第32話金城梨穂子は失ってしまったことを知る

「お姉さん、僕とお父さんが話し合ってね。お母さんの写真を飾ることを決めたんだ」


 そう英輝が言ってきたのはもやもやとした気持ちを抱えている時だった。どうやら思い出すと辛いからと、ずっとしまっていた母親の写真の入った段ボールを開けることに決めたようだ。それを親子で話し合ったのだと思えば心が温かくなった。


「そう」


「りほちゃんにも見せてあげるね。とっても美人だから」


 そういって英輝は段ボールがから、とっておきの写真を私のもとに持ってきてくれた。それは大きく引き伸ばされていて、飾りの細かい木のフレームに入っていた。美しい女の人が赤ちゃんを抱いて笑っている。梨穂子はその写真にくぎ付けになった。


「この赤ちゃんが僕。この写真は笑っているけど、お母さんの笑ったところはあまり見たことはなかったかもしれない。めったに笑わない人だったから」


 梨穂子の写真に伸びる手が震えていた。喉が詰まって息苦しい。ポタリ、と涙が落ちるとそれはどんどん溢れ落ちた。


 これが笑った顔だというなら、違う。


「りほちゃん! どうして泣いているの?」


「……そりゃそうだよ、英くん、泣きそうな顔が一番幸せを感じている時の顔だもの」


「え?」


 ――涼子どうして……


 泣き出した梨穂子の背中を慌てて英輝がさすり、体をくっつけたコタロウも心配して見上げていた。


 ぼやけた視界に英輝の顔が見える。


 どうして気づかなかったのだろう。こうしてみれば、英輝は涼子にそっくりだ。


 梨穂子は震える手で英輝の頬を包んだ。


「他に、写真……ある? み、見せてくれる?」


「う、うん……いいけど、りほちゃん、大丈夫なの?」


「うん」


 英輝が持ってきてくれたタオルで顔をぬぐって、写真の入った段ボールを見せてもらった。そこには、かつて心を支え合った涼子の成長した写真がたくさん入っていた。

 豪華そうな結婚式、どこか旅行している写真は新婚旅行だろうか。隣に東条写っていて、涼子は作り笑いをしていた。涼子の表情が変わったのはお腹が大きくなった頃で、出産後と思われる英輝を抱いた写真は顔をくしゃくしゃにしていた。


 ああ。幸せだったのだ。


 この子は、英輝は涼子の宝物だったのだ。


「涼子……」


 一枚だけ、病院のベッドの上の写真があった。その写真はやつれていても美しい涼子が東条と英輝と三人で写ったもので、涼子の眉間にはしわが寄っていた。


 梨穂子も、涼子もまともに感情を出して笑えない子だった。

 本当に幸せな時は涙が出そうになるから、表情がゆがんでしまうのだ。


 なんて顔してるのよ、涼子。


 涼子が病気になるなんて思ってもみなかった。膝に上がってきた温もりを撫でながらその写真を眺めた。いつの間にか英輝も体を寄せて梨穂子と一緒に写真を眺めていた。


 せっかく、幸せになれたのに。


「お母さんはね、心臓……心臓がね、悪かったんだって」


 英輝がポツリ、と教えてくれた。その肩が震えていて、梨穂子は思わず片手で抱き寄せた。そんな梨穂子に驚いたようだったが、そのまま、英輝はくっついてきた。


「そう……」


 私の心臓、あげられたら良かったのに。


 涼子が幸せになるのなら、迷わず差し出せたのに。


 こんなことになるなら連絡を取っておけばよかった。


 この世界に涼子はもういない。


 涼子……。


 どこかで、幸せになっていると信じていたのに。


「ああ……」


 静かに泣き出した梨穂子の背中を英輝がさすった。そのぬくもりが優しすぎて、涙は止まりそうになかった。

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