第26話 ルネアリアの事情
ラケルスからの呼び出しがあったのは、それから間もなくだった。
襲撃があってからまだ昨日の今日だ。クルーは宿で待機してもらい、襲撃の現場にいた4人、メル、エリス、アルム、アリアだけでラケルスが待つ領主館へ向かった。もちろん、ラケルスの側近が警護についている。
宿の方にも、新たに警備の兵士が配置されていたので、とりあえずは安心だろう。
領主館までは近い。門から中に入ると、正面の本館へと案内された。
廊下を奥に進み、通されたのは領主の執務室のようだ。手前に8人掛けのソファセットがあり、奥の窓際に執務机が置かれている。
両側の壁には黒く光沢のある木で組まれた本棚が並び、華美な装飾は極力廃されていた。
4人が部屋に入ると、執務机で書類に目を通していたラケルスが顔を上げた。
そして、立ち上がると、深く頭を下げる。
「こんなことになって大変申し訳ない。こちらの警備の不行き届きだ。・・・エリス嬢が無事で、安心した」
「ラケルス様、ご心配をおかけいたしました。私はもう大丈夫です」
穏やかに微笑んで一礼するエリスに、ラケルスも表情を和らげる。
「メルフィリナ嬢にも辛い思いをさせたと思う。すまなかった」
「いえ、わたしもエリスが無事なら、それで・・・。ただ、今後のこともありますので、色々とお話を聞かせて頂きたいのですが」
メルの要望にラケルスは、4人をソファに座らせると、自分も向かい側に座った。
「まさか、他の一般客もいる商業ギルドの宿を襲ってくるとは、こちらも予想外だった。何か手を出してくるならルイーゼ号の方だと思っていた・・・いや・・・言い訳だな。本当に申し訳なかった」
ラケルスは深くため息をつくと、話を進めた。
「昨夜捕らえた襲撃犯は、こちらで捕らえて尋問した結果、聖堂に滞在しているコップル男爵配下の騎士だと判明した。少し拷問にかけただけで、目的は聖女の暗殺だと簡単に喋った。全く、コップルもコップルだが、部下もロクのがおらんようだ」
バカにするように、ラケルスは鼻で笑う。そして、じっとアリアに視線を向けた。
メルは、アリアに向かって小さく頷く。椅子から立ち上がり、アリアは胸の前で両手を重ねる。
「ラケルス伯爵。ご挨拶が遅くなり、大変失礼をいたしました。わたくしは、正教会の聖女、ルネアリア・アスクラピウス。以後、お見知りおき下さいませ」
「聖女様。ザルツリンドへの来訪を心より歓迎いたします」
ラケルスは驚いた様子もなく、立ち上がって一礼した。そして、アリアに着席を促すと、自分も腰を下ろした。
「聖女様・・・聖女様はコップルの一行と一緒だと伺っておりましたが、実際はメルフィリナ嬢の船に乗っておられた。どのような事情なのか、お話し頂けますか?」
「はい。・・・まずは、わたくしが命を狙われるようになった理由からお話しします」
アリアは、ゆっくりとした口調で話し始めた。
アリアは、正教会の総本山である法王府から派遣され、聖女としてイルミナ討幕軍を率いる立場に置かれていた。もちろん、直接の指揮をとるわけではなく、イルミナ討伐を正当化するためのお飾りである。
どちらかというと、討伐軍の陣にいるよりも、教会の象徴として周辺の都市や村々を回って恩恵を授け、民衆の支持を集めるのが主な仕事となっていた。
しかし、アリアは与えられた仕事を超えて、困っている人がいれば、請われるまま治癒を施し、熱心に教会の教えを説き、時には、貧しい者が暮らす下町にも足を踏み入れた。
しかし、その旅の間に、少しづつアリア自身がイルミナ討伐に疑問を感じ始めた。
討伐軍で聞かされるイルミナの話は、魔術を餌に、時には脅迫に使い、食料や資源を一方的に取り上げ、自分たちの魔術研究のためには人間を犠牲することすらためらわない、非道極まりない集団、というものだった。
それなのに、アリアが旅した街で聞いたのは、イルミナから送られていた薬や素材が届かなくなり、定期的にやって来て、人々の依頼を請け負ってくれていた魔術師たちも来なくなった、そのため、大変困っているという話だった。
彼らは、護衛の騎士や教会の神父たちが近くにいる時はそんな話をしなかったが、治療の合間などにアリアが尋ねると小声ながら素直に話をしてくれた。
アリアにできるのは治癒だけだ。もちろん、それはそれで大変感謝されたが、ただ怪我や病気が治るだけで人は生きてはいけない。
水魔術を使った水源や井戸の浄化、地魔術による農地の活性化、火魔術を刻んだ元素石は夜の明かりや食べ物の煮炊きに欠かせなかったし、風魔術を使えば暑さ寒さも和らげることができた。魔術と魔術師たちは、人々の生活に深く関わり、その生活を助けていた。
しかし、イルミナ討伐が始まったことで行き来がなくなり、街の外の魔術師たちも巻き添えを恐れて身を隠すようになった。そのため、今まで魔術で簡単にできていたことが、何倍もの手間がかかったり、諦めなくてはいけなくなったのだ。
教会も信仰しているが、かと言って、イルミナの魔術がなくなっては困る。それが人々の偽らざる本音だった。
教会では助けられない部分がある以上、イルミナとも手を取っていけないか。アリアはそう考えるようになった。
しかし、それを討伐軍に参陣する領主たちに話してしまったのが間違いだった。
「わたくしが愚かでした。教会の信徒である領主たちなら、民の生活をきちんと考えてくれると思ったのに・・・」
アリアは、ローブの裾をぎゅっと握りしめる。
討伐軍の諸将である領主たちは、イルミナの魔術が民衆の生活に欠かせないことなど百も承知だった。
しかし、イルミナという他国に民の生活に必要な魔術を握られている領主や貴族たちにとって不都合、自分たちよりもイルミナの方が民への影響力が大きいのは由々しき事だ。彼らと手を組んで特権的な利益を得ている地方教会もまた、領主の支配が揺らいでは困る。
進んだ魔術を自分たちの物とし、神の恩恵と魔術、その両方を掌握して支配を盤石にする。そのために領主と地方教会が企んだのがイルミナ討伐だ。ようやく法王府のお墨付きを得たのに、中止などされてはたまらない。
大きな影響力を持つ上に、自分たちに不利な考えを持つ聖女など、討伐軍に参加する領主たちにとって、邪魔でしかなかった。ただ、さすがに聖女であるアリアに直接何かすることはできない。
それまでと変わったのは、何かと理由をつけて街に出してもらえなくなり、討伐軍の陣の中でほぼ軟禁状態にされたことだった。
しかし、そうした領主たちの思惑とは別のところで、どうやら教会中央から、秘密裏に暗殺の指示が出たらしい。それを命ぜられたのがコップル男爵というわけだ。
「聖女の暗殺は、討伐軍の暴走ではなく、教会中央からの命令ということか?」
初めて教会側の内部事情を知ることになったアルムは、腕組みしながらアリアに尋ねる。
「はい。確たる証拠はありませんけど・・・。わたくしも、法王様がそんなことを指示されるはずはないと思っていますが、教会の中には、わたくしを排除したい人たちがいるようです」
自分の命どうこうよりも、自らの目的のために他人の命を奪っても良いと考える者が教会にいるということが、アリアにとっては悲しかった。
「なるほど。しかし、聖女が殺され、それがイルミナ関係者の仕業となれば、教会は討伐を止めるわけにはいかなくなる、そういうことですかな・・・私がイルミナと関係が深いことは他の領主達にも良く知られている。それでこの街を選んだのか・・・」
ラケルスは、不愉快そうな表情を隠さない。アルムも同様だった。
アリアは俯いていた。自分に向けられていた悪意を思い出したのか、小さく震えている。
「10日ほど前、急にザルツリンドを経由してコップル男爵の領地へ向かうことになりました。名目はいつものとおり、神の恩恵を民衆に授けるためとのことでしたが、いつも供をしてくれていた者たちは誰も連れて行けず、騎士たちに囲まれて、罪人を護送するような旅でした。そこで、騎士達が暗殺のことを噂している声を聞いてしまい、わたくしはこの旅のどこかで殺されるのだと知りました。幸い、女性の従者が誰もおらず、着替えや清めの時は一人になれたので、その隙をついて逃げ出したのです。・・・でも、お恥ずかしいことに、何の準備もせずに逃げたわたくしは、荒野を彷徨って行き倒れる寸前となり、放浪民たちに助けられたのです」
放浪民たちの惨状を思い出し、メルとエリスは、表情を曇らせた。
「貧しい暮らしにも関わらず、食べ物を分けてくれました。わたくしがちょっとした怪我を癒すだけでずいぶんと感謝されました。きっと、彼らを助けようとする教会の人間は、これまでいなかったのでしょう。・・・でも、わたくしを追ってきた騎士たちに襲われて・・・」
アリアは声を詰まらせる。
「・・・わたくしだけがメル様たちに助けられ、今ここにいます・・・」
話を終えると、アリアは彼らの冥福を祈るように、胸の前で手を組み、黙祷した。
「聖女って教会では大切な存在ではないの?討伐軍に都合が悪いからと言って、暗殺なんて・・・」
メルは、不思議そうにアリアに尋ねる。
「自分で言うのもなんですが、聖女というのは、人々にとっては実在しなくても良いのかもしれません」
アリアは少し寂しげに笑った。
「聖女は、普段は法王府がある大聖堂の奥にこもり、限られた場にしか現れません。治癒を施すのも、教会が選んだ限られた人だけ。・・・わたくしの顔も知らない信者の方が多いでしょう。多くの信者たちにとって、教会とは、身近にあって街や村の住人に恩恵を与えてくれる地方教会の者たちです。彼らがいさえすれば、わたくしがいなくても、実際にはほとんど何も変わりません。聖女が彼らの前に現れることは、一生に一度あるかどうかなのですから」
助けるべき人々に寄り添いたいという、アリアの素朴な思いを叶えるには、もう教会は大きくなりすぎた。
「今回の討伐軍に参陣している領主たちにしてみれば、聖女がいてもいなくても、討伐さえ成功すれば良いのでしょう」
「・・・アリア、そんな・・・」
メルはだんだん腹が立ってきた。せっかく素晴らしい治癒の力を持っているのに・・・それを人々のために使いたいと言ってくれる立派な聖女様なのに、アリアが可哀想だと思った。しかも、邪魔になったから暗殺だなんて、理不尽にもほどがある。
「アルムには申し訳ないのですが、・・・イルミナ討伐が始まったおかげで、わたくしは初めて、色々な街や村を回ることができました。直接、人々と話をして、困っていることを聞いて、治癒を施して、役に立てることが本当に嬉しかった。このまま、どこかの教会で、ただのシスターとして人々を助けて暮らせたら・・・、そんなことも考えました」
諦めたように言うアリアに、メルはバンッと机を叩いて立ち上がった。
「アリア、ここで殺されたことにして、わたしたちの船に来ればいい。聖女なんか辞めて、ルイーゼ号で一緒に旅をしよう。色々な街へ行って、困っている人を助けて、アリアが思うようにすればいいよ」
「メル様・・・」
アリアが驚いて顔を上げた。藍色の瞳が戸惑いに揺れている。
「まあまあ、メルフィリナ嬢、少し落ち着きましょう」
苦笑を浮かべてラケルスは言った。
「さすがに、ここで聖女様が殺されたことにされては、ザルツリンドが困りますので」
あ・・・と声を上げて、メルは慌てて口を押えた。
「すいません。アリアの事情を聞いていたら、つい・・・でも、アリアの思うようにさせてあげたいんです。アリアはエリスを助けてくれました。わたしにできることなら、力になりたい」
手を口元に当ててしばし考えていたラケルスは、考えがまとまったのか、少し口元を上げた。
「私も、できれば聖女様のご希望を叶えて差し上げたいと思います。ただ、同時にイルミナ討伐を終わらせる方法も考えなくてはなりません。ルイーゼ号が物資輸送に活躍しているおかげで、討伐軍の結束は乱れています。もう一押しなのです」
ラケルスはアリアに視線を向ける。
「そこで、聖女様にご協力を頂きたい。聖女様が法王に掛け合えば、討伐の許可を取り消すことはできるのでしょうか?」
「おそらく、できると思います」
アリアは頷く。討伐の長期化を懸念し、法王府から討伐を催促する手紙が幾度も届いていた。討伐の長期化は、かえって教会の威信を損なう。教会の面子を損なわない適当な理由さえあればなんとかなるはずだ。
続いてラケルスはアルムに尋ねる。
「イルミナは、もし討伐軍が攻勢をかけてきた際に、凌ぎきることは可能ですか?退ける必要はなく、街への侵入さえ防げればいい、むしろ討伐軍にはあまり被害を与えないようにできればベストですが」
「・・・微妙に難しい注文だが、母様や父様がうまく考えると思う」
「結構です」
ラケルスは満足そうに笑みを浮かべたが、アリアもアルムも怪訝そうな表情だ。メルは首をかしげ、エリスは静かにラケルスの様子を見ていた。
そして、続いたラケルスの言葉に、全員が息を呑んだ。
「戦いを終わらせるために、聖女様には戦場で死んで頂きましょう」
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