第2話:騙すな、騙されるな

「速野さん、ちょっとこっちに来てくれますぅ?」


 思わぬ高額買取にニコニコと表情を綻ばせてレジを済ませたご婦人とは逆に、瑞穂は接客スマイルこそ忘れないものの、身体中から怒りのオーラを発して速野をカウンター奥に呼びつけた。

 ここならば多少声を大きくしても売り場には聞こえない。

 それでいて視界も十分だから、レジや入口がちゃんと見渡せる。あまりこういうことはないが、営業中のスタッフを厳しく指導するには絶好な場所だった。

 

「はい、なんでしょうか、今浜さん」

「なんでしょうか、じゃないですよ! なんですか、今のは! 勝手に一万円なんて決めちゃって」

「すみません。安すぎましたかね?」

「逆ですよ! うちではあの機種のあの型番は一律10円って決まってるんですよっ!」


 この期に及んで安すぎたかとは聞いてて呆れる。思わず声が必要以上に大きくなってしまった。

 

「え、10円ですか?」

「そうですよっ! 今、スタッフルームで店長と話している業者さんがいるでしょう? あの人がああいう店先では売れない古いゲーム機を買い取ってくれるんです。それで、さっき買い取ったのは確か100円ぐらいです。それを一万円なんかで買い取っちゃったらとんでもない赤字じゃないですかっ!」


 瑞穂は言ってて頭が痛くなってきた。

 ああ、どうしよう、自分が付いていながら一万円で買い取ってしまうなんて。店長に怒られる。

 

「あー、なるほど。そういうシステムですか」

「そういうシステムなんですっ!」

「分かりました。では僕がこの店で一番最初にやることはまずそのシステムを改めることですね」

「……はい?」


 何を言っているんだと顔をまじまじと見つめる瑞穂に、速野は視線を真っ向に受け止める。

 

「今浜さん、さっき買い取ったゲーム機、ネットオークションで幾らぐらいで売れると思います?」

「え? そんなの、古いゲーム機だからせいぜい」

「通常状態で1万5千円はします」

「ええっ!?」

「さらにあれだけの美品となると2万円はするでしょうね」

「ウソ!? でも、あの型番の機種は10円買取だって……」

「通常のものならそれでもいいでしょう。でも、あれは国民的ロボットアニメゲームの本体同梱限定版で、カラーリングや特殊な付属品物もあります。希少性もある。先ほどのお客様にも話しましたが、コレクターズアイテムとしての価値は非常に高いのです」


 稼働は確認しませんでしたが、動かない時は僕が直しますし問題ありません。ね、そう考えたら一万円という値段は妥当な金額だと思いませんか? と速野は瑞穂を見据えながら問うた。

 速野の言葉が本当だったら確かにその通りだと瑞穂は思う。でも。

 

「だ、だけど10円で買い取れば、それだけお店の利益が大きくなるじゃないですか!」


 実のところ、こういうことはたまにある。

 安く買い取ったものの、あとでちょっと気になってネットで調べたら結構な値段で売れることを知り、そのまま安い値段で出してせどりに買われるのもしゃくだから、そこそこな値段で店頭に並べることが。


 買い取らせてもらったお客様には申し訳ないとは思うものの、かと言っていちいちネットで調べていては買取に時間がかかって仕方ない。お客様を無駄に待たせるわけにもいかないから、こればかりは仕方ないと瑞穂は思っていた。

 

「今浜さん、それは潰れる店の考え方ですよ」

「潰れる店って、ちょっとそれ、どういう意味ですかッ?」

「そのまんまの意味です。そんなことをしている店は遅からず潰れます」


 これまで店を潰さない為に頑張ってきた瑞穂だ。それだけに潰れるという言葉には過剰に反応してしまった。

 

「いいですか、今浜さん。僕たちは決してお客様を騙しちゃいけません」

「騙すなんて、そんな……」

「そのつもりがないのは分かりますよ。だけど、その物の価値を正しく見定めて買取値段をつけることが出来なければ、それは結果としてお客様を騙していることになります」

「…………」

「そしてそれが積もり積もれば、世間から疑いの目を向けられて、しまいには信じてもらえなくなります」


 速野の言わんとしていることは分かった。

 瑞穂もたまたまネットで見たことがある。

 イエローブックで10円で買い取られたCDが1000円で売られてた、とか。

 状態が悪くて買取できないと捨てられたはずの本が売り場に並んでいた、とか。

 

 そんなことは基本的にはない。

 特に買取不可でお客様から廃棄を頼まれた商品を店頭に並べることは絶対にない(そもそも店頭に並べることが出来ない状態ゆえに買取できないのだから)。

 が、安く買い取った商品の価値を後で知って、値段を高めにつけることは先述したようにごく稀にあるわけで、そうなると廃棄依頼品の件もなかなかお客様には信じてもらえないだろう。

 

「だから本来なら買取はもっと正確にやらなきゃいけないんですよ。難しいですけどね。ただ、その分、見返りも大きいですよ?」

「見返り、ですか?」

「はい」


 瑞穂には咄嗟に何のことか分からなかった。

 勿論、これまで安く買い取っていた商品も世間の価値に見合わせて価格を上げることが出来れば、お客様にとっては素晴らしいことだろう。

 だけどお店にとってはどうだろう? ただ買取値段が上がるだけではただでさえ苦しい経営状況がさらに悪化して――。

 

「あのー、ごめんなさい。先ほどのお兄さん、ちょっといいかしら」


 その時だった。いつの間にかレジ前に立っていた先ほどのご婦人が、カウンターの奥のこちらに向かって声をかけてきた。

 

「はい、なんでしょうか?」

「あのねぇ、実はさっきみたいなのがまだ息子の部屋にいっぱいあるの。だけどほら、私も歳でしょう? 持ってくるのが大変でね。それで取りに来てもらえないかしらと思ったのだけど無理かしら?」

「とんでもない。喜んでお伺いしますよ」


 イエローブック森泉店は出張買取をしていない。

 いや、正確には昔はやっていたものの、アルバイトが減ってしまって人手が足りないのと、あまり効率が良くないということでやめてしまった。

 だからまた勝手に速野が話を進めてしまうのを瑞穂は慌てて止めようとしたのだけれど、そこではたと思い至る。

 

(そうか。高く買い取る価値があるものは、つまり高く売れるものなんだ。そういう商品をお持ちのお客様の信頼を得て買取が出来るってことは、つまりお店に魅力的な商品が集まる可能性が高いってこと、だよね?)


 速野の言う「見返り」が何なんのか、瑞穂ははっきりと分かった。

 それはやっぱり苦しい経営状況をさらに厳しくするかもしれない。が、それは産みの苦しみ、その先に現状打破出来る道がある。

 

「速野さん! あの、私もさっきのお客様の出張買取、付いて行っちゃダメですか?」


 出張買取の打ち合わせが終わり、ご婦人が頭を下げながら帰っていくと、瑞穂は速野に話しかけた。

 

「構いませんけど、どうしてですか?」

「私も! 私もちゃんと物の価値が分かるようになりたいんです! その為には速野さんと一緒に買取するのが一番の早道だな、と思って」

「なるほど。いいんじゃないでしょうか」


 そう言って速野が例の「強欲な仮面」の笑顔を浮かべる。

 

「あ、あの、速野さん、その表情は――」


 一見すれば強欲極まりない笑顔だ。でも、不思議と嫌な感じはしなくて、思わず瑞穂は速野にその笑顔の真意を問いかけようとする。


「おっ! これはまた珍しいのが入ってきてるやないですか!」


 と、そこへ突然、ふたりの間に割り込んでくる人物がいた。

 定期的に古くて売り物にならないゲーム機を回収しに来る業者の男だ。

 店長と世間話でもしながら値付けしたのが終わったらしく、一緒に事務室からカウンターへとやってきていた。

 

「店長、これなら特別に300円で買い取りまっせ。本来なら100円ですけど、おまけですわ」 

 

 業者の男が店長に振り返って、とてもいい顔で提案する。

 それが瑞穂にはとても厭らしいものに思えた。

 

「今浜さん、さっき『お客様を騙してはいけない』って教えましたよね?」

「え? あ、はい」

「だったらもうひとつ。これも教えておきましょう」


 速野はいつの間に受け取ったのか、店長から今回業者に買取依頼したゲーム機のリストを片手に、そのいくつかに赤線を引くと厳かに言った。

 

「僕たちは騙されてもいけない」

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