エピローグ:強欲な笑顔

「あの今浜さん、確かに僕、何かあったら助けにに行くとは言いましたけどね」


 速野がハンドルを操りながら、すっかり傷の癒えた黒猫と一緒に助手席でニコニコと満面の笑みを浮かべて座る瑞穂に声をかける。

 

「知識不足を補う為に助けてくださいとわざわざ宮崎まで来ますか、普通?」

「だって仕方ないじゃないですか。電話したら速野さん、今は宮崎にいるって言うんですもん」

「普段は東京にいるんですから、戻ってきてからでもいいのでは?」

「それだと出張買取に立ち会えないじゃないですか。知識は実戦で身に着けるべし、って教えてくれたのは速野さんですよ?」

「僕、そんなこと言ってないんですけど」

「それに私、宮崎って初めてで。そうだ、今晩はチキン南蛮を食べましょうね、速野さん!」


 瑞穂のケラケラと笑う声が、レンタカーの車内を満たす。

 速野はそんな瑞穂に苦笑いを浮かべながら、何の屈託もないその様子にホッと胸を撫で下ろした。

 

 速野が3月の下旬に退社して、早くも2か月近くが経過しようとしていた。

 その間、イエローブック森泉店、そしてその二号店に顔を出していない。

 ただ風の便りで二号店は立ち上げに大成功し、一号店もまた瑞穂が店長となり順調な実績を積み重ねていると聞いている。

 

 たった一年間の在籍ではあっても、こうして関わらなくなって寂しくないと言えばウソになる。

 しかし、速野は今回の件で色々と思うことがあった。

 かつてワンマン店長としてならしていた過去の失敗を清算し、スタッフ全員が楽しんで仕事が出来る店舗作りを目指したつもりだった。

 ある程度の成功を収めたとは思っている。だけど、やっぱり自分には店長は向いていないんだなぁと改めて自覚した。

 店長には今、助手席に座る瑞穂のような人間がなってこそ、スタッフたちも自然と頑張って仕事が出来るのだろう。

 

 そう考えたら、寂しいなどと言っている暇はない。

 自分は自分の道を行くのだ。

 

 再び自分の店を持たない『せどり』の世界へと戻り、ネットショップの義屋爛堂ギャランドウを運営しながら、今日は東、明日は西へと日本中を我が身ひとつで駆け巡る。

 伝説の目利きであり、師でもある烏丸幸三からすま・こうぞうに肩を並べる、その日を夢見て。

 

「あ、速野さんですか? ご無沙汰してます、今浜です」


 そんなある日の5月の終わり、それまで何の音沙汰もなかった瑞穂から突然として電話がかかってきた。

 何かあったのかなと思って聞けば、GWの振り替え休日を取っているらしい。

 

「で、三日間だけなんですけど、速野さんのお仕事のお手伝いをしたいな、と思いまして」

「え? せっかくの休みなのにですか?」

「はい! 気分転換にもなりますし、なにより買取の勉強ができますしね。まだまだ知識不足ですから助けてください」

「そう来ますか。でも、僕、今は出張買取で宮崎にいるんですよ」

「へぇ、宮崎。てことは、結構なお宝の出張買取ですか?」

「そうですね、期待出来そうですね」

「だったら私も行きます!」


 そしてその日のうちに瑞穂は飼い猫を連れて宮崎までやってきて、今に至る。

 若い子の行動力って凄いなと速野は変に感心していた。

 

  ☆ ☆ ☆


 正直なことを言えば、瑞穂自身、どうして自分が宮崎くんだりまで来たのかよく分かっていなかった。

 

 速野が店を去ってからここまで、店長としての重圧を感じながらも、アルバイトのみんなと文字通り一緒になって頑張ってきた。

 速野の教えに従えば、GWは休むべきなのかもしれない。

 だけど山田や守北、それに新人スタッフたちは元気いっぱいで、GWも店を開けましょうと言ってくれた。

 だからGWは通常営業し、代わりに振り替えの連休を順番に取ってもらう事にした。

 

 そして迎えた瑞穂の連休。

 忙しかった日々の反動からぼんやりと黒猫のジジーと遊びながら過ごしていたが、ふと速野の声が聞きたくなった。

 それまで心配かけちゃいけないと敢えて連絡は取らなかった。でもまぁ、別に何か問題が起きたわけでもないし、ただ声を聞くぐらいだったらいいだろうと軽い気持ちで電話をしたのだ。

 

 ところが声を聞いたら猛烈に会いたくなり、つい出張買取に付き合いたいなんて言ってしまった。

 宮崎にいると言われてもなんのその、自分でも驚くぐらい、当たり前かのように黒猫のジジーを連れて飛行機で来てしまった。

 

「まぁ、ちょっと変わった旅行に来たと思えばいいかな」

「え? なんか言いました?」

「いいえ、何にも。ねー、ジジー?」


 瑞穂は自分の膝の上にちょこんと座り、珍しそうに窓の景色を眺めている黒猫に声をかけた。

 怪我から回復し、思い切り身体を動かせるようになった黒猫は、日頃からやんちゃなことばかりする。だけれども、こと瑞穂と一緒にいる時だけは大人しく、こうして名前を呼ばれると嬉しそうにニャアと鳴きながら笑顔を返してくるのだ。

 

「随分と懐いてますね、その子」

「はい。今や私の癒しの源ですよ」

「それは羨ましい。僕も癒してもらえますかね?」


 そう言うと速野は運転しながら強欲な笑顔をジジーに向ける。

 

「フギャアアアア!」


 たちまちジジーが瑞穂の腕の中でジタバタと体を揺らし、速野へ威嚇する声をあげた。

 

「ははは……無理、みたいですね」


 速野が力なく笑って呟く。

 その様子を瑞穂は不思議そうに見つめると、やや考えてから速野に車を少し止めて欲しいとお願いした。

 

「どうしました? 車酔いですか?」

「いえ、そうじゃなくてですね。あの、速野さん、強欲な仮面って知ってます?」

「強欲な仮面って、対決王デュエルキングのですか?」


 続けて速野は「今浜さんも対決王やるんですか?」と尋ねてきたが、瑞穂は軽く頭を横に振った。

 

「それであの、変なことを言って気分を悪くしたら申し訳ないんですけど、速野さん、ご自身がその『強欲な仮面』って呼ばれているの、ご存じです?」

「え? どうして今浜さんがそれを知ってるんです?」

「上笠店長から聞かされてたんです。速野さんが森泉店に来る前に『今度来る社員さんは、周りから強欲な仮面って呼ばれている』って」


 本来なら気分を悪くしてもおかしくない話だろう。それぐらい笑い顔が強欲な仮面に似ているというのは、本人にとっては決して喜ばしいことではない。

 が。

 

「ええー!? なんか恥ずかしいなぁ。そうなんですよ。僕、学生時代に対決王にハマってて、大流行した強欲な仮面を組み込んだデッキを考え出したのは何を隠そう僕自身でして。今では強欲な仮面が禁制カードになったので使えませんが、今でもあの界隈では僕のことを強欲な仮面と呼んでるんです」


 嬉しそうに語る速野に、瑞穂は「ああ、そういうことだったのか」と納得した。

 ずっと不思議に思っていたのだ。あれだけ接客に長ける速野が、どうしてあんな強欲な笑顔をしてしまうのだろうか、と。

 どうしてジジーと仲良くなりたいのに、あんな不気味な笑顔を向けてしまうのだろうか、と。

 

「えっと速野さん、ちょっとこの鏡を見てもらっていいですか?」

「え? なんですか急に?」

「いいから、ちょっと笑ってみてください。さっきジジーに見せたような笑顔で」

「はい? 何を言いたいのか全然分からないんですけど?」


 戸惑いながらも瑞穂の雰囲気から決してふざけてるわけではないと理解した速野が、瑞穂の向ける手鏡に向かってあの強欲な笑顔を向ける。

 

「その笑顔、何かに似てると思いませんか?」

「何かって何に?」

「えっと、その、例えばさっき話していたカードの図柄に」

「はい? …………え”?」


 速野の笑顔がたちまち引き攣った。

 

「あの、おそらくですが速野さんが『強欲な仮面』と呼ばれるのは学生時代の偉業のせいだけではないのではないか、と」

「えっと、それってまさか……」

「はい。速野さん、笑顔がホントそっくりです」

「ええええええええええええええええええええええっっっっっ!?」


 一瞬、車体が揺れ動くほどの大声を速野があげた。

 ジジーがしっぽをビビビと震わせて驚く。

 

「ウソ、でしょう? こんな……こんなことって……」

「まぁ、自覚できたのならこれを機会に少しずつ意識したらいいんじゃないですかね」

「ちょっと待ってください。ってことは僕、今までずっと接客時にこんな笑顔をしてたんですか?」

「いつもってわけじゃないです。ただ、なんというか、速野さん的に上手く行ったなと感じておられる時は、たいていそんな顔になってましたね」

「それ、ドヤ顔より酷いじゃないですかっ!!」


 ハァとため息をついて速野がハンドルに顔を埋めた。

 まさに穴があったら入りたい心境なのだろう。さすがにちょっと可哀相に思えてきた。

 だから。

 

「ま、まぁ、私はそれでも好きですよ?」


 ついそんなことを瑞穂は口走る。

 自分でもなんでそんなことを言ったのか分からない。

 でも、きっとそういうことなんだろう。

 自分の心なのによく分からないのも変だが、そう考えれば納得する。

 とはいえ、そんなものだから心の準備は全く出来てない。

 出来れば聞き流してほしい。

 

 が、瑞穂の願いも空しく、むくりと速野が顔をあげて、じっと顔を見つめてきた。

 

「すみません、何が好きなんですか?」

「えっと、その、ですね」

「今浜さん、もしかして……」

「いや、あの……」

「本当は対決王ユーザーで、強欲な仮面の禁制が解かれるのを待っていたりするんですか?」


 がっくり。

 今度は瑞穂が助手席の前にあるサイドボードに顔を埋める番だった。

 

「いやー、分かる。分かるなぁ、その気持ち。だけどさすがに無理ですよ、あのぶっ壊れ性能ではどれだけ待っても禁制は解かれないと思います」


 顔を隠しているので速野の表情は見えないものの、きっとあの強欲な笑顔を浮かべていることだろう。

 憎たらしくて、でも瑞穂にとっては世界で一番頼りになる、今となってはなんだかホッとする笑顔だ。

 

「にゃあ?」


 俯いているとジジーが下から覗き込んで「大丈夫?」と声をかけてきた。

 それに瑞穂は笑顔で応えようとして、ふと思う。

 私にもあの強欲な笑顔は出来るのだろうか、と。

 まぁ、人にはとても見せられないけれど、今なら顔を伏せているから速野に見られることはない。ジジーと瑞穂だけの内緒だ。

 

 瑞穂は懸命に頭の中でイメージして顔をニッと歪ませた。

 

「にゃあ!」


 ジジーが嬉しそうにご主人様の笑顔に答える。

 どうやら瑞穂に強欲な笑顔は無理なようだった。

 

 終わり。

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買取人は強欲に笑う タカテン @takaten

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