げる。

「ありがとう・・・みんな、ロザ姉・・・」

「さて、メルの気がすんだのなら、これからどうするか、船長の考えを聞かせてくれないか」

 ロザリンドは、メルの頭をくしゃくしゃと撫でた。


 最初に行うべきは、アルムの国イルミナに向かうことだ。

 まずは、生活の拠点となる街がなければ、何も始まらない。アルムが一緒なら、受け入れてもらえる可能性も高いだろう。

 アルムが知るイルミナ周辺の地理は、メルたちの知るヨーロッパとさほど変わらない。昨夜、ヘレンが天測を行った結果、星の配置にも違いはないらしい。

 船に備えていた航空地図で確認すると、イルミナの位置は元の世界でのドイツ南部の都市インゴルシュタットあたりだと推定された。

 天測によって割り出された現在位置からすると、イルミナまでは約300km、4時間ほどの飛行で到着できる。残り少ない燃料でもなんとかなりそうだ。


「ところでメル・・・」

 ロザリンドが言った。

「この船は、私たちの大事なパートナーだ。もうドイツ海軍の所属でもなくなったわけだし、L57号って記号みたいな名前じゃ可哀想だと思わないか?」

「新しい名前を付けようってこと?」

 問い返したメルに、ロザリンドは頷いた。船長、お前が決めろ、とその目が訴えている。周りのクルーまで、みんな期待に満ちた目でメルを見ている。

 メルは船を見上げる。・・・悩むまでもなく、みんなで飛ばす船の名前は、ひとつしか思い浮かばなかった。

「この船の名前は『ルイーゼ号』・・・みんな、どうかな?」

 思い出が詰まった大切な船の名。クルーたちからも拍手が起こる。

「メル様、その名前が一番だと思います」

「自分の名前付けたみたいで、わたし的にはけっこう恥ずかしいんだけどね・・・」

 拍手しながら言うエリスに、メルは少し頬を染めながら笑った。


「ルイーゼ号は、これより離陸します。各部最終チェック」

 すでに係留索は収容し、アルムが風の魔術で船を保持してくれている。

「気嚢内圧力正常、予備ボンベ残量は約40%です」

「方向舵、昇降舵、動翼作動確認。異常なし」

「ジャイロコンパス、磁気コンパス、作動正常」

「こちら機関室、全エンジン運転に異常なし。燃料はあと6時間」

「背面見張り台、配置につきました。周囲に障害物ありません」

「船尾見張り台、配置につきました。周囲に障害物ありません」

 各部からの報告が次々と伝えられる。

「それじゃ、行きましょうか。イルミナへ」 

 メルはアルムを振り向いて言う。

「あぁ、歓迎する。気に入ってもらえると嬉しい」

 アルムは船員服ではなく、初めて会った時に来ていたローブとマント姿に着替えていた。

「バラスト排出20、離陸します」

 ルイーゼ号は、ゆっくりと上昇を開始する。


 やがて、さっきまで着陸していた浮島の全体像が見えはじめる。

 全長5km、幅3kmくらいの楕円に近い地面が、完全に地面から離れて空中に浮かんでいた。やはり島が空を漂っているというのは不思議な光景だ。遠くの空をよく見れば、もっと高い場所にも大きな浮島が漂っているのが見える。

 視界のない夜間や雲の中でこんなものと衝突したら大変だ。ロセリアの空を飛ぶのなら、浮島の存在には気を付ける必要がありそうだ。


 安全な高度をとって前進を始めたルイーゼ号は、イルミナに向けて船首を巡らせた。

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