第8話 戦場からの救助
目的地まであと数時間の地点で、L57号は速力を落とした。
このままの速力では邂逅場所への到着が夜間となってしまうため、明日の昼間の到着になるよう、時間を調整することにしたのだ。
現地部隊が確保している着陸場所は、単に周囲に障害物のない平坦な土地のはずだ。基地のような照明設備が整っているとは思えず、視界がきかない夜間の着陸は危険との判断からだった。
針路を維持できるギリギリまで速力を落とし、月明かりの下ををゆっくりと進むL57号。左手には標高4,000mを超えるエルゴン山がそびえ、前方には巨大なヴィクトリア湖の湖面が黒々と広がっていた。
ヴィクトリア湖は、その南北ちょうど中間あたりにドイツとイギリスの植民地境界がある。南側がドイツ領、北側がイギリス領だ。
重要拠点からも遠く、また海軍力に秀でたイギリスが重視する海岸地域でもないこの辺りは、戦力の空白地帯とも言えたが、それでも全く無防備ではない。
特に、ドイツ領東アフリカの海岸地域をイギリス軍が勢力下に置いて以降、イギリス軍は残った内陸部へも戦力を向け始めていた。
最初に気が付いたのは、背面見張台で当直にあたっていた、見張員のティナ・フォリン。
ちょうど、ドイツ領とイギリス領との境界付近。夜が明け始め、周囲が明るくなってきた時だった。
「操舵室、こちら背面見張り台、前方二時方向、煙が立ち上っています!」
ティナが伝声管に向かって叫んだ声は、はっきりと操舵室に届いていた。
「メル様、右舷前方の湖岸で戦闘が起こっているようです」
エリスの声は緊張している。ここまで、イギリス軍の姿を見ることもなく順調な旅が続いていたが、やはりここは戦場なのだ。
「詳しい状況はよくわかりませんが、おそらくドイツとイギリスの植民地軍だと思います。双方とも数十人程度・・・高射砲や大型の火砲は見られません」
エリスが双眼鏡を目に当てたまま言う。
「見張り台!周辺に飛行機は?」
メルは伝声管に叫んだ。
「背面見張り台、上空から前方、飛行機の姿はありません」
「船尾見張り台、後方にも飛行機の姿はありません」
どうやら航空戦力は動員されていないらしい。地上軍に対空用の重火器がないのであれば、L57号に危害を加えられる心配はない。メルはホッとする。
戦闘は湖岸の波打ち際で起こっていた。
隠れる場所ない砂浜での戦闘、ドイツ側はすでに多くの兵が倒れ、劣勢だった。おそらく、砂浜で夜営中だったドイツ軍にイギリス軍が奇襲を仕掛けたのだろう。
ドイツ軍は、砂浜の窪地に辛うじて陣地を築き、身を隠しながら散発的に反撃していたが、すでに不利な戦況が絶望的に傾いたのは、イギリス軍の後ろから、戦車が姿を現した時だった。
菱形戦車と呼ばれるMk-Ⅰだ。ヨーロッパ戦線ではすでに旧式化したタイプだが、歩兵にとっては恐るべき兵器だ。しかもドイツ側は重火器を装備していない。戦車に対抗する手段がない。
「これは・・・」
自分も双眼鏡をのぞいたメルが絶句した。
味方が蹂躙されようとしてるのに、高みの見物では居心地は悪いが、こちらから支援する方法はない。
L57号は最初から輸送船として計画されたため、通常の軍用飛行船に装備されている自衛用の機銃座が設置されていない、全くの丸腰だ。
貨物室に満載している武器弾薬も、全て木箱の中である。
菱形戦車がドイツ側の陣地に迫り、搭載する機関銃で掃射を始める。
残り少ない兵士が次々に倒れていく様子にメルは目を背け、船を戦場から遠ざけるべく転舵を指示しようとした。
・・・不意に、戦車の上に閃光が走り、一瞬遅れて爆発が起こった。
ドンッと空気を震わせる轟音がL57号にも続く。菱形戦車の上面が大きく引き裂かれ、つんのめるようにその動きが止まる。
兵士の大半が倒れ伏したドイツ側の陣地から、一人の人影が飛び出した。
銃は持っていない。服装も軍服ではなく、ゆったりとしたマントのようなものを羽織っている。小柄な背格好からすると、少年兵だろうか。
「なんて無茶な・・・!」
メルは思わずつぶやいた。戦車が足止めされたとは言え、まだ随伴する歩兵の一団がいる。飛び出したらいい的にされるだけだ。
瞬間、何もない場所から火柱が立ち、戦車を盾に固まっていたイギリス兵を炎がなめる。たちまち火だるまになった兵たちが絶叫を上げてのたうち回った。
頼りの戦車を呆気なく失い、さらに得体のしれない攻撃を受けたイギリス兵が、パニックに陥りちりぢりに逃げ始める。
だが、それは許されなかった。湖へと逃げた数名の兵士が炎に包まれ、水の中に倒れ、じゅわっと水蒸気が上がる。
「メル様・・・」
エリスがメルを振り返る。凄惨な光景に、双眼鏡を持つ手が震えていた。
メルは安心させるようにエリスの手に自分の手を重ねる。しかし、メルは戦場から目を離すことができなかった。
次々と炎に包まれて人が簡単に死んでいく。その光景は、戦闘というより、一方的な殺戮だ。
少年は、視界に入る敵を手当たり次第に倒していく。少年が向かう方向に炎が走り、逃げるイギリス兵が次々に燃やされる。
戦車まで投入し、優位に立っていたイギリス軍部隊が、ほんの10分もしないうちにその大半を失っていた。
しかし、それは長くは続かなかった。少年が突然足を止め、発作でも起こしたようによろけ、がくりと膝をつく。
「・・・っ!危ない・・・!」
上空のメルからは、動きを止めた彼に向かって、残骸となった戦車の影から銃を構えるイギリス兵が見えていた。
メルが息をのむのと同時に、別の人影が少年に覆い被さり、一瞬遅れて連続した銃声が響いた。
彼を助けたのは、ドイツ兵、しかも将校のようだ。見たことのある陸軍士官の軍服だった。
将校は、被弾しながらも手にした拳銃で応戦する。イギリス兵がばたりと倒れ、動かなくなった。
「終わった・・・みたいね」
メルのつぶやきに、エリスが頷く。
他のイギリス兵はすでに倒され、ドイツ側にも動く者はいなかった。
生き残ったのは先の将校と、彼が抱えている少年だけのようだ。少年はぐったりとしており、生きているのかわからないが。
不意に、将校がこちらを振り返る。銃声と爆音が消えて戦場が静かになり、飛行船の機関音に気付いたようだ。
少年を抱えたままこちらに手を振った。そして、肩に掛けたバッグから銃のようなものを取り出すと、真上へ向かって引き金を引く。
パンッと小さな音がして、赤い信号弾が上がった。これは救難要請だ。
「イレーナ、湖岸に船を下ろせる?」
メルは少し迷いの表情を浮かべながら尋ねた。
「・・・下ろせます。でも、係留しない状態では長く保持することはできませんが」
イレーナは困惑した様子ながら答えた。
「メル様、救助なさるのですか?」
メルと一緒に戦闘を見ていたエリスが、不安げな表情でメルに言う。
「あの・・・彼を船に乗せるのは危ないのではないでしょうか」
イギリス軍部隊を一人でほぼ全滅させた少年・・・確かに船内で暴れられたりすれば手が付けられないが・・・。
「あの将校さんは、どうしてもあの子を助けたいんだと思う。・・・エリス、ダメかな?」
将校は身を呈して少年を庇った。おそらく何発かは被弾しているはずだ。ただの部下にあんなことはしない。事情はわからないが、その行動を無駄にはしたくはなかった。
「いいえ。メル様がそう仰るなら、かまいません」
エリスは少し苦笑交じりながら頷いてくれた。心を決めたメルは伝声管に向かって言う。
「本船は、これより降下して救助活動を行います」
地上支援のない状況で船は着陸できない。数メートルの高さまで降下して、ゴンドラから救助ロープを下ろし、吊り上げることになる。
「船務班は救助ロープを準備、船務長は治療の準備。その他手空きの者は手伝ってください。準備完了次第、操舵室ゴンドラに集合」
メルは、操舵室クルーに向き直る。
「みんな、お願いします。・・・救助地点への降下開始、機関前進最微速、面舵10、トリムは水平を保て」
「了解」
操舵室クルーの声が重なった。
L57号はゆっくりと回頭し、高度を下げ始めた。
こちらへ降下してくる飛行船の姿に、レンバルト中佐は少し驚き、感心したようにつぶやいた。
「あれがL57号か、お嬢さんたちが動かしていると聞いたが、大した度胸じゃないか。・・・感謝する」
いくら救助要請があったとは言え、あれだけの大型船を地上支援なしで超低空に降下させるのだ。ちょっとしたことで墜落の危険が伴う。船長の判断で無視されても文句は言えない。
迷うことなくそれをやってのけるL57号のクルーに、レンバルトは心の中で頭を下げた。
巨大な船体が、のしかかるように頭上を覆う。ゴンドラの開口部にクルーが集まっているのが見えた。本当にうら若い娘達だった。
「くっ・・・」
くらりと意識が飛びかけ、レンバルトは足に力をこめる。
そろそろ限界だった。背中には銃弾数発を受けている。流れ出した血で、軍服の背中側はドス黒く染まっていた。
湖の中へ一歩・二歩と足を踏み出し、飛行船のゴンドラに近づいていく。膝上まで水に浸かりながら、レンバルトは目の前に降りてきたロープを握った。
「高度8m・・・7m・・・そう長くはもちません。急いでください!」
イレーナが叫ぶ。
開口部の扉を開けて待機していたクルーたちは、ちょうど下にいる将校にロープを投げ降ろした。
「ドイツ海軍L57号船長、ツェッペリン大尉です。お二人を引き上げますのでロープを体に結んでください!」
メルが開口部から身を乗り出して叫んだ。
「・・・ドイツ陸軍フォルベック大隊、レンバルト少佐だ。大尉、この子を頼む!」
レンバルトは、自分が抱えていた少年の身体に手早くロープを巻きつけた。
「引き上げます。みんな、頑張って!」
腕力自慢の操舵要員でもあるリディアを主力に、5人がかりで引き上げる。
「シェリー、急いで診てあげて」
体からロープをほどいて、船務長のシェリー・エールリヒに託す。
驚いたことに、上がってきたのは少年ではなく少女だった。たぶん14~15歳、L57号のクルーの中でも一番年下か、それよりも幼いくらいに見える。
続いてレンバルトだ、再びロープを降ろす。
「少佐、あなたも早く!」
メルの声に、レンバルトは小さく首を降った。
「いや、結構だ。内臓を幾つかやられていてな・・・俺はもう助からん。敵の増援が来る前に、早く行ってくれ・・・あぁ、そうだな、大尉、これをフォルベック大佐に渡してくれないか」
軍服の首元に飾られていた鉄十字章をブツリと引きちぎると、ロープの先に巻き付ける。
レンバルトの足下の水面は、流れ出る血で一面赤く染まっていた。
「大尉、救助に感謝する。すまないが、その娘を、アルムを頼む・・・」
レンバルトはゆっくり敬礼すると、ぐらりとバランスを崩して膝をつき、そのまま水面に倒れた。
「メル様、船の維持がもう限界です!高度を保てません」
操舵室のイレーネが叫ぶ。
メルは苦し気に表情を歪め、操舵室に命令した。
「救助作業終了、直ちに上昇します。機関、プロペラに接続、バラスト30排出!」
投棄されたバラスト水が静かな湖面に波紋を広げる。
波打ち際に横たわったレンバルトの身体を波が洗っていた。
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