第3話金城梨穂子は名前を決めた
プラスチックのケースはキャリーといって犬を持ち運ぶものだった。これもついていてお得だったと梨穂子はニヤニヤした。
段ボールからケージを出して組み立てる。中にトイレと水をセットしてから梨穂子はキャリーのドアを開けた。
「えーっと……セ…なんだったかな。とにかく、出ておいでよ。新しいお家だよ」
声をかけても犬はキャリーから出てこない。うーん、と考えて梨穂子は犬のおやつの袋を開けた。一袋三百九十八円なんて何様だよ、と迷って買ったサツマイモの犬用スティックだ。
鼻先にもっていくとヒクヒクと犬の鼻が動いた。
「ほら。美味しいかは知らないけど、おやつだよ」
何度も声をかけてもキャリーから犬が出てくる様子は無かった。
「うーん」
そうして犬とにらみ合いをして三十分は経った。頑なに出てこない犬を見て梨穂子は諦めてキャリーにスティックを突っ込んだ。すると犬は我慢できないとスティックをガツガツと食べた。
「お腹空いていたんだ」
でも、警戒して出てこれなかった。梨穂子との信頼関係なんて皆無なのだから仕方ない事だ。犬の事情が分かると梨穂子はお腹が空いていたのに我慢させたことを後悔した。
「すぐに慣れるなんておかしいよね」
梨穂子は山波に教えられたとおりにドックフードのグラムを計って真新しいお皿に入れた。皿は昔バイトしていたとっておきのドーナツ屋の景品だ。水とトイレに困るといけないので扉を開けてケージからキャリーに行き来できるように出入り口を合わせた。
じっと梨穂子がしていることを眺めていた犬は梨穂子が少し離れたところに立つとそろそろとキャリーから出てきてお皿からドックフードを食べた。
梨穂子はそれを見ながら昔の自分と犬を重ねてしまう。どこにも居場所がなかった自分。でも、今、ここに自分の城があり、そして家族を迎えた。
「私は貴方が好きになれそうよ」
ジッと犬を見つめて梨穂子は考える。
「男の子だから小さい太郎で小太郎。コタロウにしよう」
声を上げた梨穂子にそこで夢中にご飯を食べていた犬が顔を上げた。
「コタロウ」
暫くじっと梨穂子を眺めたコタロウは、全てわかっているような表情に見えた。
***
ご飯を食べたらコタロウは満足したのか、またキャリーに入って寝てしまった。どうやら狭いところが落ち着くらしい。その間、梨穂子はネットで犬の飼い方を検索して、それから動物病院も探した。
「有給とろうかな」
一日でも多く働いてきた梨穂子の有給は今まですべて会社に買取りしてもらっていた。けれど梨穂子は早めにコタロウの健康チェックと予防接種を済ませておきたかた。自分以外の為にこんなに突き動かされるのは何年ぶりだろうか。懐は痛んだが、テレビを買った場合の今後の出費のシュミレーション(月の支払い、契約、電気代等)はしていたのでまあ、そんなに変わらないと信じたい。むしろそれよりは安くあげる努力をするつもりだ。
今日は土曜日だから、月曜日に出社したら有給が取れないか聞いてみよう。キャリーの入り口に顎を乗せて寝るコタロウを眺めながら梨穂子はフフフと笑った。それから梨穂子は空いた段ボールをまとめたり、コタロウの餌の置き場所を決めたりした。簡単に夕飯を一人で済ませ、コタロウの様子を気にしながらも自分のベッドで寝た。
クウウ~ン
クウウ~ン
夜中、声がして梨穂子は寝室を出た。コタロウがキャリーから出ないのでケージにくっつけたままリビングをそのままにして寝たのだ。
パチリと電気をつけるとキャリーとケージの間の隙間から抜け出したのだろうコタロウが玄関のドアに向かって座り、ドアに向かって切ない鳴き声を上げていた。
ふと、昼間のチャラチャラした男を思い出した。
「あんな男でも恋しいんだね」
梨穂子が手を伸ばすとコタロウは少し首を引いたが大人しく頭を撫でさせた。
「そうだよね。どんな親だって、恋しく感じるものだよ。でもさ、コタロウ。あんなクズ男、時間が経てばどうして慕ってたか不思議に思う日が来るんだよ」
――そう、自分みたいに。
それでもそこから動かないコタロウを見て梨穂子は掛布団を持ってきた。少しでも寂しくないようにと玄関のドアを見つめるコタロウの後ろで、その晩梨穂子は寝ることにした。
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