第29話金城梨穂子はキャンプを楽しむ

「わあああああっ」


そして、月末、梨穂子たちはファミリー向けのキャンプ場に到着していた。

そこは車を止めるスペースとテントを張るスペースが一緒で、荷物を運ぶ必要がない。電源も使えるようでなかなか便利だ。施設内には温泉施設も利用できるようだ。


「英輝、テント張るぞ」


この日のために東条家のルーフバルコニーで数回テントを張っていた。しかもなぜかそこでシュラフに入ってみんなで寝るというおまけつき。そのおかげかはじめはテントを出すだけで吠えていたコタロウも、今はみんなでテントを張るのを眺めているだけになっていた。(何ならできたテントに初めに入るのはコタロウだった)


練習のお陰か二人が手際よくテントを組み立てるのを見ながら梨穂子はテーブルと椅子を組み立てた。真新しいテーブルセットは下手をすると梨穂子の家の家具よりも居心地のいいものだ。


「ねえ、川にいってもいい? コタロウ連れて行っていい?」


英輝が興奮して東条と梨穂子に尋ねる。一通り準備は終えたので、英輝にこたえるべき、腰を上げた。自然の川から水を引いた小さな小川が人工的に作られており、小さな子供はおむつだけにされて遊んでいた。まだ本格的な夏ではないが、今日は天気も良く、日差しもきついので水遊びするにはぴったりの気候だ。


川ではもう、子供たちがたくさん遊んでいた。犬を連れてきている人もちらほらいて、一緒に遊ばせているようだった。一応コタロウにも犬用のライフジャケットを着せる。英輝は網をもって、もう川に足をつけていた。


「お父さん! りほちゃん! 魚がいるよ!」


興奮する英輝を追う形でコタロウが進んでいく。常にリードはのびた状態だ。水好きなコタロウはじゃぶじゃぶと濡れることを楽しむように躊躇なく川を進む。その後ろを梨穂子とコタロウが追った。


数匹、小魚を捕まえた英輝は楽しかったようで、それから魚取りに没頭した。しばらく付き合っていた二人と一匹だが、安全なのが分かってからは木陰でその姿を見守ることにした。

ブルブルと水気を飛ばしたコタロウも梨穂子の足元で英輝を眺めていた。


「こんなに喜ぶなんてな。早くこうしてやれば良かった」


「奥さんとはキャンプはしなかったんですか?」


ポツリと東条が言うのを聞いて梨穂子は思わず聞いてしまった。別に、東条の事情に首を突っ込むつもりではないし、ただ、疑問に思って口から出た言葉だった。

「妻はキャンプとかアウトドアは全く興味なくてね。彼女は英輝の事は愛してくれていたが、俺とは契約結婚だったから」


「え? 契約?」


「会社同士の政略結婚だったんだけど、東条の跡継ぎを産んだら、後は自由にさせるって約束だったんだ。彼女にはずっと好きな男がいて、事情があって離れ離れになっていたみたいだ。俺も煩わしいことは抜きにして跡継ぎが欲しかったからそうしたんだが、生まれてみれば英輝は可愛くて、思っていたよりも妻は素敵な人間だった」


「へえ」


「妻も英輝が可愛かったようで、俺たちは夫婦関係を改めようとしていた。でも、もともと心臓の弱かった妻は英輝を産んだことでさらに体に負担をかけてしまっていたんだ。我慢強い人でね。弱音を吐かないから酷くなるまで気づけなかったんだ。結局、移植するためにアメリカに渡ったが、待機している間に病状が急変して亡くなってしまった」


「そう、だったんですか」


「日に日に弱る自分を見せたくないと英輝の前では元気そうに振舞っていたけれどね。妻が亡くなって、葬式を済ませた頃から英輝が母親の事を語らなくなってさ。写真も段ボールに封印して、話もしないようにしていたんだ。」


「お母さんは綺麗な人だったって教えてくれましたよ」


「うん。日本に戻って、梨穂子とコタロウに出会ってから英輝は変わったんだ。いや、俺も変わったかもしれない。こんな風にキャンプに来るなんて今までの俺なら考えつかなかったよ」


「いやいや……」


「正直、人より自分は優れていて、なんでも一人でできると思っていた。でも、英輝のこととなると途端にうまくいかなくて、梨穂子に「ネグレクト」って言われたとき、それからコタロウになったとき、自分の無力さを痛感したんだ」


「や、あ、あれは……」


「梨穂子は、俺と英輝にとって大切にしたい人なんだ。それだけは忘れないでほしい」


真剣な目で東条に言われて息が詰まった。自分はそんなふうに思ってもらえるような人間じゃない。けれど、そうは思う反面、心臓が掴まれたように苦しくなった。誰かに大切にしてもらえるなんて、どうしたらいいのかわからない。ずっと人から疎まれ、蔑まれてきた梨穂子にはその感情につく名さえなかったのだ。ギュッと自分の手を握った。足元でハッハと息をするコタロウの背中が揺れて見える。梨穂子の人生はコタロウが現れたことで変わったのかもしれない。


それから、たくさん小魚を捕まえたという英輝に呼ばれて見に行った。バケツに入った魚を誇らしげに見せてくる英輝の顔が輝いている。途中、岩についた藻に滑って東条が尻餅をついてずぶ濡れになるというアクシデントがあって、その姿に二人で大笑いしてしまった。「心配してくれたのはコタロウだけか」と不満げにいう東条にまた笑った。


昼食はカレー。英輝のリクエストでご飯は炊かずにナンを作ってフライパンで焼いた。学生時代アウトドアをしていたと公言するだけあって、東条はスムーズに炭に火をつけた。夕飯はダッチオーブンの蓋を使ってステーキを焼いてくれるという。普段は料理など一切しないというのに、キャンプとなると別のようだ。


「お父さん、すごい」


英輝の賞賛の声に東条のテンションが上がるのが見て取れる。そうしてそのまま梨穂子の方を期待満面でみるので、梨穂子も賛辞を送った。東条が焼いてくれたステーキは頬が落ちるんじゃないかと思うくらいおいしいもので、梨穂子は明日死んでしまうかもしれないと思ってしまった。赤ワインを開けた東条にすすめられたが、お酒は飲まない梨穂子はそれを断って英輝とサイダーを飲んだ。それだって梨穂子には贅沢な行為だった。


夕食が終わったら、どこからか英輝が持ってきた花火をした。危ないからと言って繋がれたコタロウが少し不満そうにこちらを窺っていた。


「梨穂子ばっかりずるいぞ」


「あっ!」


「お父さん、大人げないよ。りほちゃん、もう一本あるから」


最後に線香花火をすると三人でどれが一番長く持つかを競った。じっとしているのが得意なのか、毎回梨穂子が一番長持ちするので、隣にいた東条が梨穂子の腕を肘でつついてジリジリ音を立てる光の玉を落とさせた。


まったく子供のようだと梨穂子は呆れてしまった。


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