週末、時々その人は私の犬になる

竹善 輪

第1話金城梨穂子という人間

 金城梨穂子はよく人に『守銭奴』と言われる。


 一、お金の貸し借りは誰であってもしない


 二、割り勘は一円単位でおこなわれる


 三、貯金が何よりも好き


 四、割引券、レディースデーを駆使する


 五、プレゼントはしない


 それで人に迷惑をかけたことはないので、放っておいて欲しいというのが本音だ。お金は裏切らないし、面倒な自分の意見も押しつけてこない。梨穂子に何も望まないし、何かを強要することもない。


 けれど、梨穂子は本日三十歳になった。


 なんとなく、節目のような気がして、今回はショートケーキ一切れを奮発して買ってみた。年中使うこたつテーブルの上に、ケーキを置いた。誕生日だと言って無理矢理もらったローソクを三本立てて、パチパチパチ。その時初めて自分の孤独に気づいて恐ろしくなった。


 テーブルと不釣り合いに広いこの2LDKのマンションは、梨穂子がチマチマと貯めたお金で買った中古物件で、年数のわりに綺麗な部屋だ。ちょっと訳アリで安くなっていたのもなんともラッキーで、先月購入して、未だ興奮冷めやらない。梨穂子の念願の自分だけの城であり、資産だ。どれだけドケチとののしられようが、一括でこの家のお金を支払った自分を褒めてやりたい。


 部屋のわりに小さな冷蔵庫も、こたつの部分は機能しないテーブルも、ずっと屋外で使っていたのでボロボロの洗濯機も気にならない。最低限の電化用品は動けばいいし、がらんとした部屋だって梨穂子が住みやすければそれでいいのだ。


 ガムシャラにこれまで生きてきた梨穂子は、自分の家を手に入れるためだけに頑張ってきた。そのために奨学金で大学を出て、なるべく給料の高い大手企業に勤めた。給料だけ考えると営業部に行きたかったが、先の事を考えて、そこは総合職で我慢した。もっとも人づきあいが苦手な梨穂子に、花型の営業部で務めるのは無理だっただろう。今は総務部で働いている。


 同期はほとんど寿退社した。結婚して続けている人も稀で、梨穂子が唯一話せる同期が岡本だったが、その岡本も産休に入っている。もう数年したら、子供が大きくなって戻ってくる人がいるかもしれない。そんな環境だ。


 自分の城も手に入れて。次は老後の資金を溜めればいい。それも贅沢しなければやっていけるだろう目途もついている。


 後悔はしていない。寧ろ、城を手に入れた自分を褒めてやりたい。


 しかし……。


 このまま、朽ち果てて死ぬのだろうか。


 ケーキを食べるのを止めて、どさりと仰向けに寝転んだ。白い天井にはシミ一つない。


 今更、人づきあいや、恋愛をするつもりもなかった。過去彼氏が出来たこともあったが、皆梨穂子のドケチさにドン引きして消滅していった。


 テレビでも買うか。


 今どきテレビのない生活をしていた梨穂子が思い立った。寂しさを紛らわすにはそれが良いと思ったのだ。早速、梨穂子はさっと着替えると鞄を持って出かけた。


 その時は自分が別のものを購入するとは思っても見なかったのだ。



 ***



 家電量販店を数件回った梨穂子は思いあぐねていた。


 果たして、今まで要らなかったのに、今更テレビが必要なのだろうか。ニュースはスマホで毎朝チェックしているし、昼にお弁当を食べる時は、社員食堂でテレビがついている。ドラマに興味もなければ、今どきネット環境さえあれば特別必要なものでもない。

 値段を見合わせながら考えて、梨穂子はやっぱり、買うのは無しだと決断した。公共料金だって払いたくない。


 結局、張り切って外へ出たのに無駄足だったと、柄にもなくウィンドウショッピングをしているところにその騒動に遭遇した。


「だから、引き取ってくんない? ただでいいからさ! 買った時は転勤になるなんて思っても見なかったんだって! この犬、いくらしたと思ってんだよ、五十万だぞ!?」


 見るからにチャラそうな男が、腕の金色の時計をじゃらじゃらとさせながら、プラッチックのケースを、弱弱しい男の人に押しつけていた。どうやらペットショップの店員に難癖をつけているようだった。


「困ります。うちもちゃんと世話をしていただけると信じてお譲りしていますので」


「アンタんところで購入したんだから、返すのが筋ってもんだろ?」


「いくらうちで購入したからって、飼えなくなったからって、戻してもらっては困ります!」


「あ~あ~。だったらこの犬、保健所行きじゃーん。お前、可哀想だと思わないのかよ」


 理不尽にも男が買えなくなった犬を押し付けているようだ。五十万もした犬を簡単に手放すなんてもったいない、と梨穂子は見ていた。


「とにかく、置いて行くからな!」


「ちょ、ちょっと!」


 押しの弱い店員が何やら封筒とケースを押し付けられ、男はその場を去っていった。店員が肩を落としてケースを眺めている。梨穂子はその光景に足が縫い付けられたように動かなかった。


 冷静に考えたら、絶対にそんなことはしなかった。けれど、もったいないという気持ちと『誕生日に何かを買いたかった』という気持ちが、梨穂子に行動をさせたのかもしれない。


「先ほどから見ていたのですが、その犬は捨てられてしまったのですか?」


 いつもなら絶対に声などかけなかっただろう梨穂子は、店員に話しかけていた。



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