第6話金城梨穂子はその噂を耳にする
コタロウとの充実した生活を始めてから少しづつ梨穂子の環境が変わった。スマホの待ち受けをコタロウにしたので、それをきっかけに犬好きの人と話すことも増えた。あまり人とは関わってこなかった梨穂子にしてみれば大きな変化である。
そんな風に他の人が前より気になる存在となった梨穂子は最近やたら副社長の話題が多いことに気づいた。今日も自作のお弁当を持ってきた食堂で聞こえてきた話に耳をすませば最近海外支社から戻ってきた副社長がマンションを購入したらしい。本格的に日本に残ることが決まってどうやら秘書課の女性とお付き合いして再婚することになる様だ。話していた女性たちは営業事務のようで、秘書課の女性は美人だが性格が悪いと罵っていた。どうやら副社長は数年前に奥さんを失くしているらしく一人息子がいるらしい。秘書課の女性がその男の子に取り入って副社長のハートを射止めたと言っていた。
ドラマみたいな話だなぁと梨穂子は噂話を聞いていた。コタロウのお陰で少しだけ人間関係に興味を持った梨穂子だが、結婚や子供なんて自分には縁遠い話だ。なんでも副社長は亡くなった奥さんが忘れられないとずっとひっきりなしに舞い込んでいた再婚話も取り合ってこなかったらしい。どのみち、ひっきりなしに縁が舞い込んでくるなんて別世界の人間だ。
とはいえ、もう梨穂子がそんな人を羨むことはない。だって梨穂子にはコタロウという家族がいるからだ。最近コタロウは梨穂子べったりになってきた。下手するとトイレにまで付いてくる始末。それなのに梨穂子が会社に行くと察すると自分からケージに入って梨穂子がケージを閉めるのをじっと眺めるのだ。
健気だ。健気すぎる。
さてと、と今日も今日とて梨穂子は猛スピードで仕事を終わらせて定時きっかりに帰る。すべては愛しいコタロウの元へと帰るためだった。
***
土日で味を占めたコタロウは平日も梨穂子が帰ってくるとゴムボールを持って来て公園へ行こうと強請るようになった。あんなに外を嫌がっていたのが嘘のようだったが、この環境にコタロウが慣れてきたのだと思えば嬉しい限りだった。家に帰ると案の定ケージから出たコタロウが梨穂子にゴムボールを持って来て強請る。一人で留守番をさせていたという罪悪感も手伝って、梨穂子はコタロウを連れて公園へ向かった。
「あ」
「コタロー!」
するといつもの男の子が駆け寄ってきた。もうなんだかお馴染みである。色々と思う事もあるがコタロウを可愛がるので梨穂子も避けようとは思わなかった。ふとした男の子の行動や言動で、いつも人の目を窺って生きてきたのが分かる。きっと梨穂子が一度でも拒否するような事をすれば次からは現れないことは分かっていた。
「それ何?」
今日はコタロウのおやつを持って来ていた。犬のおやつに割高を感じる梨穂子は格安で手に入れたサツマイモのクズを蒸かしてタッパーに入れてきたのだ。
「コタロウのおやつ。食べる? 少年」
なんとなく、聞かれたくなさそうだったし梨穂子も知りたいとは思わなかったので男の子の事を梨穂子は『少年』と呼んだ。そうすることで逆に少年との距離が縮まっていたことを梨穂子は気づいていなかった。
「サツマイモ?」
「うん。蒸かしただけ。でもおいしいよ」
食べて見せると恐る恐ると言った感じで小指ほどの太さのサツマイモを少年が受け取った。
「……おいしい」
キャン、キャン!
いつの間にかゴムボールをほっぽったコタロウが自分のおやつを食べている梨穂子に抗議の声を上げた。
少年と梨穂子は顔を見合わせて笑った。
梨穂子に促されて少年がサツマイモをコタロウに渡すとコタロウは誰にも渡さないと主張するようにほとんど噛みもしないで食べてしまった。
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