第14話:速野の正体
上笠が休みを取ってから、あっという間に二ヵ月以上が経過した。
10月ももうすぐ終わる。
今月も無事、黒字を達成出来そうだ。
しかし、お店は決して順風満帆というわけではない。
やはり長期に渡る店長不在という状況に、スタッフはどこか不安な気持ちを抱えているのだった。
「で、まだ速野さんから告白されてないんスか?」
再び呼び出されたファミレスの席に着くやいなや、守北がいきなりそんなことを言ってきた。
「されてませんよ! てか、そっちの線はやっぱりないです、絶対!」
瑞穂はきっぱりと断言する。
あれからしばらくは「もしかすると」と構えていたが、一向にそんな様子が感じられないのを見て、瑞穂は「こりゃないな」とあっさりトキメクのをやめた。
「店長がクビになっているって可能性も消えたな。もしそうなら、とっくに速野さんが店長に就いてるだろ。それがいまだに店長代理だ」
「てことはやっぱり店長鬱病説ッスかねぇ」
「ま、そういうことだろうな」
そう言うと皆草はカバンから漫画本を取り出した。
今日の営業中に買い取ったもので、「皆草、買います」とメモを張り付けてレジ裏に保管しておいた奴だ。
「ちょ、なんスか? こんな時に漫画なんか読まなくてもいいじゃないッスか?」
「だって別に話し合うことなんて何もないだろ。俺はただ瑞穂ちゃんがお前とふたりきりだと気まずいだろうからついてきてやっただけだよ」
「えー、なんか皆草さん、最近テンション低すぎじゃないッスか?」
つまらなそうに守北がドリンクバーのジュースをぶくぶくとストローで泡立てる。
「でも守北さんが言うように、最近の皆草さんは何か一時期ほど楽しくなさそうですね?」
「え?」
「だって速野さんから漫画の高価買取を任された頃なんかはイキイキしていたじゃないですか? それが最近はなんだかつまらなそうにしていると言うか……」
皆草はもともとテンションの振り幅が大きい性格をしている。
テンションが高い時はどんどん仕事をこなしていくが、低い時は傍から見ても明らかに嫌そうな様子で働いてしまう。ちょっとしたことで「俺、もうすぐこの店を辞めるんで」と投げやりになることも何度かあった。
「皆草さんの買取リストのおかげでいい商品も集まって来てるし、売り上げもいいのに。どうしてですか?」
「……いや、だってさ、最近つまらないじゃないか」
「そうッスか? 前と別に何も変わら」
「だからそれがつまんねーって言ってんだよ、俺はっ!」
ぺらぺらとめくっていた漫画本を苛立ち気に閉じ、皆草が突如として熱弁を始める。
「いいか、俺は上笠店長がいなくなって速野さんが店のトップになった時、これで店はもっと面白くなるって期待してたんだよっ! 今まで速野さんのやることにイチイチ文句言ってたからな、店長は。それがいなくなって速野さんは好き勝手にお店を改造出来るようになった。ところがこの二カ月でお店は何か変わったか?」
「……別に何も変わってないですね」
「そうなんだよ、変わってないんだよ! それまであれやこれやと森泉店を改革してきた速野さんが、店長がいなくなった途端、新しいことを一切しないようになったんだ。期待外れもいいところだ」
「いや、それは皆草さんが勝手に期待して……あ、スンマセン、なんでも無いっス」
「だからな俺、この前、高野さんに提案してみたんだ。店の片隅にさ、小さくてもいいから俺オススメ漫画のコーナーを作っていいかって」
「……えっと、何が『だから』なのか分からないんですけど?」
「そうしたら速野の奴、一体何て言ったと思う?」
「いや、だから何が『だから』なんスか、皆草さん!」
「あいつ、『店長が戻ってくるまでは何も変えるつもりはありません』だってよ!」
皆草が右手を握りこみ、顔のあたりまで持ち上げる。
拳がぶるぶると震えていた。
「……俺、来年の春に店辞めようと思う」
が、結局振り押されることなく力を失った右手でグラスを取ると、一気に飲み干してから力なく呟いた。
「出た! 皆草さんの辞める辞める詐欺!」
「今度はマジだ。もともと俺が森泉店でバイトしてるのは、近くに同じような店がなかったからだ」
「そう言えば皆草さんって自転車で20分ぐらいかけて通ってるんでしたっけ?」
「ああ。でもな来年の春、近所のスーパーが閉店して代わりにイエローブックが入るって噂があるんだよ」
「マジっスか?」
「近くに出来たら別にこの店でバイトする必要性も無ぇ。だからお前たちには悪いけど、もしこれが本当なら俺はそっちに移ろうと思ってる」
これは予想外なことになってきたと瑞穂は焦りを感じた。
皆草は森泉店で一番漫画やアニメに詳しい。だからこそ漫画の高価買取タイトルの決定権を任されている。
その皆草が来年の春に辞める可能性がある……速野に相談した方がいいのだろうか?
「てか、速野さんって一体何者なんスかね?」
瑞穂があれやこれやと考えていると、不意に守北がそんなことを言ってきた。
「知るかっ。どうだっていいよ、あんな奴」
「ホント、皆草さんは極端ッスよね。この前まで速野さん速野さんって言ってたのに。……瑞穂ちゃんは何か知らないッスか?」
「え? ううん、私もせどりをやってたってことしか知らないですけど」
「は? せどり?」
途端に空気が不穏なものに早変わりして、瑞穂は戸惑った。
「ちょ、速野さんがせどりって、それ本当ッスか?」
「はい、店長からそう聞いたんですけど……あれ、もしかして皆さん、知らなかったんですか?」
「聞いてねぇ!!!」
今度こそ皆草は握った拳をテーブルに打ちつけた。
ドンッという鈍い音が店内に響き渡り、グラスがよろよろと転げて床で飛び散る。
「あいつがせどりだなんて俺は聞いてねぇぞ!」
「皆草さん、落ち着いて。みんな、見てますから」
「これが落ちついてられるかよっ! てか、瑞穂ちゃんはそれを知ってて今まであいつの下で働いてたのか!?」
「わ、私だって最初は警戒してましたよ。でも、速野さんはちゃんとお店のことを考えて」
「でも、せどりじゃねーかっ!」
他のお客さんが注目しているにもかかわらず、皆草は吠えた。
「あいつら、自分の金儲けしか頭にない連中なんだぞ! そんな奴と一緒に働けるかっ!」
「ッスけどぉ、瑞穂ちゃんが言うように、速野さんに怪しいところは無いっスよ?」
「そうですよ! それにお店が黒字化出来たのだって速野さんのおかげじゃないですか!」
「バカかよ、おめーら! そんなもん、店を乗っ取るために決まってるじゃねーか!」
「……え?」
「まずは真面目にやっているように見せて信頼を勝ち取り、お店を完全に掌握したら本性を出してくるんだよっ! くそっ、やべぇぞ。店長まで追い出しやがって、このままじゃあいつの思う壺じゃねーか!」
速野が森泉店の乗っ取りを狙っている?
当初は瑞穂も危惧していたものの、速野の人柄に触れてすっかり考えが変わっていた。
違う。速野さんがそんなことをするわけがない。
そう思っている。
でも、瑞穂は皆草に反論することが出来なかった。
言葉がない。皆草を納得させられるだけの、説得力のある言葉を持ち合わせていない。そんなことをする人じゃないとは分かっていても、結局のところそれは瑞穂がそうであってほしいと思っているだけだ。一度疑いを持ってしまった皆草には到底届かない。
「よし、決めた! そっちがその気なら、俺にも考えがある」
「考えッスか? まさかもう辞めるとか」
「辞めねぇよ。あいつを店から放り出すまで誰が辞めるかっ! いいか、俺が絶対あいつのしっぽを掴んでやる。言い逃れ出来ない証拠を掴んで、あいつに突き出してやるんだ!」
瑞穂がついうっかり漏らした一言から、大変なことになってしまった。
なんとかして皆草を止めないと、お店がバラバラになってしまう。でも、どうしよう? どうしたら皆草を止められるだろう?
必死に考える瑞穂の脳裏に、ふとある人物の顔、そしてその言葉が浮かんだ。
『どんなことがあっても、あんたは信じてやってくれよ――』
信じてる。瑞穂は信じている。
だけどみんなにも信じてもらうには、もっと確かなものが必要だ。もっと自分たちよりも速野のことをよく知っている、速野が皆草の考えるような人物ではないと保証してくれる人の言葉が。
だから会いに行こう。
瑞穂は決めた。それが速野を、そしてイエローブック森泉店を救う唯一の方法だと思った。
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