第11話 フォルベック隊との邂逅、そして帰還へ
「メル様、まもなく邂逅点に到着します」
シャワーを浴び終えたアルムに予備の船員服を着せていると、伝声管からエリスの声が聞こえた。
「了解、すぐ行く」
メルは立ち上がって伝声管に返事を返した。
「それは、離れた場所の声を届けるもの?」
「そうよ。わたしは操舵室に行かなくちゃいけないから、アルムはここでしばらく休憩していてくれる?」
「メル、私も一緒に行かせてほしい。邪魔はしない。魔術も使わないと約束する」
アルムは顔を上げて言った。
「・・・わかった。じゃ、ついてきて」
クルーは、救助作業の時にアルムの姿を見ている。おとなしくしてくれるなら、連れて行っても大丈夫だろう。
アルムは船員服の腰に元素石の詰まったポーチを巻く。
仮眠室を出て、操舵室ゴンドラへと下りる。
「これは・・・船が空を飛んでいる、のか・・・?」
操舵室から見える地上の風景に、アルムが驚いてつぶやく。
仮眠室にも、ここまでの通路にも窓はない。飛行船はほとんど揺れることもないため、アルムは自分が空を飛んでいることに気づいていなかった。
「メル様・・・そちらが・・・」
迎えてくれたエリスは、メルの後ろのアルムを少し警戒するように見つめた。
「私は、アルムリーヴァ・テオ・ファルニスという。アルムと呼んでくれていい。助けてもらって感謝している」
メルが紹介するより先に、アルムは、エリスに名乗り、頭を下げた。
「私はエリス・グライフといいます。よろしくお願いします」
きちんと礼儀を示すアルムに、エリスも表情を和らげる。
「みんな、こちらはさっき救助したアルム。詳しい紹介は後でするから、とりあえず船を着陸させましょう」
メルは操舵室を見回して言った。
アルムはそっとメルの後ろに下がり、邪魔にならないよう壁際に立った。
「エリス、邂逅点の準備は?」
「はい、発着場は前方の草原です。地上要員も確保されていると発光信号がありました」
「ヘレン、風向きと風力は?」
「風はほぼ南、微風です。このまま風に向かって降下して問題ありません」
メルは頷いた。
「着陸準備、機関前進最微速!」
ヤンボル基地を出発してから68時間。L57号は約5,000kmを飛行して、ドイツ領東アフリカ、ヴィクトリア湖南岸の草原に着陸した。
係留作業を終えたL57号の操舵室ゴンドラに、立派な髭をたくわえた軍人が近づいてきた。
メルは、急いでタラップを降りる。
「あの・・・フォルベック大佐、ですか?」
軍人は興味深そうにメルを見つめた。
「なるほど、お嬢さんたちが船を飛ばしてくるとは聞いていたが、まさか本当だとはね。本国の連中は、面白いことを考える」
さも可笑しそうに笑いながら、軍人は言う。
「ようこそ、ドイツ領東アフリカへ。ドイツ陸軍植民地防衛隊司令官、レットウ=フォルベック大佐だ」
「失礼しました!ドイツ海軍L57号船長、ツェッペリン大尉です。補給物資をお届けに参りました」
慌てて敬礼したメルに、フォルベックは答礼を返す。
「ご苦労。早速だが物資を下す作業に入りたい。長距離の飛行で疲れているだろうが、もしイギリス軍が越境してくると厄介だ。物資を下ろしたら、早々に引き返すといい」
フォルベックが後ろに控えていた副官に合図すると、荷馬車10台と30名ほどの兵士が船の近くに集まった。
士官であるロザリンドとシェリーが、大佐の部下と相談し、貨物室から物資の搬出作業を開始する。
「大佐・・・少しお話したいことがあるのですが」
メルは、フォルベックにやや声を落として言った。
「ふむ・・・わかった。しかし、ここには天幕すらないが・・・」
周りにあまり聞かれたくない話なのを察した大佐は、少し困ったように辺りを見回す。
「大佐がよろしければ、船の中にご案内いたします」
「そうか。ではお招きにあずかろう」
メルは大佐を操舵室に案内した。操舵室には、エリスとアルムの二人だけが待っていた。
メルとフォルベックは、航法用のデスクを挟んで座った。
「大佐、まずはこちらをお渡しします」
メルは白いハンカチに包まれたものを、コトリとデスクに置く。
大佐がそっと包みを開くと鉄十字章が現れる。切れたリボンの部分に褐色の染みが付いているのを見て、大佐は手を止めた。
「これは・・・レンバルトのものか」
「はい、本日早朝、ヴィクトリア湖西岸の植民地境界付近でイギリス軍と思われる部隊と交戦中でした。戦闘終了後に救助活動を行いましたが、少佐はすでに重傷を負われており、お助けできませんでした。申し訳ありません」
メルは大佐に頭を下げた。
「そうか・・・だが、大尉が謝る必要はない。部下の最期を見届けてくれたこと、感謝する」
「少佐は、鉄十字章は大佐にお渡しするようにと。・・・それと、こちらのアルムリーヴァ・テオ・ファルニスのことを頼む、と」
メルの後ろに立っていたアルムが、フォルベックに跪いた。
「君は、レンバルトの部隊にいたのかね?・・・失礼ながら、私はお嬢さんに見覚えがないが・・・?」
怪訝そうな表情を浮かべてフォルベックがアルムに問うた。
「レンバルトは私を助けてくれた。こちらに来て、何もわからず、食べ物もなくて困っていた時、一緒に来ていいと言ってくれた。少ない食料も水も分けてくれて、色々なことを教えてくれた」
アルムは、ポツリポツリとフォルベックに話す。
「昨日の夜中に、突然キャンプが襲撃された。みんな次々撃たれて・・・、私、敵を許せなくて全部焼き払った、でも・・・レンバルトも、誰も・・・」
アルムは悔しそうに拳を握りしめた。
「・・・助けられなかった。みんなは私を助けてくれたのに、私は、みんなを助けられなかった・・・」
レンバルトたちのことを思い出し、ぽたりと涙が落ちる。俯き、声を殺してアルムは泣いていた。
たった一人で、何もわからないこちらの世界に放り出されたアルムを助けてくれたレンバルト達。彼らが次々に撃たれ、倒れていくのを見て、アルムがどれだけ怒り、悲しんだかは想像に難くない。
だから、アルムは我を忘れたようにイギリス軍の兵士たちを徹底的に殺戮した。仲間の仇をとるために。
エリスが、ハンカチでアルムの涙をそっと拭う。
メルがアルムの説明を引き継いだ。
「大佐、アルムは部隊のほとんどが倒れた後もイギリス軍と戦ってくれました。でも、生き残ったイギリス兵に狙われ、それを庇ったレンバルト少佐が撃たれました」
あの時、双眼鏡越しに見た状況が思い出される。
「少佐は、重傷を負われていたにも関わらず、気を失ったアルムをこの船まで運んで、そこで・・・」
「そうか」
フォルベックは立ち上がり、アルムの肩に手を置いた。
「お嬢さん、部下のために泣いてくれてありがとう・・・こんな可愛らしいお嬢さんに見送ってもらえて、奴らは幸せ者だ」
姿勢を正すと、フォルベックはアルムに敬礼した。
「できれば君を安全な場所まで送ってやりたいが、我々も物資を受け取ったらここを引き払って、南へ撤退しなければならない」
フォルベックはそこで押し黙る。フォルベックの部隊にはもう余裕がない。
ドイツ領東アフリカ自体、主要都市がある海岸線はすでにイギリスの勢力下に置かれ、まともに領土を維持する力を失っていた。
「大佐、アルムはわたしがお預かりしても良いでしょうか」
メルは、アルムの事情を打ち明けられた時から、アルムをL57号でフリードリヒスハーフェンへ連れ帰ることを考えていた。
今後、どれくらい戦争が続くのかわからないが、補給を受けられないフォルベック隊は、これから一層厳しい戦いを強いられることになるだろう。そんな中にアルムを残していくことはできなかった。
「それは願ってもない。大尉、どうかよろしく頼む」
フォルベックは深く頷いた。
操舵室を出て行こうとして、フォルベックはメルを振り返った。操舵室のエリスとアルムからは見えないよう、一枚の紙片をそっとメルに差し出す。
「大尉・・・読んでみたまえ。ヤンボルからの指令電だ」
それは、L57号がヤンボル基地を出た後に発信されたフォルベック宛の暗号電を翻訳したものだった。
最初の数行は良かった。L57号の到着予定、着陸場所の確保についての指示だ。問題は後半だった。
・L57号が帰還に耐えないと思われる時は、船を解体し、現地で必要な資機材に当てること。
・その際は、L57号の乗員は現地部隊の士気向上に資するべきこと。
受け取って目を通したメルは、最後の一行に不穏なものを感じた。
「大佐、この士気向上に資するというのは・・・」
「陸軍の隠語だ。性的欲求の解消・・・つまり慰みものにしてよいということだ」
フォルベックも苦々し気に言った。
「・・・なっ!」
メルは通信文を思わずグシャリと握りつぶす。恥ずかしさと怒りで顔が赤くなった。
「心配はいらん。この内容は私しか知らない。L57号は帰還できる状態なのだから、こんなものは無効だ」
フォルベックはメルから通信文を取り上げると、ビリビリ破いてポケットに突っ込んだ。
「しかし、気を付けておきまえ。この電文は陸軍の指揮系統で来ている。君たちは海軍の所属ではあるが、我が国の軍部は伝統的に陸軍が牛耳っている。その中には、こういう下らんことを考える輩がいるということだ」
「忠告ありがとうございます。大佐」
「なに、はるばるここまで来てくれた君たちに敬意を払えない連中は、私も腹立たしい」
フォルベックは、にやりと笑ってタラップを降りて行った。
補給物資の搬出は4時間ほどで終了し、空になった貨物室にはフォルベック隊のドイツ兵達から預かった本国行の郵便物が載せられた。
出発準備が整ったL57号を、フォルベックは見送りに来ていた。
L57号のクルーたちを前に、フォルベック隊の主だった士官、下士官も整列している。
「お嬢さん方・・・いや、勇敢な戦友たちよ。ここまでよく来てくれた、感謝する。もてなしのひとつもできないのは心苦しいが、帰りの旅の無事を祈っている」
「大佐、L57号乗員一同、隊のご武運をお祈りいたします」
メルが代表して敬礼すると、クルーたちもザッとそれに倣った。
フォルベック隊一同も敬礼。・・・この後、フォルベック隊は犠牲を出しながらも終戦まで戦い抜き、ドイツへと帰還を果たすことになる。
「L57号は、これより離陸準備に入ります。総員乗船」
メルが号令をかける、クルーたちが船に乗り込んでいく。
「全エンジン始動、各部最終チェックに入れ」
2月24日夕刻。L57号はアフリカを離陸し、帰還の途に就いた。
アフリカから戻る飛行中、メルは各部のクルー全員にアルムを紹介して回った。
異世界人であることと、魔術のことは伏せたが、フォルベック大佐からメルが預かったこと、帰還後、L57号のクルーとして迎えるつもりであることを話した。
アルムはゲスト扱いだったため、時間を見ては各部に顔を出しては色々教えてもらっていた。特に、機関部には頻繁に通っており、飛行船が空を飛ぶ原理や船の構造、エンジンの仕組みなどの科学技術に興味があるようだった。
魔術を技術としてとらえるイルミナ出身のアルムの目には、こちらの世界の技術が新鮮に映るのかもしれない。
メルは、エリスにだけは、アルムから聞いたことを全て打ち明けた。フリードリヒスハーフェンに戻ったら、メルとエリスの住む家にアルムを引き取るつもりだったからだ。
エリスは驚きはしたが、あの戦闘を実際に見ていたこともあり、魔術のことも、アルムが異世界から来たことも信じてくれた。
・・・ただ、エリスが心配するので、魔術の炎で手を大火傷したことだけは内緒にした。
アフリカを離陸してから約60時間後、L57号は、往路とほぼ同じルートをたどって、無事ブルガリア上空へと入っていた。
予定では、往路と同様にヤンボル基地に着陸し、補給を受けた後に、フリードリヒスハーフェンへと帰還することになっている。
あと1時間も飛べばヤンボル基地が見えてくるはずだ。
しかし、メルは厳しい表情で前を見据えていた。そして、何の前触れも無く指示を出した。
「アメリア、針路を変更します。取り舵10、針路330。高度と速度はそのまま」
突然の針路変更に、操舵室のクルーが全員メルを振り返る。
しかし、メルは、淡々と続けた。
「ヘレン、ヤンボル基地への着陸を中止し、このままフリードリヒスハーフェンへ帰還します。航路の再設定を」
「・・・はい。わかりました!」
一瞬、戸惑いはしたが、フリードリヒスハーフェンへと帰還するというメルの言葉に、ヘレンは素直に応じる。
「アメリア、復唱はどうしました?」
メルの隣で、エリスが促した。
「はい!取舵10、針路340に変針します」
「イレーナ、燃料と浮遊ガスは、まだ大丈夫だと思うけど、どう?」
「はい、フリードリヒスハーフェンまでなら大丈夫です」
L57号の航続距離は13,500km。計算上、アフリカ往復約10,000kmを飛行した後でも、燃料補給なしで約1,600km先のフリードリヒスハーフェンまでは飛べる。実際、燃料と浮揚ガスにはまだ余裕がある。
イレーナの答えに頷き、メルは伝声管を開くと船内の全クルーにヤンボル基地への着陸中止を伝え、そして、少し表情を緩めて言った。
「みんな、疲れているところ悪いけど、もう少しだけ頑張って。早く家へ帰りましょう」
ごめんね。みんな・・・メルは内心謝る。何の説明もせずに飛行プランを変更してしまったが、あの屈辱的な電文のことは、クルーたちには聞かせたくはない。
フォルベックから見せられた悪意ある指令電は、ヤンボル基地から発信されたものだ。
もちろん、電文はドイツ本国からもので、ヤンボル基地はそれを中継しただけのはずだが、それでも感情的には許せない。
また、メルの知らないところで、先の電文のような指示が出されている疑いを拭いきれなかった。もしも、強引に基地兵が船に踏み込んできたら、抵抗する術はない。
考えたくないことだが、アフリカに到着して補給物資を受け渡した時点で、メルたちの任務は成功している。例えL57号が帰還しなかったことにされても、美談に仕立て上げることはできる。
クルーの疲労はたまっていたし、燃料を補給しておいた方が安全なのは間違いないが、メルはクルーたちを早くフリードリヒスハーフェンへ帰したくて、無着陸での帰還を決断したのだった。
2月28日正午過ぎ、L57号はフリードリヒスハーフェンへと無事に帰還した。
アフリカを離陸してから80時間、約6,500kmの飛行。しかし、アフリカでの着陸はほんの数時間で、補給も受けていない。
無補給での飛行時間と距離は、往路でヤンボルを出発してからフリードリヒスハーフェンに到着するまで、約150時間、飛行距離は11,000kmを超える。ツェッペリン飛行船史上、最長の大飛行記録だった。
ボーデン湖上空に戻ってきたL57号の巨体に、無事の帰還を祝う歓声が大きく響き渡り、新聞もL57号の記事がトップ扱いだ。シュトラッサーやエッケナーが期待していた『美談』にはなっただろう。
ボーデン湖上に降下したL57号はツェッペリン飛行船製造会社の格納庫に収容されて、オーバーホールに入った。
大飛行を成し遂げたL57号のクルーにも、しばらく休暇が与えられることになった。
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