第13話:すき?

 9月と言っても、最近は地球温暖化の影響かまだまだ暑い日が続く。

 まして日中の屋外でダンボール一杯に詰め込んだ文庫本を運ぶとなると、自然と肌に汗が噴き出てくる。

 いまだセミがうるさく鳴き、湿度も高くて、なんとも不快な暑さの中、しかし額に汗しながらも嬉々として出張買取した本を店のバックルームへと運び入れる速野。


 そんな速野の姿に、瑞穂はしばし見入った。

 

 速野がいつも以上にウキウキした様子なのは、買い取った書籍が珍しいものだったからだ。

 なんでもサンリオSF文庫とかいう1980年代頃に刊行されていたもので、その手のマニアに根強い人気があるものらしい。

 それを速野は帰りの車の中で例の強欲な笑顔を浮かべつつ説明してくれたが、残念ながら瑞穂の耳にはほとんど入ってこなかった。


 代わりに瑞穂はぼーっと速野の横顔を見つめ続けていた。


                   ◇

 

 守北が瑞穂と皆草をファミレスに誘ったあの日、最後の最後に飛び出した仮説は、瑞穂が全く想定していないものだった。

 

「え、速野さんと店長が私を奪い合って喧嘩別れした?」

「そうッス。だって瑞穂ちゃん、速野さんが来るまでは店長とめっちゃ仲良かったじゃないスか。それが速野さんが来た途端、まるで鞍替えするように今度は速野さんとべったりで」

「ええっ! ちょっと待って。私、そんなつもりは全然ないんだけど?」

「そうなんスか? でも傍から見てると、どう見ても速野さんが店長から瑞穂ちゃんを寝取ぐはっ!」


 最後まで言わせることなく、皆草が守北の顔面にナイス裏拳をのめりこませた。

 

「アホなことを言うなよ、守北」

「アホってなんスか、アホとは。可能性としてはあるでしょーが!」

「ないです! 全然ないです! 私、おふたりとは歳も離れてますし、そんな目で見たことなんて一度もありませんよっ!」


 いや、ホント、そんな感情なんてこれっぽっちも瑞穂は持っていなかった。

 店長も、速野も、職場の先輩として尊敬はしている。が、異性として意識したことはこれまでない。歳が離れていることもあって、言われるまでそういう観点が頭からすっぽり抜け落ちていた。

 

「うーん、その様子だとマジで店長たちと瑞穂ちゃんが付き合っていたってことはなさそうッスね」

「なさそう、じゃなくて、ありませんっ!」

「……でも、瑞穂ちゃんにその気はなくても、向こうのふたりはどうだったんだろうな?」

「え?」

「さっき守北が言った話さ。速野さんと店長が瑞穂ちゃんを奪い合ったってのは、まぁ無くもないような気がする」

「ちょっと、皆草さんまで何を言い出すんですかっ! さっきは守北さんをアホ呼ばわりして止めてくれたのに」

「それはアホ守北がゲスい事を言いそうになったからさ。そうじゃなくてあのふたりが瑞穂ちゃんに特別な感情を持っている、というのは否定出来ないと思うんだよな」

「いやいや、そんなことはありえないですよ。だって私、まだ二十歳はたちにもなってないんですよ? 比べておふたりはどちらもアラフォーじゃないですか。恋人どころか、親子の方が似合う年齢差ですよ」

「でも、ふたりとも結婚してないッスよ?」

「付き合ってる彼女がいるって話も聞いたことがない。それにさ、もしふたりの仲違いの原因が瑞穂ちゃんにあるとしたら、店長があれほどまで速野さんのやることなすことにいちいち腹を立てるのも納得出来るんだよ」

「そ、それは自分が店長を勤めるお店で好き勝手やられるのが気に入らないからでしょ?」

「だけど速野さんのやることには、ちゃんと理屈が通ってる。人数不足を解消するため営業時間を短縮して忙しい時間帯のシフトを厚くしたり、この前のお盆休みだって、結果としてあの日を休んでいたとしても8月は黒字だったんだろ? だったら無理に店を開けず休んだ方が、みんなの英気を養う意味でも良かったんじゃないか?」

「結果論ですよ、それは」

「かもしれない。でも俺は速野さんはちゃんと計算していたと思うんだ。そうじゃなきゃ営業時間の短縮だ、お盆はお休みだなんて言い出すような人じゃないだろ? それは店長だって本当は分かっていると思う。なのにムキになって反対するには、やっぱり他に原因があって……」


 そう言って皆草は黙ったまま瑞穂の顔をじっと見つめてきた。

 倣うように守北もニヤニヤしながら見てくるので、瑞穂はなんだか急に恥ずかしくなってぷいっと顔を逸らしてしまう。

 

「ね? ありえるッスよね?」

「ああ、ありえるな」


 やがてひそひそとそんなことを言い出すふたりに、瑞穂はたまらず自分が食べた分のお金をテーブルに置くと、お疲れさまでしたの一言もなく、その場を後にしたのだった。


                   ◇

 

(はぁ、速野さんと店長が私を……ねぇ?)


 いまだにそんなことはありえないと瑞穂は思っている。

 が、どうしても頭にちらついて離れない。


 瑞穂のこれまでの人生、決して恋愛関連のイベントがなかったわけではない。だけどどれも瑞穂の方が恋愛感情を持つ側で、相手からそういう風に見られるなんてことは一度もなかった。


 イエローブック森泉店ではみんなから可愛がってもらってはいるものの、それも言ってしまえば紅一点だからだ。周りが男ばっかりな中にひとりだけ、自分だけが女の子だからチヤホヤされるにすぎない。ずっとそう思っていた。

 

(うーん、ありえない……ありえないとは思うんだけど、もし告白されたら、どうしよう?)


 想像してみる。

 いつにもなく緊張した表情を浮かべる速野。

 手には今抱えているダンボール箱じゃなくて、大きな花束。

 場所もこんなお店の駐車場裏じゃなくて、もっとオシャレな、海の見えるレストランとかそんなとこ。

 戸惑う瑞穂に、しかし速野は穏やかに微笑んで花束を手渡すと、真剣なまなざしで見つめてきて、やがてその口から……。

 

「今浜さん……すき……」

「え?」


 ハッと我に返ると、いつの間にか速野が目の前に立っていた。

 汗が滝のように流れる顔は、心なしかどこか赤らんでいるように見える。


「大丈夫ですか、今浜さん? なんかぼぉーっとしてましたけど。もしかして熱中症ですか?」

「あ、いえ、全然大丈夫です! というか、その、さっき、なんて言いました?」


 妄想だったのか、あるいは聞き間違いだったのか。

 なんかさっき「好き」って言われたような……。

 

「え? ああ、『今浜さん、お腹ましたね?』って尋ねたんですけど」

「……は?」

「朝ご飯、抜いてきたんでしょ? さっきからずっとお腹がぐーぐーって鳴ってましたよ?」

「え? ええっ!?」


 驚くやら恥ずかしいやらで慌てふためく瑞穂をよそに、このタイミングでまたお腹がぐーと鳴った。

 言われてみれば今朝、何か食べた記憶がない……。

 

「ほら。良かったらもう休憩に入っちゃってください」

「……ハイ、アリガトウゴザイマス」

「あと、余計なお節介かもしれませんが、今浜さんはダイエットの必要ないと思いますよ?」


 そう言って今浜はよいしょっと運んでいた途中のダンボールを再び持ち上げて、バックルームへと入っていく。

 その姿を呆然と見つめる瑞穂の顔は、運搬作業によって熱を帯びた速野とはまた違う理由で、天頂にある太陽の如く真っ赤だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る