第16話金城梨穂子は胸をなでおろす

 その夜は眠っている東条の眠るベッドに英輝とコタロウ(中身:東条)が眠ることになった。最近は梨穂子の身体にくっついて寝ていたコタロウが英輝と寝室に行ってしまって少し寂しい気にもなったが仕方ない。しかも中身が東条ならちょっと一緒に寝るのは遠慮したい。


 梨穂子は家から持ってきた布団をかけて東条の家のリビングのソファで寝ることにした。東条はゲストルームを使っていいと言ってくれたが寝室から遠いので何かあったときに困るだろうとリビングで寝ることにしたのだ。申し訳なさそうにする東条に内心自分の自宅のベッドよりもフカフカのソファに梨穂子は複雑な気持ちになっていた。


「おやすみなさい」


「お休み、少年。東条さんも」


『……ああ。おやすみ』


 嬉しそうにコタロウを抱き上げて寝室に消えていく英輝を見てから梨穂子もソファに転がった。東条の家の天井を見ながら梨穂子はそっとため息をつく。このまま、東条が戻らなければ何か対策を考えなければならないだろう。病院につれていくとか……。しかし、梨穂子が思うよりもずっと東条の方が不安であるに違いない。


「元に戻ってくれればいいけど……」


 もちろん、東条の身体に東条の精神で。そうでなければ愛しのコタロウも帰って来ない。梨穂子も困る。他人の家で緊張するかと思った梨穂子だったが自分の布団を持ってきたのが良かったのか、すぐに眠気に誘われた。



 ――加也、助けて


 ――私、加也しか信じられない。早く大人になりたい。加也と一緒に暮らしたい


 私だって。私も涼子しか信じられない。

 涼子と家族になりたかった。

 でも。でもね。それよりも涼子が幸せになることが嬉しいよ。


 ペロリ


 ペロペロ


 昔の夢を見て、いつの間にか涙が出ていたようだ。頬を舐められて目が覚める。目尻を手でこすると、コタロウが撫でてくれと梨穂子の手を掻いた。


「コタロウ。おはよ……って、コ、コタロウ!?」


 コタロウの欲求を満たすべく頭を撫でまわしてから急いで起き上がって寝室に向かった。寝室のドアはコタロウが開けたのか十五センチほど開いていた。


「東条さん?」


 深呼吸してから声をかける。すると、ベッドの上の気配が動いた。


「か、金城さん、も、戻った! 戻ったんだ!」


「い、今ほどきますね!」


 部屋に入ると手足を縛られていた東条の目が開いて、こちらを見ていた。梨穂子は駆け寄って東条を縛っていた紐をほどいた。少し体を起こして東条はコキコキと首を動かした。


「だ、大丈夫ですか?」


「体は……多分。お腹がすいたくらいかもしれない」


 その言葉にホッとする。


「冷蔵庫に色々入ってますよ。昨日の晩炊いたご飯も残ってます」


「……おかかご飯以外にするよ。英輝は……よく眠ってるな。もう少し寝かしておこう。コタロウは……元気そうだな」


「……コタロウ」


 驚いたのはコタロウが東条に懐いていたことだった。梨穂子の後ろについてきたコタロウが今、ベッドに座る東条に駆け寄り撫でてもらっていた。


「何だろう、親近感があってな……少しの間体を借りていたからだろうか」


「そんなものなんですかね」


 ちょっとジェラシーを感じてしまう。すぐに懐くなんてコタロウの裏切り者め。


「どういうことか分からないけれど戻って良かったよ。あのままでは大変なことになっていた。金城さんには迷惑をかけてすまない」


「いえ。私もコタロウが戻ってこないと困りますから。では、私は家にかえりますので」


「あ! ちょっと、まって。何かお礼をさせて欲しいんだ」


 貰えるものは貰いたい梨穂子だが東条から貰うのは憚られた。冷蔵庫の作り置きのおかずも遠慮なく頂いたし、勝手に炊いたご飯も高級な米の味がしていた。


「せめて英輝が起きてくるまで待ってくれないか? 朝食を一緒にどうだ?」


「……そう言う事なら」


「なんだか不思議なことが起こって、俺もどうしていいか分からないんだ。不安だし、落ち着くまで……その、いてくれたら嬉しい」


 東条は犬になっていたのだ。不安もあるだろう。英輝も突然梨穂子が帰ったと知ったらコタロウを心配して突撃してくるに違いない。


 朝ごはんを用意するという東条を眺めていたが、自分の家だと言うのにぎこちない。普段は食事の用意などほとんどしないのだろう。何がしたいのか鍋を出してきて考え込んでいるので梨穂子が声をかけた。


「良ければ私が用意しましょうか?」


「え? い、いいのか? 味噌汁が飲みたくなったんだがどうやって作ればいいか分からなくて」


「ああ。だからスマホで検索していたのですか……」


 どれだけ時間をかけて作るつもりだったのだろうかと内心梨穂子は呆れていた。昨日遠慮なく引き出しやら戸棚を開けてみたが、東条の家にはインスタントなどは置いていなかった。ハウスキーパーさんも粉末インスタント出汁なんか使わない一流なのだろう。当たり前か、と思いながら煮干しの袋を出して黙ってはらわたを外した。梨穂子だけならそんなことはしないが、材料も東条のものだ。舌の肥えた東条に作るのなら贅沢も仕方あるまい。家庭料理の店でバイトしていたときはこの出汁を取った後の煮干しをよく持って帰ったものだった。


 調理器具も材料も高級品だ。梨穂子の家にある誰かのお古なんて比べようもない。この家自体がもう、異次元の世界のものばかりだ。


「お味噌汁の具はお豆腐とお揚げとわかめでいいですか?」


「え!? あ、ああ。で、出来れば玉葱をいれてくれないだろうか」


「玉葱。ええ。わかりました」


 甘いものが好きなのかもしれないな、と梨穂子は東条を見て思った。それから味噌汁が出来上がる頃に英輝が目を覚ましてきた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る