第30話 ボルディアニスの理由

「みんな、いい?」

 何食わぬ顔で謁見に出かけるアルムを見送ったメルとクルーたちは、小さく頷き合う。そっと扉を開いて階下を確認。・・・まだ静かだ。

 アルムを迎えに来たのがアリアだったので、アリアにもこちらの行動を伝えておいた。

 今の教会なら、有り得ることだとすぐに理解したのだろう。アリアは悲しそうにメルとアルムに謝った。

 でも、いざとなったらアリアも助けるから、というメルの言葉には、少し複雑そうな表情を浮かべながらも微笑んでくれた。


「・・・行きましょう」

 なるべく静かに、屋上へ続く階段をクルーたちが足早に上がる。先頭はロザリンドの機関班。まず船に乗り組み、エンジンを始動する。続いて操舵室班、そして船務班。階下を見張っているメルとエリスが殿だ。

 上からエンジンの音が響き始めると、階下が騒がしくなった。

「エリス、わたしたちも!」

「はい、メル様」

 二人で階段を駆け上がる。

「エリス、船の保持をお願い!」

「わかりました!」

 メルは屋上のドアを閉めると、暖炉の横から失敬してきた鉄製の火かき棒をドアを持ち手に差し込み、閂にした。

 すでにエリスが魔術を発動させ、船務班が係留索を解いている。

「係留索収容、船務班も直ちに乗船!」

 縄梯子が降ろされた操舵室ゴンドラに向かって走りながら、メルが叫ぶ。

「メル様!」

 縄梯子の下でエリスがメルを待っていた。

「ありがとう、エリス。もう魔術を解いていいわ。バラスト排出20、ルイーゼ号、離陸!」

 メルは、縄梯子を上りながら操舵室に指示する。

 ガンガンと屋上の扉が乱暴に叩かれる音がして、蹴破られる。屋上に上がってきた衛兵たちの頭上に、ルイーゼ号から排出されたバラスト水が直撃した。2、3人が水の勢いに押し倒され、派手に転ぶ。

「よかった、なんとか間に合ったわね」

 エリスと一緒に縄梯子を引き上げながら、メルは息を整える。

 上昇するルイーゼ号の姿に、ずぶ濡れになった衛兵たちが何か叫んでいるが、エンジン音にかき消されてよく聞こえない。

「エンジンはそのまま暖気状態で待機。各員、船に異常がないかチェックを」

 操舵室に入り、メルは伝声管で各所に伝えた。

「このまま、高度50mで待機します。トリム水平を維持」

 プロペラを停止したままのルイーゼ号は、大聖堂前の広場の上に浮かんでいる。

 あまり高度をとっていると、アルムを拾うのに時間がかかるので、このくらいが適当だろう。

「メル様の予想どおりになりましたね」

 ヘレンの視線の先では、法王宮殿の屋上で衛兵たちが右往左往していた。

「こうなるんじゃないかと予想はしたけど・・・すごく残念な気分・・・」

 メルは、頭の後ろで手を組み、疲れたような表情を浮かべる。

「これで、今の教会がまともに交渉するつもりはないって、わかったもの」

 和睦は遠のいたなぁ・・・と、ぼやきながらメルは大聖堂に視線を向けた。

 

 大聖堂の奥にある礼拝堂。豪華なステンドグラスから光が差し込み、白い大理石の壁に反射して室内を照らしている。

 ステンドグラスを背にした正面に法王エルミネア・アスクラピウス、向かって右にザーレ・ボルディアニス、左にシレジア・フレクスディアが立っていた。

 そして、一段低い位置に、法王に向かい合うようにアルムが立ち、その横にはアリアがいる。

 礼拝堂の入り口には衛兵によって出入りが制限されており、アルムの立ち位置の両側には左右それぞれ3人づつ教会騎士が立っていた。

 法王の警護としては特に不自然ではないが、メルの予想を聞いた後だと、微妙に不穏なものを感じる。

 無表情で立つ騎士達をちらりと一瞥し、アルムは法王に視線を戻した。

 アリアが、胸の前で両手重ねてその場に跪いた。軽く頭を下げて、アルムを紹介する。

「法王、聖女ルネアリアよりご紹介させていただきます。こちらがイルミナの魔女、アルムリーヴァ・テオ・ファルニス様です」

 そこまで言って、アリアはアルムに向かって小さく頷く。

「お初にお目にかかる。私はイルミナの魔女、アルムリーヴァ・テオ・ファルニス。本日は、イルミナティ学府学長クレスティーア・テオ・ファルニスからの親書をお届けに参上した」

 アルムは、立ったまま口上を述べた。イルミナは法王の臣下でも教会の信徒でもない、クレスの代理としての立場で法王に跪くわけにはいかない。

 そのまま数歩進んで、両手で捧げ持つように親書を法王に差し出す。

「魔女殿、遠路ご苦労でした。親書を拝見させていただきます」

 アルムの差し出した親書をミネアが受け取り、封蝋を解いた。アルムは元の位置まで下がり、法王の様子を伺う。


 両側に控えていた騎士が動いたのは、その時だった。

「法王、親書に目を通す必要はございません」

 その場を動くことなく、法王に顔を向けることもなく、淡々とした口調でボルディアニスが言った。

 同時に、剣を抜いた騎士がその切っ先を向けたのは、アルムではなく法王だ。

「・・・!」

 アルムは、いつでも魔術を発動できるよう身構え、アリアを庇う。 

「これはどういうことかしら?」

 さして驚いた様子もなく、法王は仕方なさそうにボルディアニスを見る。

「イルミナ討伐は、中止するわけには参りません。和睦に賛成されるのであれば、エルミネア様もルネアリア様とともに、幽閉させていただきます」

「あら、それは困ったわね」

 剣を向けられているにも拘わらず、ゆるりと首をかしげて応ずるミネアに、アルムの方が驚いた。

 しかし、ボルディアニスは法王の言動に怒り出すどころか、口元に小さく笑みを浮かべていた。

「相変わらず動じないお方だ」

 ボルディアニスはそこでようやくミネアに顔を向ける。ミネアは、少し哀れむようにボルディアニスを見ていた。

「ボルディアニス殿、あなたが法王になり替わろうとというのですか?」

 シレジアが、苦々しげに言った。彼女の前にも騎士の一人が立ち塞がっている。剣こそ突き付けていないが、抵抗するなという無言のプレッシャーを与えている。

「法王の地位になど興味はありません・・・私は、教会とこの世界があるべき姿になればそれでよいのです」

 不思議なものを見るように、アルムはボルディアニスの言動を観察していた。

 これまでに見てきた討伐軍の者たちの俗物ぶりに、アルムは、なんとなくボルディアニスも、私利私欲で討伐を進めていると見ていたが、彼を動かしているのは、ただの野心や利害だけではないようだ。

 彼の言う「あるべき姿」というのが気になるところだが、とりあえずはアリアとミネアを安全を確保しなければなるまい。


「教会の内輪揉めに付き合うつもりはない。和睦の話ができないなら、私はこれで失礼する」

 アルムは、この場で実質的に決定権を握るボルディアニスに視線を向けた。

「魔女殿、申し訳ないが、あなたも拘束させていただく。・・・あなたの船とその乗員はこちらの手の内にあります。無事に再会したければ、抵抗なさらぬことだ」

 ボルディアニスが、カツンと杖で床を叩くと、礼拝堂の扉が開いて、20人ほどの衛兵に入ってきた。ミネアも含め、全員を拘束するつもりなのだろう。

 周りにいる騎士と衛兵たちを一瞥し、ふん、とアルムは鼻で笑う。

「人質など無駄だ。船と乗員は、好きにすればいい。・・・私はイルミナの魔女だ。ここにいる全員を魔術で打ち倒すこともできるし、船が無くともイルミナに戻るくらいたやすいことだからな」

 メルたちが捕まっていないことはわかっているが、あえてそれは言わず、ハッタリで応じた。

 ここにいる全員を魔術で倒すことはともかく、ルイーゼ号なしでイルミナに戻るのはたやすくはない。

「怪我したくなければ、道を空けてもらおう」

 小さな火の魔術を発動させ、アリアに近くにいる騎士の足元でボンッとやや派手めに炸裂させる。威力は大したことないが、音と吹き上がる炎に驚いて、騎士は慌てて飛び退く。

 ほとんど表情を変えなかったボルディアニスが、魔術を目にした瞬間、苦々し気に眉間に皺を寄せた。


「・・・法王と聖女が望むのなら、お二人をイルミナで受け入れてもいいが?」

 アルムは、ふと思いついたように、ミネアに言った。元々アリアは連れて行くつもりだったが、この状況では、ミネアだけを残しておくわけにもいかない。

 アリアの使う治癒魔術は、他に類を見ない。それはエリスの治療を見ていたアルムがよくわかっている。アリアによれば、ミネアも同じ魔術が使えるようだ。イルミナとしてはぜひ得たい人材でもある。

「あら、それは有り難いわ。アリアもそれならいいわよね?」

 ポンと手を打って、嬉しそうに話にのるミネアに、奇しくもシレジアとボルディアニスが揃ってため息をつく。

「悪ふざけはお止めください・・・法王の座をそんなに簡単に・・・」

 呆れたように言うシレジアのつぶやきに、ミネアはすっと表情を消した。

「かまいません。今の教会のあり方は、私が正しいと信じる道を踏み外しています。法王として、それを正せなかったのは、とても残念ですが、これ以上、私は娘の命を狙うような者たちの中に身を置きたくはないのです」

 ミネアは、一切の躊躇いなく、教会を見限ったとも言える台詞を吐いた。冗談で言えるようなものではないし、彼女の表情は冗談を言っているものではなかった。


「ミネア・・・」

 シレジアには引き留める言葉が見つからない。エルミネアとルネアリアを排除しようとしているのは教会なのだ。

 ボルディアニスが首謀しているが、決して彼一人で事を成しているのではなく、教会の聖職者や信徒の多くが彼に賛同しているのも事実だ、

「・・・いいでしょう。エルミネア様、イルミナと共に滅ぶと仰るなら、お止めいたしません」

 アルムは、ボルディアニスの言葉に驚いた。

 討伐は、教会がイルミナを自らの傘下に置き、魔術を独占したいがために起こしたものだと考えていた。しかし、ボルディアニスはミネアに『イルミナと共に滅ぶ』と言った。

 少なくともボルディアニスは、イルミナを屈服させるのではなく、イルミナを滅ぼす事が目的なのだ。

 イルミナが誇る魔術の知識は、そこで日々魔術を研究する魔術師が支えている。また、魔術師以外の職人達も長年、魔術師相手に道具や素材、薬品などを作ってきただけに、他の街にはないノウハウを有している。

 イルミナを滅ぼせば、それら魔術の知識も人材も失われる。それは討伐軍の連中が望むことではないはずだ。では、ボルディアニスと討伐軍は、イルミナ討伐の目的が全く違うということになる。

「ボルディアニス殿、討伐軍の領主どもはイルミナを滅ぼすのではなく、イルミナの魔術を欲しているようだが?」

「そこは私の不徳の致すところ。討伐の意義がきちんと伝わっていなかったようです。・・・ルネアリア様の暗殺を機会に、連中にイルミナを『滅ぼす』よう再度命ずるつもりでした」

 アルムの問いに、ボルディアニスは誤魔化すことなく答えた。


「魔女殿。イルミナは滅ぼさねばならない。私は、この世界から魔術を無くしたいのです。それが、人々のためなのですよ」

 ボルディアニスは真剣だった。疑いなくそれが正しい道だと考えている、その意思が口調に現れていた。


「そんなことは誰も望んではいません」

 たまらず、アリアが声を上げた。

「わたくしは、討伐に派遣されてから色々な街を回り、人々の声を直に聞いてきました。しかし、魔術への不安どころか、むしろ、イルミナ討伐が始まってから、魔術師が作る薬や素材が届かなくなり、人々の依頼を請け負ってくれていた魔術師たちも来なくなって、大変困っているという話ばかりでした。わたくしが教会や領主達から聞いていた話とは全く違うのです」

 ボルディアニスは、大きく頷く。

「領主達のイルミナ討伐の請願の理由は、領民のためを思ってのことでないことくらい承知しております。魔術の根幹がイルミナという外国に握られたままでは、安穏と地位に甘んじている自らの立場がいつ脅かされるかもしれない、ならば、教会の威を借りてイルミナを屈服させ、ついでに魔術の知識も手に入れることができれば一石二鳥、そんなところでしょう・・・」

「それがわかっていて・・・なぜ・・・?」

 アリアは、全て見通したうえで討伐を進める・・・いや、領主たちの思惑を超えて魔術の排斥を図るボルディアニスを困惑した表情で見やる。


「ルネアリア様、元素のない土地というものをご存知ですか?」

 唐突に、ボルディアニスが尋ねた。

「はい、・・・ほとんど何もない不毛の荒野・・・という印象でした」

 何の脈絡もない質問に、アリアは戸惑いつつも答えた。

 暗殺から逃げ出したアリアが放浪民に助けられたのが、元素のない荒野だった。

 砂と岩と、ごくわずかな植物程度で、虫も動物もいない荒野を一人彷徨った時の恐怖を思い出し、アリアは自分の腕を抱く。

「どうして、そんな土地ができるのか、その原因について考えられたことは?」

「わかりません・・・」

 アリアは小さく首を振る。

「私は過去の歴史について研究する中で教会の残されている記録を調べ、元素のない土地のほとんどで、過去に何らかの大きな魔術の行使が行われたことを知りました・・・その場の元素を根こそぎ使い果たすような魔術です。つまり、過度に消費された元素は、回復しなくなるのです」

 ボルディアニスは、アルムに目を向ける。

「魔女殿はご存知でしたかな?」

「そんなことはない。魔術で元素は確かに消費されるが、自然回復する。それは確認されていることだ」

 アルムは、疑わしそうに眉をひそめた。

「通常はそのとおりです。しかし、魔術の多用、または大きな魔術の行使によって、その場の元素が一定量を下回ると、もう回復せず、元素が枯渇した死んだ土地が生まれるのです」

 ボルディアニスの言葉に、アルムは反論できず口をつぐむ。


「だから、今のうちに魔術を捨てるべきだ、とあなたはそう言うのですね?」

 静観していたミネアが言った。

「そのとおりです。確かに魔術は便利で、人の生活はその力に頼っている。しかし、魔術が発展してさらに広がれば、その便利さ故に、魔術がますます多用されることになり、元素の消費量は今とは比べものにならなくなる。そうなれば、元素が枯渇した土地が増え、やがて人の生活をも脅かしかねない」

 ボルディアニスは、やや顔を紅潮させながら力説する。

「魔術に頼った発展をとげれば、その便利さ故に、たとえ元素の枯渇が現実の問題となる時が来ても、人間は魔術を捨てられなくなるでしょう。そうなる前に、まずは、魔術を全て教会の管理下に起き、民衆の生活から魔術を取り除いていくのです」 

「待ってください!・・・それでは影響が大きすぎます!魔術が発展する前の時代まで人々の生活を戻せというのですか?!」

 アリアが抗議するが、ボルディアニスは全く変わらない口調で続ける。

「一時的には不便になるでしょうが、土地の元素の枯渇してしまえば、取り返しがつかないのです。魔術が発達する前にも、人間は知恵を働かせて様々な方法を編み出し、文明を発展させてきました。ならば、魔術を広め発展させるイルミナを滅ぼし、教会が主導して、魔術に頼らない発展へと民を導くべきなのです」

「それは・・・」

 納得したわけではないが、効果的な反論も思いつかず、アリアは口ごもった。

 元素の枯渇が起こり得るとしても、代替する手段もなく、今すぐに捨てろというのは、あまりにも極論にすぎる。

 むしろ、イルミナの協力を得れば、元素の消費を抑えて効果を得られるように魔術を発展させることや、過度な魔術の使用を管理する方法を探ることもできるだろうに。

 ただ、全ては今後のことだ。何の具体策もできてはいない。それではボルディアニスは納得すまい。


「魔術のない世界・・・か」

 ボルディアニスの力説を聞いて、アルムは、こみ上げてきた笑いをそのまま顔に出す。

 魔術を捨てた・・・いや魔術がなく、ボルディアニスが言うように、人間の知恵と技術によって発展した世界、そんな世界なら見たことがある。

「何が可笑しいのですか!」

 笑い始めたアルムに、これまで感情的になることがなかったボルディアニスが気色ばむ。

「いや、失礼。・・・ボルディアニス殿、魔術を捨てれば問題は万事解決する、そうお考えか?」

「先ほどからそうお話しているつもりですが」

 不愉快そうな表情を浮かべながらも、ボルディアニスは真面目に答えた。

「なるほど・・・」

 アルムは笑うのを止め、ボルディアニスに言う。

「ボルディアニス殿、魔術のない世界がどういうものか、知りたくはないか?」

「魔女殿、それはどういうことですか?」

 アルムは、礼拝堂の外を指さした。

「聞いてみればいい・・・魔術のない世界で生きてきた者に」

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