第9話 魔女と魔術

 高度1,000mまで上昇したL57号は、再びヴィクトリア湖の上空に出て南へ針路をとった。


 しばらくの間エリスに操舵室を任せたメルは、仮眠室に来ていた。

「シェリー、その娘は大丈夫?」

 メルの視線の先には先ほど救助した少女。マントと靴は脱がされ、仮眠室のベッドに寝かされている。

「メル様、特に外傷はありません。気を失っているだけですね。しばらくしたら目を覚ますと思います」

 シェリーは、脈拍を確認しながら言う。

 船内の雑事全般を統括する船務長に就いているシェリーは、外科医の家の生まれで、L57号の船医を兼ねていた。

「そう、よかった・・・」

 メルは表情を緩めた。

 横たわる少女は、黒い髪をしていた。肌は少し日焼けして小麦色になっていたが、衣服に隠れる部分の肌は色白で、アフリカの現地人ではなさそうだ。

 戦闘のせいで服も顔も薄汚れているものの、整った容姿をしている。

「持ち物は腰に付けていたポーチだけで、身分を示すものはありません。ポーチの中身はまだ確認していませんけれど」

 シェリーが少女にそっと毛布を掛けた。


「メル、シェリー、救助者の様子はどうだ?」

 ロザリンドが仮眠室にやってきた。

「まだ気を失っていますが、命に別状はありません」

 シェリーがそう言って、静かに、というように唇に指を立てた。

「・・・」

 ロザリンドは、無言でメルとシェリーに目配せし、隣の休憩室に誘った。

「・・・まったく、メルはいつも無茶をさせる」

 休憩室のテーブルに着くと、少し苦笑しながらロザリンドは言った。

 いくら救助要請があったとは言え、、大型船を地表スレスレまで降下させて、救助者は一人。リスクを考えれば分が悪い。ロザリンドの言い分も当然だ。

「ごめんなさい・・・せっかくみんな協力してくれたのに、一人しか助けられなかった」

 ロザリンドはほんの軽口のつもりだったが、レンバルトを助けられなかったことをメルが気にしているのを察し、話題を変える。

「いや・・・それより、さっき救助した娘の扱いをどうするか、だが」

 ロザリンドはテーブルの上で指を組んだ。

「本人の希望もあるかもしれませんが、とりあえずはフォルベック大佐に引き渡すべきでは?」

 シェリーが言った。フォルベック大隊の部隊と一緒にいたのだ、まずはそれが無難だろう。

 彼女の素性も、どういう立場だったのかわからないが、レンバルトの様子からすると、部隊では大切にされていたようだ。

 植民地軍にとって重要な人物であるのなら、フォルベック大佐に預けても、酷い扱いはされないと思うが・・・。

「メルもそれでいいか?」

 ロザリンドがたずねる。ロザリンドもシェリーの案で異存ないようだ。

 しかし、メルには少し気になることがあった。あのイギリス兵を次々と燃やしたのは、なんだったのか。武器を持っていたようには見えなかったし、持ち物にも武器らしいものはない。

 だが、あの戦いぶりを双眼鏡で見ていたのはメルとエリスだけだ。自分でも何を見たのかよくわからないのに、ロザリンドたちに説明する自信はない。

 やはり彼女が目を覚ますのを待って、話を聞いてみたいと思った。

「ロザ姉、シェリー、決めるのは少し待ってほしいの。わたし、あの娘と話をしてみたい」

 メルは、二人に言った。やれやれ、というようにロザリンドが頭をかく。

「邂逅点に到着するまではこの船に乗せとくしかないからな。そんなに時間はないが、とりあえず事情を聞きだしてくれ。任せたぞ」

 ロザリンドとシェリーが休憩室を出ていく。


 一人残されたメルは、音をたてないようにそっと仮眠室に戻った。

 仮眠室のベッドのひとつに彼女のマントとポーチが置かれていた。手に取ってみると革製のポーチはずしりと重い。やはり何か入っているようだ。

 メルがポーチを開いての中身を確かめようとした時、後ろから、ガシャンと大きな音がした。

 慌ててメルが振り返ると、ベッドの上で少女が頭を押さえて唸っていた。どうやら勢いよく起き上がったせいで、上のベッドの枠に頭をぶつけたらしい。

「大丈夫?!」

 メルが近づこうとすると、少女は紫色の瞳でメルを睨み付けた。

「・・・お前は誰だ」

「ま、待って・・・落ち着いて。わたしは、少佐からあなたのことを頼まれたの」

 メルは両腕を広げて敵意がないことを示す。

「少佐・・・レンバルトか、そうだ、レンバルトはどこだ!」

「残念だけど・・・少佐は、お亡くなりになりました」

 少女が驚いて目を見開いた。

「死んだ?・・・お前が殺したのか、やはりあいつらの仲間か?!」

 少女が激高する。腰に手をやり、ポーチを着けていないことに気づくと、チッと舌打ちして、メルに向かって両の手のひらを向けた。

 すっと、少女の目が細められる。少女の手のひらの間に炎が生まれた。

「いけない!ここで火はダメ!」

 反射的にメルは叫んで少女に飛びかかると、自分の手のひらで炎を押し包んだ。ジュッと嫌な音がして、焦げ臭い匂いがたちこめる。

「ぐ、うっ・・・!」

 メルは手を焼かれる傷みに顔を歪めたが、痛みを押し殺して少女に笑いかけた。

「・・・お願い、落ち着いて。わたしは敵じゃない。あなたは気を失って、少佐にこの船まで運ばれたの」

 メルの頬を脂汗が流れる。手のひらを焼かれた苦痛に今にも叫びそうになる。

 少女は驚いた表情でメルの顔を見つめていたが、やがて目を伏せて言った。

「・・・すまない」

 少女はベッドから降りると、苦痛に耐えかねて膝をつくメルの横を通り、自分のポーチを手に取った。

 ポーチを開け、2cmほどの青色のガラス球のようなものを取り出す。

「いいか、これを両手の中に」

 少女は、震えるメルの手をそっと開かせる。黒く焦げた皮膚は裂け、焼け爛れた肉に血が滲んでいる。思わずメルが自分の手から目を背けるほど酷い状態だった。その両手の間に先ほどの球を置いて、その外側を自分の手で包み込んだ。

「じっとして、楽にしていればいい」

 すっと少女をが息を吸って目を閉じる。メルの手がほのかに熱を帯び、心地よい温かさが手の中に染み込んでいくようだ。それに合わせて激しい痛みがひいていく。

 見ると、手の中の球が淡く光を放ち、複雑な幾何学模様が浮かび上がった光の環がメルの手を取り巻き、ゆっくりと回転している。

 しばらくして少女が目を開けると、光の環はパッと砕け散り、空気に溶けるように消えた。

「・・・えっ?!」

 メルは自分の手のひらを見て驚いた。信じられないことだが、完全には治らないかと思うほどひどい火傷を負っていたメルの手は、傷跡一つなく治っていた。指も動くし、感覚もちゃんとある。

 手の中に残った青色の球は、色が薄くなって水色に近い半透明に変わっていた。

 少女がメルの手の上から球を拾い上げ、ポーチに戻した。

「傷は治ったはずだ。おかしなところはないか?」

「・・・大丈夫みたい。ありがとう・・・」

 メルは床にペタリと座り込み、何度も手を握ったり開いたりして感触を確かめていた。

「礼を言われることはない。私が怪我をさせた。痛い思いをさせて、すまなかった」

 少女はメルに頭を下げた。

「わたしは、メルフィリナ・ルイーゼ・フォン・ツェッペリン。メルって呼んで。この船の船長をしています。名前、教えてもらっていいかな?」

 メルは、座り込んだまま少女を見上げ、にこりと笑った。

「私は、アルムリーヴァ・テオ・ファルニス。アルムでいい。・・・メル、ここはどこなんだ?」

 アルムは、ベッドに腰掛けると、物珍しそうに周りを見回した。

「ここは、ドイツ海軍飛行船L57号の中です。・・・あ、船の中は火気厳禁だから、もう絶対火はダメ。それは約束してほしい」

 メルは、さっきの炎を思い出して、ぞっとした。

 天井の上は気嚢区画、水素とブラウガスという可燃性ガスが巨大な船体一杯に詰められている。もしもガスに引火すれば、L57号はあっという間に炎上し、炎の塊となるだろう。

「わかった。約束する」

 アルムは神妙に頷いた。

「アルム、さっきの炎やわたしの手を治してくれたのは、一体何・・・?」

 メルの問いに、アルムは少し考えこんだ。

「レンバルトも誰も知らなかったし、メルも知らないのか。元素の力を全く感じないし、やはりこの世界に魔術はないんだな」

 アルムは少し残念そうに言う。

「炎を出したのも、メルの手を治療したのも、私が使った魔術」

「魔術?・・・魔法とか、魔女とか、そういうやつのこと?」

 メルは子供の頃に読んだ童話を思い出しながら言う。

「・・・今は魔法という言い方はあまりしないが、私は『魔女』の称号を与えられている」

 アルムの説明に、メルは聞き入るしかなかった。

「私の世界には魔術がある」 

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