第35話金城梨穂子は家族を作る

「りほちゃん、ここで寝たら体がいたくなるよ?」


 リビングの床に寝転がっていた梨穂子を英輝が心配して体を揺らしていた。はっとして足元を見るとコタロウが体を丸めていた。


「コタロウ?」


 呼ぶとコタロウが梨穂子の顔を舐めに来た。と、いうことは東条は自分の体に戻っているはずだ。


「お父さんは僕がほどいたから大丈夫」


「……そう」


 起き上がってぼんやりしながら、英輝の頭を撫でた。キッチンからはコーヒーの香りがしていた。


「りほちゃん、トースト一枚でいい?」


「ん? うん」


 ポップアップのトースターを東条が買ってきてからというもの、朝食のパンを入れるのは英輝の仕事になっていた。ダイニングに行くとテーブルにはバターとジャムが並んでいた。


「目玉焼き作ろうか」


「僕、ベーコンひいたやつがいい」


「うん、わかった」


 梨穂子にとってベーコンは贅沢でも、そんなリクエストをできるようになった英輝が愛おしい。もう、涼子の分身に見えると堪らなかった。


 朝食中、東条は一言も話さず、英輝が気を使ってずっと梨穂子に声をかけていた。いよいよ食事が終わると、やっと東条が声を出した。


「この関係が、涼子の思惑通りだったとしても、俺は……続けていきたい。俺は梨穂子がいる生活に安らぎを感じている」


「お父さん、突然声出したと思ったら、何言ってるの?」


 困惑した声を上げたのは英輝だった。突然真剣な顔をして何を言い出したのかわからないのだろう。梨穂子はじっと東条と英輝を見た。


 涼子の形見の二人。


 何が、どうとか、なんてわからない。


 この親子に自分が見合っているとは思わない。


 それでも


「私を必要としてくれるなら……それまではそばにいさせてください」


 下を向いて梨穂子が、ポツリと言った。


 その言葉に反応した東条はテーブルに額をつける勢いで頭を下げた。


「お願いします」


 その言葉は力強いものだった。


 梨穂子の足の上にはコタロウがお尻を載せて座っていた。



 ***


 それから、鍵をもって貸金庫に行った。いったん東条が相続しているらしく、中身は東条が把握していた。出てきたのは土地の権利書と一億近いお金だ。涼子は本気でそこに家を建てて梨穂子を住まわせるつもりだったのだろう。


「涼子の『男』がとんでもないクズだったら渡すつもりはなかった」


 それでも、定期的にお金を払って管理していた金庫の中身を、自分のものにしても誰もわからなかっただろうに、東条は涼子の意思を尊重したのだろう。


 興味もあって、東条と英輝、もちろんコタロウ付きで涼子が気に入って購入した土地を見に行くことになった。車に乗り込むことにも慣れた梨穂子が助手席に乗ると、当然のように東条がシートベルトを止めてくれた。二時間ほど走ってついたそこは、そこそこ田舎で、海が見える小高い敷地だった。


「これは……私には手に余ります。維持費を払っていたのは東条さんですし、涼子も私がこのまま譲るなら文句はないと思います。お金も土地も、東条さんがこのまま持っていてくれませんか?」


 しゃれた立地の土地を見て、しり込みした梨穂子はこのまま東条にすべてを委ねようと思っていた。生活には困っていないし、梨穂子には自分の城もある。けれど、そんな梨穂子に東条は提案した。


「……だったら、ここに家を建てないか?」


「え?」


「ここに、涼子が選んだ土地に、涼子のお金で。涼子が望んだ家族を、俺たちで作ってみないか?」


東条が海の方を向いて言うと英輝が顔を上げた。


「お母さんが望んだ?」


「英輝、梨穂子はお母さんの大親友だったんだ」


「……だから、りほちゃんはお母さんの写真を見て泣いていたの?」


 英輝に問われてコクリと梨穂子は頷いた。


「お母さんが言っていた「いい女の人は玉葱入りの味噌汁を作ってくれて、甘い玉子焼きを焼いてくれる」というのは梨穂子のことだったんだ。俺は時々、犬になるし、梨穂子がいないと生きていけない。英輝より梨穂子が好きだとは言わないが、同じくらい好きになると思う。結婚してくれ、梨穂子。家族になろう」


「……」


 梨穂子は突然のプロポーズに頭が真っ白になった。そんな梨穂子の手を英輝がそっと握った。


「お父さんが嫌なら僕と結婚したらいいよ。あと、ちょっと待ってくれないといけないけど」


 真剣な英輝が梨穂子を見つめるので、フと笑ってしまう。


「……英くんは、私が家族になってもいいの?」


「なりたい! 家族になるのは大歓迎だよ! でも、お父さんのお嫁さんになるのは……昨日の晩、ゆずってくれって頼まれたんだ。必死なんだもん」


「コタロウも家族に入れてくれる?」


「もちろんだよ! 僕の弟だね」


 えっへんという英輝には悪いがコタロウは英輝を弟分だと思っていそうだ。


 ふわり、と潮風が吹いた。そこらじゅうで勢いよく伸びている草が揺れる。


 ただ、この場にあるすべてのものが愛おしく思えた。


 下をむいて頷くと、東条が英輝と梨穂子を抱きしめた。

 それを見たコタロウがキャンキャンとその周りを鳴きまわった。まるで、自分も入れてくれと言っているようだ。笑った梨穂子はコタロウを抱き上げてその輪の中に入れた。




 そうして数か月後には梨穂子と東条は籍を入れて夫婦となった。


 数年後、建築された新居のリビングには眉間にしわを寄せた美女が写る写真が二枚、額に入れて飾られた。


 その家族は仲睦まじく、さらに数年後には新しい家族の泣き声も聞こえていた。

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週末、時々その人は私の犬になる 竹善 輪 @macaronijunkie

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