第11話金城梨穂子は謝罪される
「コタロウ。痛いところはない?」
英輝は梨穂子の家についてからは興奮状態だった。コタロウがドッグフードをガツガツと食べて平気そうなことで、ほっとしたのか英輝はオードブルを梨穂子とたくさん食べた。いちいち先に食べては梨穂子に『これは美味しい』だの、『これはいまいち』だの感想をよこした。食べるのをじっと見るものだから梨穂子もオードブルの感想を言う羽目になった。
そうして今度は色々とおしゃべりをして学校の話やら教師の話やらを一気に教えてくれる。梨穂子はそれをウンウンとただ頷いて聞いていた。梨穂子が二人で食べ終わった大皿を洗っている間、英輝はコタロウと遊んでいた。急に静かになったと思ってみると英輝が床に転がるように眠っていた。
「疲れたんだね」
梨穂子は英輝に肌掛け布団をかけてやった。コタロウが英輝を守るように足元で丸くなっている。もしかしたらコタロウにとって英輝は自分の弟分なのかもしれない。
寝ている英輝を見て梨穂子は東条の家でのことを思い出した。英輝が周りの人の顔色ばかり窺うのは父親が威圧的だからだろう。東条の彼女である三井も高圧的なイメージだ。きっと英輝は父親に言い返したり、意見を言ったりと自分の思うことを洗いざらい言えるような環境じゃないのだろう。
だから。
コタロウや梨穂子を守るために力を振り絞って今日、英輝は恐らく初めて父親に立ち向かったのだ。
「ありがとう」
英輝の頬を思わずつついて梨穂子が笑う。『お姉さんとコタロウは僕の友達だ!』と言ってくれた言葉が今頃心に染みる。そうか、こんな母親でもおかしくない歳の女を、友達だと言ってくれたのか。それでこんなに興奮して――疲れて眠ってしまった。
それから東条が英輝を引き取りに来たのは二時間程過ぎてからだった。
「遅くなってすみません。大体の話は終わりました。少し、確認したいことが有るのですが……英輝は?」
「あ、それが。眠ってしまっていて」
「え。眠った? 貴方の家で? 本当に?」
「ええ。疲れたみたいです。起こすのもなんですから良ければ入ってお話を」
「いいのですか?……失礼ですが、お独りですか?」
「ええ。ああ、申し遅れましたが私、Tコーポレーションの総務部で働いています。東条副社長」
「え。うちの会社の?」
「ええ。ですから身元は怪しくないと思います。英輝くんが副社長の息子さんとは存じませんでした」
そういえばネグレクトと言ってしまった。と梨穂子は青ざめる。あー。これ、辞表提出覚悟かもしれない。しかしやってしまったことは無かったことにできない。スリッパもない梨穂子の部屋に東条を通した。東条は簡素すぎる室内と床に倒れこむように寝ている英輝を見て目を丸くしていた。――あ、副社長のご子息になんてことを……。
「三井さんが白状しました。どちらか一方だけのお話でしたらきっと彼女も言い逃れできたでしょうが、英輝も貴方も、ということで観念したようです。――その、英輝を保護してくれていた貴方に酷い言いがかりをしてしまいました。申し訳ない。あと、貴方の大事な犬にも酷い事をしました。」
「いえ、私の方こそ言いすぎましたので。コタロウも袖とはいえ、貴方に噛みつきました。」
正直、コタロウにしたことは許しがたいが、それを言ってもこちらの方が分が悪いのは分かっていた。東条がこたつテーブルの向かい側に正座する。へしゃがった座布団にこれほど似合わない男はいないと梨穂子は思う。意外なことに梨穂子に頭を下げた東条が眠っている英輝の事を見る目は温かいものだった。
「百聞は一見に如かず、ですね。人の家で安心して眠ってしまうなんて今までにない事です。よほど貴方に気を許しているようだ」
「まあ。コタロウもいますから」
「……コタロウ、ね。振り払って乱暴にしてしまいした。何かあれば私に請求してください」
「はあ」
少しは悪いと思っていてくれていたようだ。世の中には犬嫌いの人もいる。副社長が怒りださない人で良かったと表情を出さずに梨穂子はホッとした。
「その、靴の事ですが、英輝が貴方に運動靴が欲しいといったのですか?」
「いいえ。少年がそんな事を言うと思いますか?」
「……いえ」
「眺めているんです。ジャングルジムで遊ぶ子の足元とか。コタロウと芝生で遊ぶときは、すみません、勝手に裸足にさせてました。あと……足の爪も切ってしまいました」
「そうですか」
「通学は仕方ありませんが、あのくらいの男の子には運動靴も必要だと思います。ちょうど誕生日なのですからプレゼントしてあげてみてはどうですか?」
梨穂子は東条に提案する。普段の梨穂子ならこんなアドバイスなどしないだろう。でも梨穂子の為に頑張ってくれた英輝の気持ちに少しでも酬いたかった。
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