第7話 幕間 シャワーが欲しいのです。

 L57号の飛行訓練が始まって、2週間ほどたったある日のこと。

「エッケナーさん、L57号にシャワー室を付けて下さい!」

 密かに訓練の様子を見に来たエッケナーの姿を見つけたメルは、足早にエッケナー近づいて言った。

「メルフィリナ様・・・シャワー室ですか?」

 メルの勢いに、エッケナーは困惑して繰り返した。

「そうです。アフリカ飛行はL59号の例を見ても、順調にいって往復1週間近くかかります。それだけの期間の飛行となると、船内の衛生上、ぜひとも、シャワーが欲しいのです」

 メルはエッケナーに力説する。

 毎日とまでは言わないが、飛行中、全く身体を洗う機会がないのは困る。これまではせいぜい1日~2日の飛行だったから我慢できたが、1週間は無理だ。

 フォルベック隊に会ったとき、またフリードリヒスハーフェンに帰還したときに、うら若い女性クルーが異臭を漂わせる状況とあっては、いかがなものか。少なくともメルの羞恥心は、その辱めに耐えられるほど頑丈ではない。


「むぅ・・・」 

 エッケナーは思わず唸る。

 先の一件で、すっかりメルの不信を買ってしまったエッケナーだったが、決してメルたちを疎んじているわけではない。むしろ、飛行船乗りとして高く評価していた。そうでなければ、軍の新鋭船を預けることなどできるはずもない。

 戦時下にある今は、重要顧客である軍の意向を無視できないが、戦争が終われば、新造する予定の旅客船を、またメル達に任せたいとも思っていた。

 なるべくメルの不信を和らげるため、要望があれば叶えるよう配慮していたが、今回の要望は全く予想外だった。シャワー室なんて、軍用飛行船はもちろん、旅客船にもまだ存在しない。

「それはまたなんと言いますか・・・」

 さすがに「付けましょう」とは即答できず、エッケナーは困惑する。

 しかし、考え込むエッケナーに、メルは内心ほくそ笑む。即座に「無理です」と言わないということは、自分の聞いた情報はどうやら正しいらしい。

「エッケナーさん、長距離旅客船用のシャワー設備を試作しているそうですね?長距離飛行を行うL57号で実用テストするいい機会だと思いませんか?」

「どうしてそれを・・・」

 エッケナーは、額に手を当てて天を仰いだ。おそらくメルと顔見知りの工場スタッフや開発の連中が話したのだろう。知られていたのでは断りにくい。

「確かにそのとおりです。戦後を見込んで、ヨーロッパの域内だけでなく、最大一週間程度の飛行を前提とした、長距離路線用の旅客飛行船を構想しています。そのための設備なのですが・・・」

 実は、L57号に採用されたガス燃料、ブラウガスも、元々はその長距離旅客船の構想のために開発されたものだった。

 ただし、シャワー設備には大きな問題があった。

「メルフィリナ様、飛行船に搭載できるシャワー室の試作品はあるのですが、使用するためには専用の清水タンクが必要です。船の重量バランスや強度を考えると、かなり大規模な改修が必要になります」

 エッケナーは難しい表情で言った。

 ただでさえ飛行訓練に使える期間は短い。改修のために訓練を中断させるわけにはいかない。

「・・・確かに。・・・水・・・水かぁ・・・」

 メルも考え込む。水は飛行船にとって無視できない重量物だ。バラスト水を少し排出するだけでも船の姿勢は変わる。タンクを設置する場所からして十分に検討しないと・・・ん、バラスト水?

「シャワー室の設置と、居住区画周りの配管だけなら大丈夫ですか?」

 メルは思いついたアイデアを頭の中で整理しながらエッケナーに尋ねた。

「それくらいなら・・・しかし、給水はどうするのですか?」

「シャワーへの給水にはバラスト水を使います。居住区画から近いバラストタンクから給水できるようにしましょう。配管をエンジンの冷却系に沿わせれば、熱々とはいかなくても冷たくない程度の温水にはなると思います」

 メルは言った。バラスト水なら、船内のタンクに大量に搭載している。1回の使用水量を制限すれば、船の重量にもさほど影響はないだろう。

 エッケナーはメルのアイデアに大きく頷く。おそらく、それくらいの改修なら可能だろう。試作品のテストはどのみち必要なことだし、それでメルの機嫌がとれるのなら、悪くない。

「なるほど、それならできるかもしれません・・・しかし、バラスト水は船体上に降った雨水を集めて補充することもあります。そんな水でよろしいのですか?」

 エッケナーの懸念に、メルは言い切った。

「ないよりはマシです」


 ほどなくして、休憩室の隅にコンパクトなユニット式のシャワー室が設置された。

 給水はバラストタンクから行い、エンジンの廃熱で温い程度だがお湯が使える。

 ただし、当たり前だがバラスト水の備蓄を消耗している時は使えない。

 また、船体バランスに影響を与えないよう、使用水量は一人1回10リットル以内に制限されていた。


「やった、シャワーが付いた」

 取り付けられたシャワー室を見に来たメルは大喜びしていた。しかし、エリスは少し恥ずかしそうだ。

「あの、メル様。流れた水は、そのまま外に排出されるみたいですが」

「そうね。さすがに下水タンクは設けられなかったから、そのまま空中に・・・あっ!」

 そこまで言って、ようやく想像が行きついたのか、メルの顔も赤くなった。

 自分が身体を洗った水が、そのままキラキラと雨のように地上へと降り注ぐ・・・それはどうなのか、と。


 シャワー室の使用ルールに新たな一文が加えられた。

『高度1,000m以下ではシャワー使用禁止』


 なお、シャワー室を備えた長距離旅客船の構想は、10年後、LZ127グラーフ・ツェッペリン号の就航で実現を見る。

 もちろん、グラーフ・ツェッペリン号のシャワーは専用の清水タンクから給水されており、雨水を使用することはなかった。

 使用した水はやはり空中排出されていたが、使用高度の規制があったのかは・・・定かではない。 

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