第33話 空爆
イルミナに引き返したルイーゼ号は、倉庫に保管していたTNT爆薬の樽を10個、積み込んだ。
クレスたちは、まだ市街地でトンネルがどこに延びているのか調査をしているらしく、学府には戻ってきていなかった。
「・・・メル、すまない」
岸壁に立って爆薬の積み込みを見ていたメルに、アルムが神妙な表情で頭を下げた。
「どうしたの?急に」
メルは、不思議そうにアルムを振り返った。
「イルミナのために、メルたちを戦わせることになってしまうことだ」
「わたしたちは、イルミナの人間じゃないのかな?」
メルの表情か悲しげに曇る。慌ててアルムは首を振った。
「そんなことはない。メルたちはもうイルミナの人間だ」
「イルミナを守るために、わたしたちもできることをしないとね」
メルは、静かに、しかしはっきりと言う。
あれだけ戦うことを拒否していたメルに、どういう心境の変化があったのか、それは気になるところだが、メルたちとルイーゼ号が戦力に加わるのは素直にありがたい。
「メル、よろしく頼む」
アルムは、もう一度メルに頭を下げた。
貨物室に積み込まれた樽10個のTNT爆薬、合計500kg。
すぐに落とせるように投下レールの上にセットされ、信管の確認も終わっている。
まもなく、警告から2時間。ルイーゼ号は再び、討伐軍によって掘られた坑道の上空にいた。
上から見る限り、人影はない。警告どおり待避してくれたのならいいが。
「メル様、時間です」
エリスが告げた。
メルは目を閉じて、ふうっと息をつく。その手をエリスがそっと握ってくれた。温かな手の感触が、緊張に固まったメルの心をほぐす。
メルは貨物室へと続く伝声管の蓋を開いて、一言づつ区切るように、はっきりと命令した。
「・・・貨物室、投下、開始」
貨物室で待機していたシェリーが、伝声管から響いた声に反応して、サッと合図する。
船務班のティナとアリスが、樽を固縛していたワイヤーの連結を外すと、重力に従ってレールの上を樽が転がり始めた。
そのまま、開いている貨物室の開口部から次々と空中に飛び出していく。
数秒後、足下で大きな爆発音が連続して起こり、上空のルイーゼ号まで衝撃が伝わってきた。一帯が巻き上がった土煙に覆われる。どこか離れて見ているであろう討伐軍の兵士達も度肝を抜かれているはずだ。
「すごいな・・・」
ゴンドラの開口部から眺めていたアルムがつぶやく。アルムも爆薬の威力を見るのは初めてだ。
「表向きは、アルムが魔術でトンネルの入り口を埋めた、そういうことにしておいて。爆薬のことは秘密。・・・もし話すとしても、クレス様だけにしてほしい」
アルムの隣に立ったメルが固い声で言った。
「せっかくのメルのお手柄なのに、どうして隠すんだ?」
「爆薬・・・火薬がこの世界に広がるのは避けたいの」
火薬。地球では中世以前に発明されたといわれるが、それは以後の歴史を一変させた。
もちろん平和的な利用による恩恵も計り知れない。しかし、その力が戦争の手段として利用されると、大砲、銃、爆弾と際限なく発展し、戦争の犠牲者を飛躍的に増大させた。
今、この世界にある爆薬はメルたちが持ち込んだものだけだ。多いと言っても4トン。今日、500kgを使ったから残り3.5トン。しかも、TNTはただ火を付けただけでは爆発しない。起爆には信管が必要で、この世界の技術で信管は作れない。だから、メルたちの保管しているTNTがそのまま悪用されるとは思わない。
しかし、この世界の人間に発想を与えてしまうのが危ない。人間は、発想を得て、それが必要なものであれば、困難であってもいつか作り上げてしまうからだ。
初歩的な黒色火薬であれば、この世界の材料と技術でも作れてしまう。
この世界では魔術で色々なことができる。魔術なしで何かを行うより、魔術に頼ってしまった方が簡単だ。だから、魔術に頼らないで何かをしようという意欲が乏しく、科学的な研究開発が育たない。
地球よりも全体に技術水準や生活水準、社会の成熟度が遅れているのもそのせいだろう。だから、火薬もまだその発想すらない。できればそのままにしておきたい。
「アルム、あれだけの爆発を、魔術師じゃなくても、誰でも起こせるようになるとしたら、どう?・・・わたしたちの世界の戦争を見たでしょう?」
メルの言葉を聞いたアルムは、その光景を想像して顔をしかめる。
「わかった・・・母様に話すにしても、この戦争が終わってからにするよ」
アルムの言葉に頷き、メルは視線を下へと向ける。
まだ土煙が舞っている坑道の入り口は、周りから崩れ落ちた大量の土砂で完全に埋もれていた。
「これでトンネルは使えないはず」
ルイーゼ号は、ゆっくりと向きを変えてイルミナへと船首を向ける。
・・・その時、再び轟音が響いた。爆発音ではない、地響きのような重々しい空気が震えが伝わってくる。
「?!」
「メル様、城壁が!」
アメリアが叫ぶ。
イルミナの街を囲む高さ10m以上の堅牢な城壁、その一部の足元から土煙が上がり、水平だった城壁の上部が波打つように窪んでいく。
そして、スローモーションのように石材を撒き散らしながら、城壁は目の前の濠の中へと崩れ落ちた。大きな水しぶきと土埃が舞い上がり、辺りに立ち込める。
まるで現実感のない光景に、操舵室は静まり返っていた。
「・・・なっ・・・、城壁が・・・」
アルムが辛うじて声を絞り出す。メルは手のひらを口に当てて硬直している。
「メル様、メル様っ!」
声をかけてくれたエリスに、のろのろとメルは振り返る。
「エリス・・・」
辛うじて返事をしたものの、メルの口元は震え、カチカチと歯が小さな音を立てていた。
エリスは無言でメルを抱き締める。メルを落ち着かせるには、これが一番だとわかっている。
メルの身体から余分な力が抜けた。
「メル様、大丈夫ですか?」
「うん・・・」
メルは、恥ずかしそうにエリスから身体を離す。
改めて窓から見ると、水しぶきはおさまり、城壁は幅50m近くに渡って崩壊していた。
城壁に隠れて見えないイルミナの街の姿が外から見えている。
「何が起こったの?」
「・・・それが・・・突然、城壁が崩れたとしか・・・」
アメリアが、戸惑ったような声を上げる。彼女自身、見たものが信じられないのだろう。
「急に、城壁が地面に沈み込んで、そのまま崩れ始めて・・・」
アメリアの答えを聞いたメルとエリスは、ハッと顔を見合わせる。
「・・・!・・・しまった・・・」
「メル様・・・!」
シェリーが指摘していた。坑道戦の目的は大きくふたつ。思いがけない場所に兵士を送り込んで奇襲を仕掛ける。もうひとつ・・・実際にはこちらの目的で使用されることが多いが・・・建造物の基礎を掘りぬいて、崩壊させる。
「警告なんてするんじゃなかった・・・わたしが時間を与えたせいだ・・・」
メルは悔しそうな表情で、ぎゅっとこぶしを握る。この後に及んで、兵士を殺さないように配慮した・・・いや、躊躇ったのが間違いだった。
「どうした?メル・・・?」
アルムが、不思議そうにメルを見つめる。
「私達にトンネルが見つかってしまったため、討伐軍が城壁の下のトンネルを崩したんだと思います」
メルに代わってエリスが答えた。
すでにトンネルは城壁の下まで届いていたのだ。支えていた支保工を破壊してトンネルを崩せば、その上の城壁は基礎を失い、崩壊するというわけだ。
爆薬の搭載に必要だったとは言え、メルは2時間の猶予を討伐軍に与えてしまった。
魔術で優位にあるとは言え、兵力の少ないイルミナが討伐軍を防ぐには城壁による防御は不可欠だ。もし、これで討伐軍の攻勢を許し、イルミナの市民に犠牲が出たなら、後悔してもしきれない。
「エリス、急いで戻って、残りの爆薬を積もう。討伐軍が兵を進めてくる前に!」
「メル様、お待ちください!」
エリスは、じっとメルの目を見つめた。
メルは討伐軍が侵攻してくる前に、残る全ての爆薬を討伐軍の頭上に落とすつもりだ。
「早くどうにかしないと!・・・わたしのせいで、もし討伐軍がイルミナに侵入してきたら・・・」
エリスは、ゆっくりとを首を横に振る。
「メル様のせいではありません。それに、ラケルス様が仰ったことをお忘れですか?街への侵入は防がなくてはいけませんが、討伐軍に過剰な犠牲を与えるのも避けなくてはいけません」
ザルツリンドでラケルスと相談した方針・・・防衛に徹し、討伐軍への被害は抑えつつ、討伐を中止に持ち込む。
法王と教会の分裂は想定していなかったが、討伐軍との本格的な衝突を避ける方針に変わりはない。
「でも・・・!」
「メル様、崩れたのは城壁の一部だけです。まだ討伐軍も動いてはいません。時間はあります。クレス様、ミネア様とも相談しましょう」
エリスがメルに対して強く反論することは珍しい。
でも、このまま焦りに任せて爆撃を行ってしまったら、後できっとメルはひどく後悔する。だからエリスは退かなかった。
いつも味方してくれるはずのエリスの反論に、フィルは落ち着きを取り戻す。
「・・・ごめん、エリス。・・・慌てて先走るところだった」
俯いて肩を落としたメルの手をエリスが握りしめる。
「メル様・・・メル様だけが戦うのではありません。私も、アルムも、クルーのみんなもいます。お一人で背負わないでください」
「エリスの言うとおりだ。これはイルミナと正教会の戦争なんだ。責任はイルミナに押しつけていい。メルは何でも背負いすぎだ」
アルムも、苦笑まじりに言った。
「さあ、メル、これからどうするか、早く戻って相談しよう」
「ありがとう、エリス、アルム」
顔を上げたメルは、少しだけすっきりした表情を浮かべていた。
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