第22話 金城梨穂子は切に願う

 それから、梨穂子と英輝、春子は三人でトランプをした。その間、東条は自分の身体を守るように寝室の方を向いて寝ていた。


「英くん、おばあちゃんはそろそろ帰るね」


「えっ、もう帰っちゃうの?」


 三時間程いただろうか春子はそう言った。


「また来るからね。お父さんに仕事しすぎないように言っておくわ」


 慌てて梨穂子は春子に駆け寄ってソファから立ち上がるのを手伝った。春子は梨穂子に体を預けながら小声で『鎮静剤が切れる前にかえるわね』と言った。やっぱり春子は無理をしていたらしい。しょんぼりした英輝が春子の鞄を渡して玄関で見送った。東条が心配だったので英輝を残して梨穂子は春子をエントランスまで送ることにした。


「無理なさってたんですね」


「英くんが心配で……女性トラブルがあったと聞いて、いてもたってもいられなかったのよ。昔から孝太郎は女性関係にトラブルが多くてね。あ、本人が遊び人とかじゃないのよ、逆にあんな堅物珍しいと思うわ。結婚していたときは落ち着いていたのだけど、独身に戻った途端また大変でね。英輝が被害を被るの。家政婦だったり、英輝の家庭教師だったり、孝太郎の妻になりたがる人が多くて。秘めたる思いならいいのだけど、自信家の大胆な人が孝太郎を好むみたいでトラブルばっかり。母親を亡くしたのに英輝は人間不信になってしまったわ」


「そうなのですか」


「英輝の母親が亡くなったのは英輝が七歳の時でね。孝太郎とは会社の利益だけ考えた政略結婚だったけど、でもそれなりに上手くやっていたの。彼女はとても綺麗な人で面白い人だった。でも、持病があってね。海外に行っていたのも本当は彼女の移植手術のため。でも努力虚しく亡くなってしまって、二年経ってから孝太郎たちは日本にかえってきたのよ」


「二年しかたってなかったのですね」


「昔、公園で大きな男の人に怒鳴れらことがあってね。もともと英くんは大人の男の人が苦手なの。孝太郎も家庭をおろそかにしてたから英輝にとっては怖い存在。それなのに大好きな母親が病気で亡くなってからは次から次へと孝太郎に媚を売る女の人が英輝を邪魔ものにするのよ」


 今は東条と梨穂子の前では無邪気な英輝だが、出会った時は人の目ばかり気にしていた。父親にすり寄ってきて自分には冷たい人たちを見てそうなってしまったのだろう。


「孝太郎の女性への判断基準は『出来る』ってことだけ。根っからの仕事人間で色ごとなんて興味がないのよ。きっとそれもトラブルの元だわ」


 梨穂子は東条の事を思い浮かべた。確かに三井に対しても自分に対してもビジネス的な対応しかしていないような気がする。


「……だからりほちゃんが英くんと一緒に居て驚いたの。孝太郎の周りにいるような女性のタイプじゃないから。あ、そうじゃないの、なんていうか派手な自信家って感じじゃないってことね」


「私は英輝君のお友達で、東条さんとはそんなに親しくないのです」


「そう。なんにせよ、良かったわ。英くんのあんなに嬉しそうな顔は久しぶりだもの。私が頼めることではないけれど、これからも英くんとお友達でいてくれると嬉しいわ」


「こんな年上のお友達ですみません」


「私もこんなに年上だけどりほちゃんのお友達にしてね」


 それから春子に強請られてSNSのアドレスを交換した。必要なものはここから使って欲しいと現金も渡されそうになったが東条に貰っているのでと丁重にお断りした。


 程なく迎えに来た高級車に春子が乗り込んでいった。ひとまずほっとした梨穂子が東条の家に戻ると、玄関で英輝と東条が迎えに出てくれていた。


「おばあちゃん、帰ったよ」


『金城さん、ありがとう。はあ、もう、母さんには驚いたよ。主治医もまだダメだって言っていたから』


「東条さん、こないだ体に戻ったときは一晩寝た時ですよね?」


『ああ、そうだが』


「試しに一度寝てみては?」


「わあ! じゃあ皆で昼寝する!」


『君の提案は……まあ、いい。試せることは試す』


「では、よい夢を」


 そうして東条の本体の横にコタロウと英輝が並んでお昼寝することになった。思っていたより微笑ましい絵面に梨穂子は内心ニヤニヤしてしまう。


 パタン、と寝室のドアを閉めて梨穂子は夕食の準備を始めた。冷蔵庫を見て梨穂子は思う。贅沢を覚えちゃいけないな、と。


 お腹を満たす色とりどりの食材。


 温かい食事。


 誰かの笑い顔のある食卓。


 どれも一度受け入れてしまっては無くしたときの喪失感が大きい。


 梨穂子にはコタロウがいるから。


 これ以上欲張っちゃいけない。そうじゃないときっと今はぼんやりとしか見えないコタロウとの別れの日に耐えられなくなるだろう。


 大丈夫。いつだって梨穂子は一人で耐えてきたのだから。


 自分に言い聞かせながら梨穂子はやっぱり豆苗の根ギリギリに切って水につけることは忘れなかった。





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