第21話 シスターアリア
ルイーゼ号は、イルミナでの運行を開始して1ヶ月ほどの間に、近隣の地域からイルミナへ合計で約100トン近い物資を輸送していた。
穀物などは都市内の農地である程度は自給できるため、魔術に使用する素材や、鉱産資源、そして都市外で放牧ができなくなったことで生産が減少した畜産物といったものが主だ。
物資を提供してくれる町や村には、対価としてイルミナで作られた元素石や、魔術で生成された薬品・素材といった希少品が優先的に提供されており、教会の睨みがある中でも、取引先の人々はイルミナに好意的な感じがした。
討伐軍は当初、輸送を妨害しようと追跡を試みたようだが、どんな早い馬でも、巡航で時速80km以上を出すルイーゼ号の追跡は不可能であった。
離着陸時に風魔術で船を保持してもらう必要があるため、飛行の際にはアルムが同乗してくれている。
他の魔術師でも可能ではあるが、巨大な船で空からやってくる魔女の姿を取引先に見せることで、イルミナの健在ぶりをアピールする目的もあり、イルミナの首脳陣もアルムの同乗を認めていた。
クレスからは、アルムにいろいろな土地を見せてやってほしいと言付けられている。
・・・ヴァンデルも同乗すると言い張っていたが、女性だけの船であることを理由にお断りし、最終的にはアルムが黙らせた。
その日、ルイーゼ号は久しぶりに少し長めの飛行に出発した。行き先は約500km先の鉱山街、ザルツリンド。産出されるのは良質な岩塩である。
食料としてはもちろんだが、錬金系の魔術で触媒としても使用するため、イルミナでの需要は大きい。しかし、重量がかさむ上に産地が遠いため、討伐軍の包囲が始まってからは供給が途絶え、備蓄も払底しかけていた。
ザルツリンド領主はイルミナティ学府の卒業生で、ヴァンデルとも友人らしい。ルイーゼ号で輸送の目途がついたので取引の連絡をしたところ、ぜひルイーゼ号を見たいと喜んでいたそうだ。
ザルツリンドまでの予定飛行時間は7時間。早朝に出発し、現地で積み込みを行って帰ると、イルミナへの到着が深夜になるため、ザルツリンドで一泊して、朝を待ってイルミナに帰還する予定だった。
ザルツリンドでの宿泊や係留中の船の警備は、ザルツリンド領主が引き受けてくれている。
イルミナを予定どおり出発したルイーゼ号は、一路南へ針路をとっていた。
高度1,000m前後から上には浮島が漂っていることがあるため、高度は低めの約500mを維持して飛ぶ。
船の下には荒涼とした荒野が広がっていた。
「・・・ずいぶんと荒れた土地ね」
メルは地上を双眼鏡で観察しながら言った。
わずかな灌木と草地がまばらに点在するだけで、あとは岩と荒い砂に覆われた寂しい場所だ。アフリカ行きの時に飛んだサハラ砂漠の様子を思い出す。
「このあたりは、元素の力がほとんどない。ザルツリンド周辺まで行けばマシになるが、土や水の元素が弱いと豊かな土地にはならない」
少し厳しい表情で言うアルムに、メルは尋ねる。
「どうして、元素の弱い場所やない場所ができるの?」
「よくわかってはいない。周辺の元素を枯渇させるほどの大魔術が使われた跡だとか、地形的に元素が集まりにくいとか言われているが・・・魔術師にとっては危険な場所だから、あえて調べようとする魔術師も少ない」
元素の弱い場所や元素がない場所では、元素石を使わない限り魔術が発動しない。持ち歩ける元素石にも限りがある以上、魔術で身を守る事が多い魔術師にとっては、非常に危険な場所だ。
魔術師が元素石を使い果たせば、野犬に襲われる程度でも危機に陥る。怪我をしても治癒ができない。
大勢の護衛でも引き連れて行けば良いかもしれないが、人を雇えば金がかかる。それほどまでの費用をかけてまで調べる価値はないと言うことだろう。
「メル様、前方に火災です」
エリスが固い声で言った。慌ててメルは双眼鏡の視界を前方に向ける。
緩やかな丘の上に、10台ほどの馬車が固まって停車している。しかし、馬車からは黒い煙が立ち上っていた。
すでに炎は見えないが、ほとんど原型を留めないほど焼け焦げた馬車もあり、馬車の周辺には、倒れて動かない人影が点々と見える。それも一人ではない。少なくとも10人は下るまい。
「ひどい・・・」
メルは顔をしかめてつぶやいた。どうやら襲撃されたらしい。さらに火をかけられたとなれば獣害ではない。人間の仕業だ。
降下して生存者を探すべきか、メルが決めかねているのを察してエリスが言う。
「メル様、まださほどの時間はたっていないようです・・・誰か生きているかもしれません」
「うん・・・ありがとう。エリス」
幸い今はアルムが同乗してくれている。アルムの風魔術で船の保持を行えば、安全に降下できる。
「アルム、船の保持を頼める?」
「メル、ここは元素が乏しい土地だということを忘れたか?・・・まぁ、元素石を使えばなんとかなるが」
「・・・ありがとう、アルム。お願いします」
メルは、表情を少し和らげはしたが、目の前の惨状を思うと笑うことはできなかった。
ゆっくりと降下したルイーゼ号は、アルムの風魔術で、地上5mの高さに保持される。
縄梯子を降ろし、メル、エリス、アルム、シェリー、リディアの5人が地面に降りた。
辺りを見回す。双眼鏡で見た以上にひどい。切り捨てられ、打ち捨てられた死体が、そこかしこに転がっている。
死体の周りには血だまりが広がっていた。よく見れば馬車にも飛び散った血の跡がついていた。
襲われたのは・・・昨夜か、今朝早くか。
固まって止められた馬車は居住用の箱馬車と荷役用の幌馬車だった。どうやら馬車を連ねて移動しながら生活する放浪民の一団だったようだ。
「メル様、残念ですが・・・」
何人かの脈を確かめたシェリーが首を横に振る。
ワゴンの中には、女性たちが折り重なっている死んでいるものもあった。こみあげてくる吐き気を我慢しながら、メル達はまだ息のある者がいないか探していく。
皆、粗末な服をまとい、どの馬車も年季が入っている。近くに馬を繋いでいたと思われる杭もあったが、切断されたロープだけが絡まっていた。
声もしない、身動きする音もない。厳しかっただろう旅の果てがこれでは、あまりにも悲しい。
「メル様、この方は、息があります!」
ほぼ原形をとどめている箱馬車のそばで、エリスが声を上げた。
エリスが背中に腕を回して抱き起こしたのは、金髪の少女だった。周りの放浪民の粗末な衣類とは違う、朱色の縁取りで飾られた白いローブを着ている。胸には精緻な銀細工のブローチを付けていた。
「教会のシスターだな。まだ若いが、身なりからすると高位の者かもしれないな」
アルムはつぶやく。衣装も装身具もかなりの高級品だ。
「・・・助けようとしたのか」
アルムは、複雑な表情を浮かべていた。周りで倒れている死体に治癒魔術の痕跡を感じた。彼女が襲撃を受けた放浪民達を助けようとしたことは確かだ。
しかし、ここは魔術がほとんど使えない元素の乏しい場所だ。それでも使用できる魔術に、心当たりがあった。
「教会でも高位の者は、自分の魔力で治癒魔術を施せるらしい。おそらく、まだ生きている可能性に賭けて、自分の魔力を使い果たすまで、手あたり次第に治癒したんだろう。だが、手送りだったみたいだ」
「死んでしまったら治癒魔術は効かないってこと?」
「そう。どんな治癒魔術であっても、すでに死んだ者だけは助けることができないと聞いている」
メルは痛ましそうにシスターを見る。彼女がどんな思いで治癒魔術を掛け続けたのか、それを思うといたたまれない。
「・・・あの、アルム・・・この娘を助けたいんだけど」
縋るように見るメルに、アルムはため息をひとつついて、意識のないシスターの手を取る。
敵対している教会の者ではあるが、彼女は戦う力を持たない少女だ。
「わかっている。見殺しにはしない・・・魔力の枯渇で気を失っているようだから、私の魔力を分ける。船に運んで安静にさせていればいい」
「ありがとう、アルム!」
顔を綻ばせるメルを横目に、アルムはシスターに魔力を送り込んだ。
シスターの他に、息のある者は一人も見つからなかった。
船の燃料のフロギストンを利用してアルムの火魔術で馬車と遺体を焼き払い、せめてもの弔いとした。
竜巻のように火炎が渦巻き、全てを灰にして空へと巻き上げる。黒く煤けた地面だけが後に残った。
-悲鳴がした。
怒号とともに、湿ったものを叩きつけるような鈍い音が繰り返し聞こえる。
荒野で行き倒れそうになっていたわたくしを助けたばかりに・・・少女は耳を塞いで暗闇の中にうずくまっていた。
少女がいるのは、箱馬車の中に巧妙に作られた小さな隠し部屋だ。馬車で移動する放浪民たちが、盗賊から貴重品を守るための知恵だった。特に燃えにくい木材が使用され、扉は見てもわからないように壁の装飾にカムフラージュされている。少女は一族の老婆にそこへ押し込まれ、扉を閉められた。
やがて、辺りが静かになった。その意味を察して少女は青ざめる。
震える手でゆっくりと扉を押すと、どさりと重い音がした。ゆっくりと扉が開く。ガタンと音を立てて扉が開ききると、少女を助けてくれた一族の老婆が血を流して目の前に崩れ落ちていた。
「・・・あ・・・ぁ・・・こんな・・・」
無意識に奥歯がカチカチと音を鳴らす。藍色の瞳に映る光景は、聖典で語られる地獄のようだった。
火をつけられて燃え盛る幌馬車、血だまりに倒れる人たちは、老若男女を問わない。でも、彼らに地獄に落とされるような罪があったのだろうか。そんなはずはない。素性も語らないわたくしを彼らは助けてくれたのに。
よろよろと箱から足を踏み出した少女は、足元の老婆の横に跪き、その身体に手のひらを添えた。
少女の手を白く輝く光輪が取り巻き、老婆の身体へと広がろうとする。治癒魔術だった。しかし、何も起こらなかった。光輪は老婆の身体に弾かれ、消えてしまう。
「そんな・・・!」
少女は慌てて外に飛び出した。倒れ伏す人たちに手あたり次第、治癒魔術をかける。しかし、誰一人、身動きする者はなかった。
でも、少女は諦めない。外で倒れている男たち、そして箱馬車の中で折り重なる女性たち・・・一人一人、祈るように治癒魔術をかけ続ける。
少女の息がだんだん荒くなり、顔色が悪くなり始める。それでも少女は魔術をかけるのを止めなかった。
気が付く限り、倒れ伏す全員に魔術をかけた。でも、誰一人、息を吹き返した者はいなかった。
呆然とした表情で遺体の側にうずくまった少女は弱々しく首を横に振り、祈りを捧げるように胸の前に手を重ねる。
「お願いします。神様、誰か・・・」
つぶやいた少女の視界が、ふっと暗転して身体から力が抜けた。
黒く塗りつぶされていた意識が、少しづつ少しづつ、明るさを取り戻していく。
「・・・う・・・」
小さな声を漏らし、目を開ける。
まず目に入ったのは、低い天井だった。手を伸ばせば届きそうな高さだ。
ここは、どこだろう・・・ぼんやりと考えた。そういえば、わたくしは・・・そこで自分の身に起こったことを思い出した。
勢いよく起き上がり、天井に頭をぶつけた。
「あぐっ・・・」
痛みに思わず声が漏れる。
「メル、やっぱりこのベッドは良くない。みんな頭をぶつける」
「そうは言っても、船室は狭いんだから、仕方ないじゃない・・・あの、大丈夫?」
ぶつけた頭にさすりながら振り向くと、緑色の瞳が心配そうにのぞき込んでいた。
「え・・・、はい、大丈夫です」
寝かされていたのは、棚のように重なった簡素な寝台。天井だと思っていたのは、上の寝台の底だったようだ。
「ここは、一体・・・?」
「ここは飛行船ルイーゼ号の中です。わたしはこの船の船長のメルフィリナ・ルイーゼ・フォン・ツェッペリン。メルと呼んでください」
メルは、シスターに手を貸し、ベッドに腰掛けさせた。
腰くらいまである金髪をゆったりと束ね、瞳は濃紺。年齢はおそらくメルと同じくらいだろう。先の騒動のせいで白い肌と、その身まとう純白の法衣は薄汚れていたが、その所作は気品を感じさせる。
「メル様・・・申し遅れました。わたくしは・・・ルネアリアと申します。アリアとお呼びください。正教会の者です」
メルがアルムをつつく。アルムも仕方なさそうに自己紹介した。
「私はアルムリーヴァ・テオ・ファルニス。イルミナの魔女だ。正教会とは敵同士だが、お前の魔力が枯渇かけていたから、私の魔力を分けておいた・・・」
無愛想な口調だったが、とりあえず、敵意はないと言いたいようだ。
「イルミナの魔女・・・」
アリアは驚いて目を見開く。話に聞くイルミナの魔女が、自分と同じ年頃の小柄な少女だとは思わなかった。話に聞いていたようなおぞましい人物にも見えない。
身体の中に感じる少し異質な魔力は、アルムから譲ってもらった魔力のようだ。アリアの魔力が回復すれば、そのうちにアリアの魔力に染まるだろう。
「アリア、あなたは何者かに襲撃の受けた放浪民たちの中に倒れていたんだけど、覚えてる?」
メルは、あの惨状を思い出し、少し心配そうな表情で尋ねる。
「わたくしは、・・・事情があって教会から逃げたのです。彼らは、荒野で行き倒れそうになっていたわたくしを助けてくれました」
辛そうな表情で、アリアはメルに打ち明ける。
「でも、すぐに襲撃があって、私は馬車の隠し部屋の中に匿われました。ようやく扉を開けて出た時にはもう・・・メル様、あの・・・彼らは、やはり」
メルはそっと首を振る。
「そう、ですか・・・」
・・・ごめんなさい、わたくしが逃げ出したりしなければ・・・アリアは心の中で詫びる。
「アリア、横になって休んでいて。もうすぐザルツリンドに到着するから」
「ザルツリンド・・・!」
アリアがびくりと身を震わせた。
「・・・ん?どうかしたの?」
「いえ、なんでもありません。お言葉に甘えて少し休ませていただきます」
メルが不思議そうに尋ねるが、アリアは寝台に横になり目を閉じた。
「・・・」
アルムは、少し目を細め、じっとアリアの顔を見つめていた。
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