第13話金城梨穂子はその現象に目を瞑りたい
「……」
『私の声は聞こえないのか……。どうしたものか』
梨穂子はただいま混乱していた。目の前のコタロウはいつもの梨穂子が愛してやまないシルバーのトイプードル『コタロウ』に違いない。コタロウがしゃべったように見えるのは梨穂子の思い違いであってほしい。目の前のコタロウであって、コタロウではなさそうな生き物は梨穂子に意志を伝えるべく方法を思案しているようだ。首をかしげる姿が可愛いのは仕方がない。
「あの。聞こえてます。不本意ながら。貴方の声が」
『! 金城さん。私は東条です。英輝の父の東条孝太郎です』
更にその内容に梨穂子は眩暈がした。コタロウがしゃべっているのではなく『東条孝太郎』だというのだから。
「あ、貴方が東条さんなら、コ、コタロウはどこへいったのです?」
『それが心配なのだよ。もしも私の身体とこの犬の身体が入れ替わっていたりしたら大変なことになる。一刻も早く、私の家に確認しに行って欲しい』
なるほどこの信じられない現象が本当の事だというのなら入れ替わった東条の身体にコタロウの精神があることになる。
「とにかく、行きましょう!」
『おい、どうする気だ!』
「どうするって、抱き上げていった方が早いです。マンション内は歩かせてはいけない規則ですから」
『そうなのか……』
「少しの間、我慢してください」
梨穂子が言うとコタロウは大人しく梨穂子の元に出てきて腕に抱かれた。梨穂子は急いで最上階の東条の家へと向かった。
***
「お姉さん! コタロウ! お父さんが! お父さんが目を覚まさないんだ!」
「え」
インターフォンを鳴らすと英輝が梨穂子に突撃する勢いで飛び出してきた。梨穂子のうちに遊びに行くと父親に声をかけて家を出ようとしたら、父親が目を覚まさないので心配になっていたところだと言う。
『英輝、お父さんはどういうわけか今この犬になっているんだ』
梨穂子に抱かれたままコタロウが英輝に告げる。しかし英輝は首を傾げた。
「お姉さん、コタロウがクンクン言ってるけど、どうかしたの?」
「え。クンクン? 話しかけてこなかった? 信じられないかもしれないけど、今コタロウの中にお父さんが入っているみたいなの」
「え?」
「東条さん、英輝くんしか知らない話とか、ほら」
『わ、分かった。英輝の祖母の名は春子。こないだの英輝の社会のテストは百点だ』
「少年、聞こえた?」
「何言ってるの? お姉さん……」
「もしかして私しか聞こえてないの? コタロウ、今、話しかけてきたでしょ?」
「クンクン言ってるけど……」
「嘘……。あのさ、少年のおばあちゃんの名前が春子さんでこないだの社会のテストは百点だって言ってる」
「え? お姉さんは僕のおばあちゃんの名前は知らないよね?」
「うん」
『英輝のお尻にはハート型の痣がある』
「……え~っとぉ。少年のお尻にハート型の痣があるって」
「……どうしてそれを」
「え。本当なの?」
信じがたいが、信じるしかないようだ。半信半疑だった梨穂子も段々と観念してきた。こんなどっきりあるものか。
『まずは私の身体の状況を確認したい』
「少年、お父さんの身体を確認して良い?」
「わ、分かった。こっちだよ!」
英輝に案内されて東条の寝室に踏み込む。東条の部屋は深い青色で統一された部屋だった。大きな高級なベッドに東条がお行儀よく寝ているのが見えた。
「……息はしてる」
『おい、降ろしてくれ!』
中身孝太郎のコタロウをベッドの上に降ろすとクンクンと体を嗅ぎまわっている。
「お姉さん、本当にコタロウの中にお父さんがいるの?」
「うーん。そう、言い張るんだからそうじゃないかな?」
「お姉さんはお父さんの声が聞こえるの?」
「……不本意ながらね」
東条は眠っている。本当にコタロウの中に東条の精神が入っているならどうやったら元に戻るのだろうか……。
「あ、そうだ!」
「?」
『どうした?』
「ほら、眠っている人を起こす絵本があるじゃないですか。あれで戻りませんかね?」
「え? 何? 眠り姫の事?」
「そう、そう、それ」
『君は……夢見勝ち過ぎないか? 馬鹿なことを』
「でも、試さないと分からないじゃないですか」
不満を隠さない東条も一刻も早くこの状態から元に戻りたいのは山々だ。コタロウが東条にチュッと口づけた。その姿を梨穂子と英輝がジッと見つめる。
『……君に乗せられた自分が恨めしいよ』
コタロウがジッと恨みがましくこちらを見ているのを、二人は可愛いとしか思えなかった。
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