第34話 イルミナ攻撃
「早速ですが今後の対応を相談したいので、来ていただけますか?」
ルイーゼ号の帰還を岸壁で待っていたクレスは、さすがに疲れた表情を浮かべていた。
メルは、アルム、エリスととともにクレスの案内での魔女の館へと向かう。
ルイーゼ号は、すぐに出港できるようにエンジンを動かしたまま待機。魔女の館の使用人に頼んで、船のクルーたちに食事を届けてもらうようにした。
魔女の館の食堂では、落ち着かない様子でミネアとアリアが待っていた。
「・・・討伐軍が、また何かご迷惑をおかけしたようですね」
ここからは崩壊した城壁は見えないが、急いで出港するルイーゼ号や、慌ただしい魔術師たちの様子を見ていたのか、ミネアが申し訳なさそうに言った。
「エルミネア様、のんびり交渉している場合ではなくなってしまいました。あなたのお知恵もお借りしたい」
クレスは、状況を簡単に説明する。
問題は、城壁が崩れた場所の防備だ。城壁がないところに討伐軍が数にまかせて侵攻してきたら、魔術師たちだけで完全に防ぎきるのは難しい。現実的に軍隊相手に戦闘が行えるレベルの魔術師は多くないのだ。学府や都市全体から集めても100人に満たないだろう。
さすがに浮島に築かれている学府への侵入は容易ではないが、市街地を制圧されたらいつかはジリ貧だ。
実質的に、市街地を制圧された時点で、イルミナの降伏は時間の問題になると考えて良い。
最終手段としては、メルが考えたように、ルイーゼ号で爆撃するという方法はある。
しかし、爆薬を使用した爆撃は、この世界においてあまりにも威力過剰だ。数百、場合によっては千人単位の死傷者が出る。武器と言えば剣や槍、弓矢というこの世界の『当たり前』の戦争とは死傷者の桁が違う。
それをやってしまえば、イルミナは他国から恐れられ、第二、第三の討伐軍が組織されるだろう。
「土の魔術で応急的に城壁を修復するのは、やはり難しいの?」
メルが小声でアルムに尋ねる。
「なにしろ範囲が大きい。すぐにというのは難しいな・・・」
ガチャリ、とドアが開いて、ヴァンデルが部屋に入ってきた。
「地の魔術が得意な者を動員したが、やはり数が足りない。元の半分の高さまで城壁を修復するだけでも、5日はかかる」
ヴァンデルは前置きなしに言った。城壁の崩れた部分も前面に広い濠があり、完全に無防備ではないが、筏を利用したり、木材で仮橋を造ったり、兵を渡す方法はある。
「父様、何か方法はないの?」
アルムの前で情けない顔はしたくないヴァンデルだが、この状況では困惑した表情を浮かべるしかなかった。
「・・・崩壊がこれ以上広がらないように、周りの城壁も補強しなくてはいけない。とても手が足りないんだ」
魔術は便利だが限られた者しか使えないため、こういう人手が必要な状況には弱い。
そして、ヴァンデルはもう一つの情報を口にした。
「それに、ザルツリンドのラケルスから知らせが来た。どうやら、討伐軍は大型の攻城兵器をこちらに移送したらしい」
「攻城兵器というのは?」
アルムの質問に、ヴァンデルは近くにあった羽根ペンと紙を取り、2種類の簡単なイラストを描いた。
「城壁を破壊したり、城壁の外から城内に攻撃を行うものだな・・・こちらはトレビュシェ(錘式投石機)、こちらはバリスタ(攻城弩弓)という」
ヴァンデルは仕組みや威力の説明を始めた。
地球でも火薬による大砲が実用化されるまで使われていた大型攻城兵器だ。兵糧攻めから攻勢へ方針転換してから、トンネルの掘削と並行して準備していたのだろう。
どちらも300~400mの最大射程を持ち、濠を超えて攻撃することができる。魔術師が使うほとんどの魔術よりも射程が長いため、城壁を修復としようとすれば攻撃にさらされることを覚悟しなくてはならない。
それに、もしも城壁を越えて市街地の内部に持ち込まれたら、学府への直接攻撃も可能になる。
「・・・」
悪い材料だけが揃っていく反面、妙案はない。食堂が沈黙に包まれる。
「ラケルス様と相談した作戦をやってみてはいかがでしょうか?」
小さく手を挙げてアリアが言った。
ラケルスの作戦、それは法王と和睦の合意ができた後、討伐軍に参加している領主たちを大人しく撤退させるための方策だった。
すでに色々と前提は狂っているが、現状、ミネアとアリアは法王と聖女の地位を解かれているわけではないし、教会の主流派と対立していることもまだ討伐軍には届いていない。
「クレスティーア様、私の名で討伐中止の文書を発し、アリアを使者として討伐軍に届けます。今頃、法王府のボルディアニス大主教は、討伐の継続とイルミナへの攻勢を命じる文書を発出しているでしょうが、ロムルスからここまで届けるには、最低でも10日はかかります。都合よく撤退してくれなくても、城壁の修復を行う時間稼ぎにはなるのではありませんか?」
「・・・確かにそのとおりですが・・・」
ミネアの提案にクレスも頷くが、心配そうにアリアを見つめる。
「しかし、アリア様は討伐軍に殺されそうになったと聞きます。危険ではありませんか?」
「お心遣いありがとうございます。しかし、討伐軍を信用させるには、討伐軍の将兵に顔を知られているわたくしが行くのが最適だと思います。行かせてください」
少し緊張した表情を浮かべているが、アリアははっきりと言った。
「母様、私がアリアに付き添います」
アルムが名乗りを挙げた。そして、がっとアリアと肩を組む。
「えっ、えっ?!」
驚くアリアに、アルムはにやりと笑う。
「安心しろ、アリアはちゃんと守る。・・・でないと、メルに怒られるからな」
「そうよ。ザルツリンドで言っとおり、アリアはルイーゼ号のクルーになってもらうんだから」
少し違う方向に盛り上がる話に、アリアは戸惑いながらも、嬉しそうな表情を浮かべた。
「それじゃ、エリス、わたしたちも行こう。ルイーゼ号が上から見張っていれば、討伐軍もうかつなことはできないでしょう」
悪戯っぽく微笑むメルに、エリスも笑顔で頷く。
「はい、メル様。いざとなれば、私もアルムを手伝います」
4人の様子に、クレスは深くため息をつき、諦めたように言った。
「・・・メル様もアルムも・・・いいわ。行ってきなさい。エルミネア様、早速、文書の作成をお願いします」
「わかりました・・・ふふっ」
クレスとは対照的に楽し気に微笑み、ミネアは用意された上質な羊皮紙に羽根ペンを滑らせる。文書の内容は、イルミナへの討伐許可を撤回するもの。ミネアは、首から下げていた法王の印璽を取り出すと、自らの署名の横に押印し、クレスに文書を確認させる。
「今回はひとまず討伐の中止のみとします。戦後処理の詳細は、教会の掃除を終えてから、ということでいかがでしょうか?」
「それでかまいません」
クレスはひとつ頷いて文書をミネアに返す。
ミネアは、くるくると紙を丸めるとリボンで巻き、その結び目に熱した蝋を垂らして印璽を押した。封蝋が固まるのを待って、ミネアは文書をアリアに手渡す。
「頼むわね。アリア。・・・皆さん、アリアのことをよろしくお願いします」
「イルミナのことは私とヴァンデルに任せなさい。城壁の修復もできるだけ急がせます」
「ラケルスも色々と動いてくれているようだ。皆、よろしく頼む」
親3人がそれぞれ声をかける中、メルたちは動き始めた。
「うーん・・・全体で、約三千ってとこかな」
双眼鏡で覗きながら、メルは小さく唸った。
ルイーゼ号は、討伐軍の陣営から少し離れた場所でプロペラを止めて遊弋し、討伐軍の様子を伺っていた。
城壁が崩れたのを見て、討伐軍は森の中の陣を引き払い、森とイルミナの間の草原に隊列を組んでいた。
数十人単位のグループが長方形に並び、それが一定間隔を開けて配置されている。古代ローマでレギオンと呼ばれた「方陣」形式の密集陣形によく似たものだ。
グループの間には、遊撃戦力として騎兵や弓兵、またヴァンデルからの情報にあった大型兵器、トレビュシェ(錘式投石機)とバリスタ(攻城弩弓)も配置されている。
トレビュシェは見る限り3基。かなり大型で、台座に車輪が取り付けられているとは言え、巨大な錘をぶらさげているため、重量も相当にある。相当な人数で押さないと動きそうも無い。
おそらく、あの場所に据えたまま、城壁の崩壊部分を狙って攻撃し、修復させないようにするのだろう。
対空兵器ではないが、かなり高い弾道で石などを投擲するため、下手に高度を下げたらルイーゼ号にも当たってしまう可能性がある。なにしろ全長約200mの巨体だ。手の届く場所にあれば、これほど当てやすい的もない。
「戦いになったら、早めに潰しておいた方がいいわね」
メルはつぶやく。ルイーゼ号の貨物室には、爆薬が積み込まれている。使わずに済ませたいとは思っているが、万が一の時には軍勢を止める手段が必要だ。
トレビュシェの近くに爆薬を2~3発落としてやれば無力化できるだろう。
戦力としてはバリスタの方が数も多く、脅威に見える。大型のクロスボウのようなバリスタは、太い木杭や鉄槍を矢として発射する。バリスタは大きな車輪のついた台車の上に取り付けられており、馬で引くように作られていた。地球での野戦砲のような運用ができそうだ。
バリスタはざっと見たところ20基。機動性も高いとなると爆撃でピンポイントに潰すのは難しそうだ。
どちらも城壁を盾に魔術を使えばさほどの脅威ではないが、崩れた場所を集中的に狙われると面倒だ。
イルミナに向けて前進していた討伐軍の陣営は、ある程度進んだところで前進を止めた。城壁からの魔術が届かない位置だ。城壁を崩すことに成功したとは言え、ごく一部、警戒するのは当然か。
アルムとアリアは、ルイーゼ号には乗っていない。法王の使者らしく馬車で正門から出て、討伐軍の前に堂々と進む手はずとなっているが、準備に手間取っているのか、まだ出てくる様子がない。
後方に鎮座していたトレビュシェが動いた。キリキリと綱が巻き上げられ、錘をぶら下げたアームの下端が持ち上がっていく。
そして、固定綱が開放されると、一気に落下する錘に引かれて長大なアームが回転し、大きな岩の塊を空中に投擲した。
ブゥンと空気を切り裂く音を立て、放物線を描いた岩は、城壁の崩落部分の周辺に落下して轟音と土煙を上げる。おそらく1個100kg以上ありそうだ。ただの岩とは言え、その質量と落下速度からもたらされる威力は大きい。
討伐が始まって約1年。初めての直接攻撃がイルミナに着弾した。
「・・・トレビュシェを潰します。エンジンをプロペラに接続、機関前進微速」
攻撃が始まったのを見て、メルは表情を引き締めた。
「貨物室、爆撃用意」
ルイーゼ号はゆっくりと回頭し、トレビュシェの射線に入らないよう、やや後方から接近した。
「最低限で行きましょう。完全に破壊しなくても、使えなくするだけでいいわ」
メルの指示にエリスが頷き、伝声管で貨物室に伝える。
ルイーゼ号がトレビュシェの真上に着いたところで、爆薬の樽が2つ、空中に投げられた。
数秒遅れて轟音が響く。直撃はしなかったが、至近距離で爆発した。爆風に煽られ、傾いたトレビュシェの巨体がそのまま倒れていく。
巻き込まれないように、周りの兵士達がバラバラと逃げていくのが見えた。
そして、続けて残り2つのトレビュシェにも爆薬を降らせる。一基は爆風であっけなく転倒し、最後の一基は直撃によりバラバラとなった。
高度を下げたところをバリスタで攻撃されるのを警戒していたが、バリスタ隊は、攻撃されるトレビュシェを無視して、崩れた城壁の近くに集結していた。
先にトレビュシェの投擲を浴びせられていたため、城壁に魔術師の姿はなく、濠のギリギリまで接近したバリスタ隊を迎撃する者はいない。
「メル様、バリスタが射撃の準備を始めています!」
双眼鏡でバリスタ隊の様子を見張っていたエリスが報告する。
「目標は?こっち向いてる?」
「いえ、全門、城壁が崩れた場所からイルミナ方向を狙っています。街を攻撃するつもりです」
メルは、悔しげに奥歯をかみしめる。
「取り舵20、バリスタ隊を爆撃します」
しかし、すでに射撃準備を終えたバリスタ隊を止めるには少し遅かった。
バシュン、と大きな音を立てて、20基のバリスタが一斉に射撃を行った。
「・・・!」
思わず息を呑むメルの前で、大きな槍と言って良いような黒い矢がイルミナの中へと飛んでいく。弾道が低い。城壁があれば城壁に突き刺さって終わりになるところだが、城壁の崩れた部分から、矢はイルミナの内部に飛び込んでいく。
「・・・え?」
ほどなくして、メルの声が怪訝そうなものに変わった。
バリスタはクロスボウの巨大版だ。当然、矢は飛ぶほどに空気抵抗で速度を失い、重力に従って落下していく。だから、遠距離を狙うには仰角をかけて放物線状の弾道で狙う。
弾道の低くし、標的に向けて直線的に放った矢は、命中精度こそ高いが、遠くまでは届かない。
しかし、バリスタから放たれた黒い矢は、全く速度を落とさず、市街地の上を一直線に飛んでいく。
おかしい、普通の矢がそんな飛び方をするわけがない。
「メル様、あの矢、風の魔術を使っています」
エリスの目には、微かに緑色の光を放つ風の元素が見えていた。
「風の障壁と同じような効果です。風の魔術で矢の前面を遮り空気抵抗を受けないようにすると同時に、揚力の補助を行っています」
「それじゃ、失速も落下もしないってこと?」
「はい、完全ではないので、どこまでも飛ぶとは思えませんが、相当に射程が伸びると思います」
エリスは厳しい表情で頷く。バリスタの射程は通常なら最大300mほどだが、空気抵抗がなければ当然、射程は数倍以上に延びる。矢の飛ぶ先にあるのは、イルミナティ学府だ。
「当たる・・・!」
メルが思わずつぶやいた瞬間、ほとんど初速を落とさないままの矢がイルミナティ学府の中央に立つ塔に突き刺さり、また塔をかすめて外壁を削り取った。
慌てて双眼鏡を覗いて塔を確認し、メルはホッと胸をなでおろす。矢は風の魔術で射程を伸ばすだけで、爆発を起こしたりする効果なかったようだ。いくら大きな槍ほどの矢であっても、それが刺さる程度では、さすがに塔は崩れる様子を見せなかった。
しかし、こんなものを何度も射かけられたらたまったものではない。
「爆撃開始」
メルは伝声管に叫んだ。
ルイーゼ号がバリスタ隊の上に差し掛かると、空から大量の樽が降り注いだ。トレビュシェの時とは違い、片っ端から粉砕するように連続して爆発が起こる。
粉塵が晴れると、バリスタ隊が並んでいた場所は、粉々になった木の破片で埋め尽くされていた。
慌てて濠に飛び込んで逃げた兵士達が、呆然とルイーゼ号を見上げている。
「・・・これで、お膳立ては整ったかな」
ため息をひとつついて、メルは討伐軍の陣営の方に目を向けた。
メルの視界の隅に、討伐軍の陣営に近づく1台の馬車の姿が見えた。
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