第22話 ザルツリンド

 ルイーゼ号がザルツリンドに到着すると、盛大な出迎えが待っていた。

 領主であるラケルス伯爵自らが待ち構えており、ヴァンデルから連絡を受けていたのか、ルイーゼ号の係留場所の準備も完璧だった。係留場所は、なんと伯爵の住む領主館の目の前にある街の中央広場である。周囲は兵士たちに閉鎖されているが、ルイーゼ号を見ようとする野次馬市民でごった返している。

 いつものように、風の魔術で守られながら降下し、係留作業を終えると、早速、ラケルスがやってきた。

「すばらしい船だ。ヴァンデルから聞いてはいたが、このように巨大なものが空を飛ぶとは、やはり実際に見るまでは信じられなかった」

 開口一番、名乗ることも忘れて称賛の嵐である。やはりイルミナティ学府出身、研究者の血が騒ぐのか。


 ヴァンデルより少し若い、40歳くらいだろう。灰色の髪をオールバックになでつけ、黙っていれば威厳ある領主と言える容姿だが、飛行船に大興奮する姿は、まるっきり子供だった。

「あの、ラケルス伯爵ですか?わたしがこのルイーゼ号の船長、メルフィリナ・ルイーゼ・フォン・ツェッペリンです。この度は岩塩の取引、よろしくお願いいたします」

「おっと、これは失礼した。私がザルツリンド領主、フラストス・フォン・ラケルス伯爵だ。こちらこそ、よろしくお願いする。・・・メルフィリナ嬢、あなたは貴族の出なのかね?」

 メルの名に貴族の一族を示す「フォン」の称号が入っていることに気付き、ラケルスが尋ねる。

「はい。祖父が伯爵位を持っておりました。でも、わたしは受け継いでいないので、お気になさらず。それに、ヴァンデル様からお聞きと思いますが、こちらの世界のことではありませんので・・・」

「あぁ、おおよそは聞いている。このような船、この世界には他に存在しないからな。このような巨大な船が、どうやって飛ぶのか、非常に興味がある。歓迎の宴も用意させているので、じっくりと教えてほしい」

 異世界人よりも、ラケルスは飛行船に興味津々らしい。ぐいぐい押してくる伯爵に、メルは少しひきつった笑みで応じた。

「ラケルス伯爵、お久しぶりです」

 風魔術を解いたアルムが、こちらにやってきて挨拶する。

「イルミナの魔女殿。無事にこちらに戻ったと聞いて安堵していた。しかも、このような船を連れ帰るとは、貴重な魔力石を使っただけのことはあったな」

「他にも、色々な知識を得てきた。父様から色々と情報が届くと思う。魔術をさらに発展させられるはず」

「ほぅ。それは今後が楽しみだ」

 アルムの言葉に、ラケルスはにやりと笑う。

「・・・それに、またイルミナとの取引が始められるのは有り難い。イルミナで作られる薬品や素材は、やはり他では代替がきかぬ」

 早速、貨物室から降ろされているイルミナからの荷物を眺め、ラケルスは満足そうに頷いた。


 ラケルスは領主であり魔術師だ。家臣にも魔術師を多く持ち、その魔術で領内の様々な問題にも対処している。そのためには、やはりイルミナとのつながりは必要だった。

 ザルツリンドでは正教会の影響力は弱い。領主の魔術に、良質な岩塩の産出で得られる経済力、神の恩恵だけに頼る必要がないからだ。地域の中心となる都市であるため立派な聖堂は置かれているが、教会が領主と対立することもなく、穏健な関係にある。

 そのため、今のイルミナ討伐においてザルツリンドは、戦いに関して中立を宣言していた。討伐軍にも参陣しないが、イルミナと呼応して討伐軍を背後から襲うこともしない、戦力としてはどちらにも加担しないということで、イルミナとの関係も黙認されていた。


 ・・・と、一人の騎士がラケルスに駆け寄り、そっと耳打ちする。聞いた途端、ラケルスは盛大に顔をしかめた。

「ちっ、こんなタイミングでか・・・嫌がらせだな」

「伯爵、どうかされましたか?」

「いや、我が領地の東方に接するエルベナウ司教領の領主代行、コップル男爵が街への入場を希望しているらしい。奴はイルミナ討伐に参陣していたはずだが・・・」

 疑わしそうな表情を隠さず、ラケルスは言う。イルミナ討伐に参加している貴族が、イルミナからの輸送船が到着するタイミングでやってきたのは偶然だろうか。討伐に参加していたのなら、コップルがイルミナでルイーゼ号の姿を見ている可能性はある。

 そしてもう一つ、コップル一行の中には正教会の聖女がいるそうだ。コップルはその護衛をしているため、内密の滞在とするらしい。そのため領主への挨拶も控えたい、領主も聖女への挨拶には及ばない、との伝言だった。

「聖女って、今回の討伐軍を率いてるんでしょう?こんな遠くまで出かけてて大丈夫なのかな?」

「戦争はここしばらく完全に膠着状態だ。今のうちに各地に聖女を回らせて姿を見せ、恩恵を与えて、イルミナ討伐への支持を固めるつもりなんだろう。聖女の来訪となれば、教会の影響が大きいコップルの領地やその周辺では効果絶大だ・・・ただ、それならば人口の多いこのザルツリンドで聖女の来訪を隠すのは少し解せぬ。教会の影響が十分でないからこそ、テコ入れが必要なはずだが」

 不思議そうにつぶやいたメルに、ラケルスが応える。難しい表情で考えていたラケルスだったが、どうやら現状の情報だけでは納得いく解釈に思い至らなかったようだ。

「・・・疑わしいが、入場を拒否するわけにもいかんな。さっさと聖堂に入っておとなしくしていてもらうとしよう。こちらに挨拶に来ないのであれば、かえって好都合だ。ルイーゼ号からも遠ざけられる」

 ラケルスは、騎士に入場の許可とルイーゼ号の警備を増やすよう伝えると、この件は終わりとばかりにさっと表情を変えた。

「さあ、メルフィリナ嬢、船の中を見せてもらえるだろうか」

 振り向いたラケルスは、子供のような笑顔だった。


 岩塩の積み込み作業を終えたメルたち一行は、夕刻、ラケルスが用意した中央広場に面する宿に入った。一人で船に残すわけにはいかないのでアリアも一緒だ。

 宿は、ザルツリンドの商業ギルドが営んでおり、エントランスには、何人かの旅商人たちの姿もあった。

 メルたち、ルイーゼ号のクルーに用意された部屋は、領主の依頼、しかも若い女性だけということで配慮してくれたのか、宿のスタッフから目の届きやすい、エントランスの吹き抜けに面した2階の回廊沿いに並んでいた。

 ルイーゼ号はラケルス直属の騎士と魔術師たちが警備しているが、念のため、アルムの魔術でゴンドラの出入口を封印してもらった。簡単には破れないし、強引に押し入ればアルムが気付く。 

 まもなくすると、ラケルス主催の宴が開催される。

 立場上、イルミナの人間を公式に歓待することは憚られるため、今回はあくまでラケルスが私的に開く宴ということで、領主館ではなく、この宿の中庭でガーデンパーティが催されることになっていた。

 ザルツリンド側の参加者も、ラケルスはじめイルミナと関わりの深い魔術師やラケルスの側近たち数名に限られる。クルーたちが緊張しなくて良いので、メルにとってもそのほうが有り難かった。


「メル様、申し訳ありませんが、わたくしは部屋で休ませていただこうと思います」

 宴に誘ったメルに、アリアは申し訳なさそうにうつむいた。

 ラケルスには船の中を案内した時に時にアリアのことも紹介した。ラケルスも教会から逃げているというアリアの事情は気になるようだったが、その場では追及しなかった。できれば宴に参加してほしいとも言っていたのだが。

 アリアは、まだ今朝のショックから立ち直れないのだろう。船から降りるのにも緊張で身を固くしていた。顔色もまだ良くない。そうなると部屋に一人残しておくのも少し心配だ。

 メルが困ったような表情を浮かべると、エリスが微笑んだ。

「メル様、アリアには私がついています。ご心配なさらないでください」

「でも、エリスは宴に出なくていいの?」

「はい。メル様は、ラケルス伯爵の話し相手を存分になさってください」

 悪戯っぽい笑みで、エリスは答える。ラケルスの質問攻めを予想して、メルは少し嫌そうな顔になった。

「あ、・・・わたしも残ろうかな」

「それはいけません。メル様」

「そうだ。メルが出ないのでは、伯爵がここに押しかけてくるぞ」

 アルムは真顔で言う。冗談ではなく、メルがいなければラケルスはそうするかも・・・いや、絶対にそうする。

 仕方なく、メルはエリスとアリアが部屋に残ることを了承し、宴の開かれる中庭へ向かう。

「二人の食事は、あとで誰かに届けさせるわ。わたしも早めに戻るから」

 戸口で振り返り、エリスとアリアに微笑むと、ドアを閉めた。


 宴では、予想通り、ラケルスによる質問攻めが待っていた。飛行船が飛べる仕組み、動力、操縦の方法、船体構造その興味は多岐にわたり、メルはロザリンドの助けも借りながら、なるべくわかりやすく答えた。

 飛行船は、空気より軽いという水素の特性を利用して空に浮いているわけだが、すでに魔術という便利な技術が普及しているイルミナでは魔術自体の研究は盛んだが、そうした、物質自体が持つ特性を調べて利用するという発想がなく、そこにラケルスは衝撃を受けたということだ。

 アルムはアルムで、ラケルスの側近の魔術師たちから、転移魔術やメル達の世界のことを尋ねられていた。やはり魔術師たちは、魔術のない世界がどういうものなのか、とても興味を惹かれるらしい。

 メルとアルムがそれぞれ食べる暇もなく質問攻めされている間、他のクルーは、堅苦しい会話を強いられることもなく、振る舞われるおいしい料理を食べ、それぞに楽しんでいた。


「・・・あ、そうだ」

 アメリアと笑い合っていたヘレンは、メルの頼みを思い出して声を上げた。部屋に残ったエリスとアリアに食事を届けてほしいと言われていたのだった。

 二人もお腹を空かせているだろうと、並べられた料理を取り分け、飲物と共にトレイに載せる。

「ヘレンちゃん、僕も手伝おうかー?」

「ありがとう、アメリア。お願いしますね」

 二人でトレイを持ち、中庭から宿の建物に戻る。

 ヘレンはまだアリアとは話をしていない。廊下を歩きながら、食事を持っていったら、少しお話ができるといいな、そんなことを思っていた。

 しかし、途中、エントランスに出た時、異変に気が付いた。

 宿の受付に座っている女性に、身軽な革鎧を身に着けた男がサーベルを突きつけ、何か尋問している。近くには宿の入口を守っていた警備員と思われる男性が二人、倒れて呻き声を上げていた。

「ヘレンちゃん!」

 慌ててアメリアがヘレンを柱の陰に引っ張り込む。とっさに対応できなかったヘレンの手からトレイが滑り落ち、床で大きな音を立てた。

「・・・!」

 見られたことに気づいた騎士が、受付の女性を突き飛ばし、抜身のサーベルを手にしたまま、ヘレンとアメリアの方へやってくる。

「ひ・・・!」

「誰か!強盗ですー!」

 声詰まらせたヘレンに代わり、アメリアが大声を上げた。

 途端に中庭の方から複数の足音が聞こえてきた。ラケルスや側近達がアメリアの声に気付いたのだろう。

「ちっ!」

 男は踵を返すと階段を駆け上がる。あの先はヘレンたちが泊まっている部屋が並ぶ回廊だ。

 部屋にエリスとアリアが残っていることに気づいて、ヘレンは、真っ青になった。

 ラケルスを先頭に、メル、アルムと、ラケルスの側近の騎士たちが駆け付けた。

「何があった!」

 ラケルスが鋭く問う。

「サーベルを持った男が・・・上へ行きました」

 アメリアの答えに、ラケルスは直ちに階段を駆け上がる。

「メル様、エリスとアリアが!」

 震えながら叫ぶヘレンに、メルの顔が強張り、無言のままラケルスの後を追う。

 階段から続く回廊に出ると、前を行くラケルス達の間から、メル達の部屋の扉が開いているのが見える。メルの身体を悪寒が走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る