第34話金城梨穂子は愛されていたことを知る

『知っているんだな。知っているなら教えてくれ。あんなに執着していたんだ。俺に知る権利はあるだろう』


「それは……。あの、本当に、涼子は最後までその、『松本加也まつもとかや』をさがしていたんですか?」


『そうだ。報告書も俺が引き継いでいる。調査はとっくに打ち切っているが』


「落ち着いて聞いてください。それは、私の捨てた名前です。男みたいな名前ですが、松本加也は女です」


『え?』


「あなたの奥さん……涼子に好きな男なんていなかったんです。好きな男がいるならばそれは東条さんだったんですよ。だって、あの涼子にあんな顔をさせていたのはあなたと英くんだけです。きっと東条さんたちは両思いだったんです」


『え……』


「あ、とりあえず、東条さんのお家に急ぎましょう。トイレとってきます」


 呆けたコタロウを小脇に抱えて東条家に急いだ。

 インターフォンを鳴らすと驚いたヨタヨタした英輝が迎えてくれて、夜更けに二人で東条の体をいつもの手順で縛った。


 眠くて限界だった英輝を東条の体の隣に寝かして、梨穂子はリビングでお水を一杯もらった。


 一息ついたところで、コタロウが梨穂子のところへやってきた。


『信じられない。本当に、君が松本加也なのか?』


「捨てた名前ですが」


『そうだというなら、君宛に涼子からの手紙がある。書斎の右の棚の端の茶封筒を取ってくれ』


 言われて、梨穂子はその茶封筒を手にした。厳重に封されていた中には『松本加也』に関する調査結果と手紙が入っていた。


「あ……」


 調査結果のレポートに両親の死亡が記されていた。……あの人たち、死んだんだ。

 悲しくもない。ただ、ホッとしてしまった。


 そして。

 最後のページには松本加也、消息不明で捜索打ち切りと書かれていた。どうやら梨穂子はうまく雲隠れ出来ていたらしい。


 赤い封筒に入った涼子からの手紙は、開けるのに勇気が要った。


 意を決して封を開けると、懐かしい涼子の字が出てきて、こみ上げるものがあった。一枚だけ入っていた便箋にはたった二行しか文字が書かれていなかった。



 加也へ


 たあいたしたてるよ



「あははっ、あははははっ」


 その文字を見て私の視界が揺れる。涼子らしくて、梨穂子は笑ってしまった。

 狂ったように笑う梨穂子を見て、首をかしげる東条に手紙を見せてやった。


『なんだ、これ』


「ごめんなさい、東条さん。やっぱり、涼子は松本加也を愛していたみたいです」


『え?』


「『た』抜き言葉です。私が狸顔だから、私がいないのを皮肉ってるんです」


『手紙って、これだけなのか?』


「ええ。涼子らしいです」


『それで、伝わるのか……そもそも俺が適う相手じゃなかったんだな……』


「不思議なご縁ですね。私たちがこんな風に巡り合うなんて」


『本気で偶然だと思っているのか?』


「え?」


『俺は涼子が仕組んだと思ってしまうよ。彼女が亡くなって、塞ぎ込んでしまった英輝を助けるために君に助けを求めたんだ』


「……」


『なんにせよ、貸金庫の鍵も入っているだろう』


 コロリ、と封筒から鍵が落ちた。

 

『まさか、涼子の男だと思っていた人物が君だったなんて、俺も気持ちの整理がつかない。君にずっと、嫉妬していたなんて』


「嫉妬、して欲しかったんじゃないでしょうか」


『え?』


「わざわざ私が『男』だと言ったんでしょう? あなたは女の人にモてるから。きっと焼いていたんですよ。涼子は……ちょっと素直じゃないんです」


『そんな……』


「昔、涼子にシャツの裾口を破られてたんです。ひどいですよね、なけなしの服だったのに。でも『穴を隠してあげる』ってそこを涼子が掴むのをみて、ようやくわかったんです。私の服の裾、掴んでいたかったんだって。今思えば本当は手をつなぎたかったのかもしれませんけど」


『……俺もシャツの裾が破れていたことがある。まさか』


「涼子は懐に入れた人を裏切ったりしません。あなたも、英くんも、大切な人だったんです」


『病床で俺に笑って言ったんだよ。『私には好きな男がいるから、あなたは再婚でもして』って、あれも……俺たちを想って? まさか、こんなのない』


 嘆く東条を梨穂子はそっと抱き上げて膝に乗せた。そしてそのままギュッと抱きしめた。


 今は東条もコタロウだから抵抗はまったくない。


「わたしたち、涼子に愛されていたんですね」


 ぽろぽろと梨穂子の目からも涙がこぼれた。


 腕の中のコタロウも動かなかった。


 それからは梨穂子も東条も何も言わなかった。沈黙が続いて、いつの間にか朝になっていた。

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