第18話 メルの答えと補給の問題

 アルムは貨物室の爆薬をイルミナに譲渡することで、メルたちが戦わなくて済むようにしようと考えていた。

 メルが戦いを避けたいのはわかっている。しかし討伐軍を退けるのに協力しないのでは、評議会は受け入れを拒むかもしれない。そこでメルは答えを迷うと思っていた。

 メルが答えに詰まったところで、アルムから爆薬の使用を提案するつもりだったのだが、メルは即答で拒否してしまった。

 正直、メルたちを戦わせず、かつ討伐軍の撃退に協力する方法は爆薬を使用する他に思いつかない。

 しかし、メルがアルムと同じことを考えているとは思えない。むしろ、爆薬を使うことをメルは拒むだろうと思ったから、メルには相談せず、ヴァンデルとアルムの間で話を決めてしまおうと考えたのだが・・・

 メルは一体、何を考えているのか。アルムは少し焦りながらメルの様子を伺う。

「ふむ・・・」

 ヴァンデルは軽く顎を撫でつつ、興味深そうにメルを眺めている。


 メルは、イルミナから戦力として期待されるだろうとは予想していた。戦うつもりはないが、何の見返りもなく受け入れてもらえるとも思っていない。

 だから、メルは考えていた。

 討伐軍がイルミナを包囲するだけで攻撃を仕掛けないのはなぜか。

 自軍の損害を出したくないのもあるだろうが、そもそも、討伐軍はイルミナを滅ぼすつもりがないからだ。

 討伐軍が欲しいのは、イルミナが持つ魔術の知識や技術、そして人材だ。

 戦いになって多くの魔術師が死んだり、研究資料が灰になったりしたら、せっかくの知識が失われてしまう。

 だから力押しの攻勢には出られない。街を包囲し、流通を遮断し、兵糧攻めに屈服するのを待っている。

 だが、もしも包囲を続けても流通を遮断することができないとしたら・・・?

 望まれているのは討伐軍を退けることであって、討伐軍に勝つことじゃない。


「・・・もう1年近く討伐軍に包囲されていると聞きました。生活物資が不足しているのではありませんか?」

 メルは、窓の外に広がる市街地へと目を向けた。

「川から外堀を通じ、最低限の流通は維持している。ただ、少々厳しくなりつつあるな」

 ヴァンデルは顔をしかめる。少々とは言っているが、内情はかなり厳しいのだろう。

「このまま包囲が続けば、いずれ市民生活にも影響が出る。戦いたくないのであれば、イルミナではなく、他の都市に受け入れてもらう方が良いのではないかね?」

 ヴァンデルの皮肉めいた言い方に、メルは涼しい顔で応じる。

「戦わないとは言いましたが、討伐軍の包囲を解くためのお手伝いならさせて頂きます」

「どういうことだ?」

 ヴァンデルの眉がピクリと上がった。疑わしそうに目を細める。

「このルイーゼ号は輸送船です。わたしたちに、物資の輸送を任せて頂けませんか?」

 メルは自信ありげな笑顔を浮かべた。

「この船は、大量の荷を積んで高い空を飛ぶことができます。討伐軍には手が出せません。追跡することもできません。包囲されていようと関係なく、いつでもイルミナへの物資の輸送ができるようになります」

 メルの申し出に、ヴァンデルは驚き、思い出したように外を見やる。

「そうか、この船は空に浮いていたのだな・・・」

 空を飛ぶ乗り物が存在しないロセリアには『空輸』という発想がない。それをすぐに理解したヴァンデルは、少し変わっていても、やはり切れ者だ。

「自由に物資を輸送できるようになれば・・・なるほど、包囲を続けても意味がない。討伐軍の足並みも乱れ、離反する者も出てくるだろう・・・よろしい、提案は承知した。この船の受け入れの件、私から評議会に話を通す」

 ヴァンデルは、満足そうに頷いた。


 アルムはメルの答えに、思わずこみ上げてきた笑いを我慢していた。

 戦わないが、討伐軍は退ける、なんとも痛快だ。まさかメルがそんなことを考えているなんて。

「アルム、そんなに意外ですか?」

 思わず顔に出ていたのだろう。隣にいたエリスが首をかしげる。

「いや、あまりにも見事な答えに驚いている・・・私は、貨物室の爆薬を使うことを考えていたが、メルのやり方の方がずっといい」

「・・・メル様も最初は爆薬の使用をお考えでした。でもすぐに、それじゃダメだ、終わらない、と頭を抱えて・・・」

 エリスは、悲し気にアルムを見つめた。アルムの心もすっと冷える。

「メルも爆薬を使うことを考えていたとは思わなかった。しかし、なぜダメなんだ?・・・使いたくないのはわかるが、あれだけの爆薬を使えば、イルミナの勝利で戦争を終わらせられるはずだ」

「一方的な攻撃で多くの血が流れれば、やられた方には憎しみが生まれます。アルムにもよくわかるのではありませんか?」

 アルムを見つめるエリスの瞳が静かに訴えていた。

「あぁ、・・・」

 レンバルトの部隊が敵に襲われ、仲間たちが殺された時、アルムは怒りに我を忘れた。逃げ出した兵も許さず、皆殺しにしてしまった。

 討伐軍の将兵だって、仲間を大勢殺されたらイルミナを憎むだろう。そうなったらもう理屈や利害では済まない、泥沼の戦争になる。どちらかが滅ぶまで終わらないかもしれない。

「その通りだ。・・・メルがいてくれてよかった」

「はい」

 エリスは微笑んで、ヴァンデルと握手するメルを見つめた。

 

 受け入れの手はずを整えるために、一旦イルミナへと戻るヴァンデルを見送ると、メルは操舵室をエリスに任せ、アルムとともに後部のエンジンゴンドラにある機関室に向かった。 

 ヴァンデルに言ったことを履行するため、急いで解決しなければならない問題があったからだ。


 ヴァンデルとの会話では、さも自身ありげに振る舞ったメルだったが、内心では冷や汗を流していた。

 問題なのは燃料。

 そもそも、燃料不足でドイツに帰れない状況に陥ったからこそ、メルたちはロセリアにいるのだ。

 残る燃料はあと2時間分ほど。燃料を補給しなければ、物資を輸送するどころか、ルイーゼ号はもう飛べなくなる。

 それでもヴァンデル相手にボロを出さずに済んだのは、イルミナに着く前、アルムから聞かされていたからだ。

『燃料なら心当たりがある』と。


 機関室に降りると、ロザリンドが待っていた。周りには機関室配属のクルーたちも集まっている。 

「燃料のことで、試したいことがある」

 メルが促すとアルムが話し始める。

 アルムによると、こちらの世界には、火の魔術の元になる元素『フロギストン(燃素)』が存在し、それを集めると燃える気体になるという。ルイーゼ号の積んでいる燃料、ブラウガスも可燃性ガスだ。必要な燃焼条件を満たせるなら、フロギストンを燃料に使える。

「メル、火の魔術を使っていいか。ほんの小さな炎を出すだけだ」

 メルがうなずくと、アルムは、指先にポッと小さな炎を灯した。

 指先に小さな円盤状の術式が現れ、その上でマッチの火ほどの青白い炎が燃えている。

 間近で見る魔術に、機関室のクルーたちは興味津々だ。メルからの話で聞いてはいたが、実際に魔術を見るのはこれが初めてだった。

「この炎は、今、周りのフロギストンを集めて灯している」

「・・・なるほど、確かにガスの燃焼とよく似ているな」

 ロザリンドがつぶやいた。まじまじと近くで眺め、炎の上に手をかざしたりしてみる。

 そして、アルムに幾つかの質問をした。一度集めたフロギストンは、気体の状態で保存ができるのか、術者が離れても変化はないか、保存するための容器に何か条件はあるか、一度にどれくらいの量を集めることが出来るのか、など。

「フロギストンは空気中に豊富にあり、集めるのも蓄えておくのも問題ない」 

 アルムによれば、元素石に術式を刻むことで、自動的にフロギストンを吸収して簡単な火魔術を発動させ、明かりや食べ物の加熱に利用できるようにした魔術道具も開発されているらしい。

 

 フロギストンを使ってエンジンの試運転を行うため、ロザリンドは空になって折り畳まれている燃料気嚢の1つにアルムを案内した。

 機関室から船体に戻り、梯子を更に上へ上る。船体の下部、貨物室や居住区の天井の上に設けられた通路に出た。幅1mほどの通路は、船首尾方向に向かって長く延びており、すぐ横には更に上へと上る梯子がある。

 船体を形作るジュラルミンの構造材と、その間を繋ぐワイヤーが規則的にかつ複雑に張り巡らされた金属製の蜘蛛の巣、船体の内部はそんな印象だ。船体重量を軽減するため、それぞれの構造材は意外なほどに細い。

 構造材の間には、浮揚ガスや燃料ガスを入れておく大きな気嚢が幾つも設置されていたが、目の前に並ぶ燃料気嚢はほとんどが萎んで、予め付けられた折り目に沿って畳まれていた。

 アルムが手近な気嚢に手を触れると、気嚢の表面に光の線が走り、幾何学模様の術式が浮かんだ。そして、気嚢がむくむくと膨らみ始める。

 気嚢の表面に重ねた術式で、空気中のフロギストンを吸収し、気嚢の中に送り込んでいるのだという。

 半分ほど膨らんだとところで、アルムは手を離した。すると術式は消え、膨張も止まった。

「早速だが、試運転してみよう」

 ロザリンドが伝声管でエンジンゴンドラにある第5エンジンを再始動させるよう機関室に指示する。他の燃料気嚢からの供給はカットしているので、これでエンジンが運転ができれば、まずは成功だ。

 ほどなくして軽く船体に振動が走り、重々しいエンジン音が響き始めた。

「音は悪くないな」

 ロザリンドがつぶやく。メルは機関士のようにエンジン音で好調・不調を聞き分けることはできないが、普段聞き慣れたエンジン音と違和感は感じなかった。

 しばらく運転させ、機関室に運転状況を確認する。出力の増減への追従、エンジンの過熱、異常振動の有無、どれも今のところは問題ないようだ。

「メル、今の様子だとフロギストンとやらは燃料に使えると思う。実際のところ、燃料ガスの条件はそれほど厳しいわけじゃないからな」

 ロザリンド曰く、ブラウガスは比重を空気と同じに調節しているところがミソで、ただ燃料として考えるのであれば、その他の、例えば天然ガスやプロパンガスでもエンジンは動くらしい。

 アルムに頼んで他の燃料気嚢にもフロギストンを蓄えてもらい、一番の心配だった燃料問題はようやく解決した。


 ヴァンデルが再びルイーゼ号にやってきたのは、夕方近くだった。

 評議会により、ルイーゼ号のイルミナへの受け入れが決定し、ルイーゼ号の運行に関しても学府の魔術師たちが全面的に協力するとのことだった。

 

「とりあえず、当面の問題はなんとかなったな」

 浮島に横付けするように係留されたルイーゼ号を見上げ、ロザリンドは隣に立つメルに話しかけた。

「でも、まだようやくスタートライン。これから頑張らなくちゃ」

 メルは、ため息混じりに言う。一難去ってまた一難。まだまだ解決すべき問題はたくさんある。

「ロザ姉、燃料以外の補給品、船にはどれくらいある?」

「まったく、少しは私達に甘えろと言っただろう」

 ロザリンドは、早速次の心配を始めたメルの頭に手をかけ、にやりと笑いながらぐりぐりと揺すった。

「あー、もう、真面目に心配してるのに!」


 燃料ガス以外にも、船の運航に必要な補給品は多い。

 浮揚ガスである水素、高高度飛行時の呼吸ガスに使う酸素、エンジンオイルなどの油脂類、部品が摩耗したり破損すれば交換も必要になる。気嚢の気密性を保つスキン生地も消耗品だ。

 今はまだ備蓄や予備があるが、船を運航していくためには、それらをここで製造できるようにしなければならない。

「メル、錬金系の魔術師たちの対応は、私に任せてくれるか。補給品のことは彼らに相談しようと思う」

 ロザリンドは、メルの頭から手を放して、肩に手を置いた。

 ルイーゼ号に協力してくれる魔術師たちの中でも、錬金系と呼ばれる分野の魔術師たちは、特に熱心だった。

 物質を生成したり変化させる魔術を得意とする彼らは、ルイーゼ号の技術に強い興味を持っていた。船が係留された途端に集まってきて、質問攻めにされたくらいだ。

 魔術は意外と自由に物質の分解や生成ができるようだし、彼らの魔術の助けを借りれば、補給品の製造はなんとかなりそうだった。


 水素と酸素は水を分解して生成する。

 腐食しやすい水素と酸素のボンベを魔術で強化。

 燃料は、ブラウガスを真似てフロギストンに水素を混合することで比重を調整。

 エンジオイルは代用となる「ひまし油」を調達。

 交換部品はオリジナルを見本として魔術による加工で製造。ただし材質は要検討。

 気嚢のスキン生地は、同じものまたは代用品がないか調査する。


 ロザリンドは、すでに主だった補給品の調達方法をざっくりと考えていた。あとは、魔術師たちと相談して詳細を詰めていけばいい。 

「いいよ、ロザ姉に任せた。・・・ありがとう。頼りにしてるからね」

 メルは、ロザリンドの手の上に自分の手を重ねる。そして、穏やかに微笑んだ。


 前の世界と同じようにとはいかないが、ルイーゼ号の運行に必要な補給・整備の体制は、比較的早く整っていった。

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