第12話:憶測

「今日からしばらく上笠店長は休暇を取られます」


 最初はそう速野に告げられただけだった。

 瑞穂の知る限り、上笠が二日以上連続で休んだことはない。いい歳ではあるが両親と一緒に住んでいるから里帰りする必要もなく、そもそも以前のシフトでは店長である上笠が長期休暇を取るなんて不可能だった。


 が、営業時間を短縮して早番と遅番の垣根を取り払い、人数的にも余裕がある今ならばそれも可能だ。

 これまでずっと働き詰めだったのだ。一週間ぐらいまとまった休みを取るのもいいだろうと瑞穂は軽く考えていた。

 

 それが一週間が過ぎ、10日が過ぎ、8月が終わって9月になっても上笠は出勤してこない。

 さすがにこれはどういうことだろうと瑞穂だけでなく、他のスタッフたちもざわめき始めた。

 それでも速野はただ「店長は休暇中ですよ」としか答えてくれなかった。

 

                   ◇

 

「実は自分、見ちゃったんスよ」


 それは上笠の休暇が遂に一カ月も経たったある日の事だった。

 速野には内密で話したいことがあると、その日の営業終了後に近くのファミレスへ瑞穂と皆草を誘った守北は、周りを用心深く見渡すと声を潜めるようにして告げた。

 

「見たって何を?」

「アレはお盆休みの最終日のことッス。コミケから帰って来たものの、家族はみんな田舎のじいちゃん家へ帰省してたんス。で、俺、料理とか出来ないんで、暇してる友達誘ってこのファミレスに飯食いに来たんスよ。そしたら店の片隅に速野さんと上笠店長がいて」

「え? あのふたりが!?」


 言われても瑞穂にはちょっと信じられなかった。

 これがまだ5月や6月の頃ならばまだ分かる。が、守北が見たのは8月、しかも速野がスタッフの多くに休みをあげちゃって、わずか4人でお盆の数日間を営業したあの時だ。


 言うまでもなく、ふたりの関係は最悪。

 速野はともかく、彼を忌み嫌っていた上笠がファミレスで仲良く食事するなんてとても想像も出来ない。

 

「はい。俺も最初は信じられなかったッス。ふたりの仲が悪いのは知ってたし、なんでこのふたりが、って」

「だよなぁ。で、やっぱり大ゲンカし始めたのか?」

「いえ、俺もそう思って遠くから様子を伺ってたんスけど、なんか速野さんが一方的に話しているみたいで店長はぴくりとも動かないんスよ。それこそ目の前の料理にも全然手を付けてないみたいで」


 ふと瑞穂の脳裏に一か月前に見た景色がフラッシュバックした。

 お盆はお店を閉めると言ってきた速野の言葉をしばらく無視し続けていた上笠の、ようやく言葉を発した時の無機質な声色、そしてその後に起きた感情の爆発……瑞穂は身体を一瞬ぶるっと震わせた。

 

「ああ。店長ってマジで怒ってる時はそうなるよな。で、突然キレ出すの。守北もそのパターン知ってるだろ?」

「ういっス。あれ、怖いっスよね」

「え、私、そんな風に怒られたことないですけど?」

「そりゃあ瑞穂ちゃんは女の子だもん。あの人、女の子はまず叱らないんだよ」


 確かに瑞穂は上笠から怒られたことはない。

 と言うか、そもそも上笠が怒るのを見たのは、この前の速野とのやり取りが初めてだった。なのにその場にいなかった皆草と守北が上笠の怒り方を知っているのは、なんだかずっと自分にだけ隠し事をされていたようでちょっとショックだ。

 

「で、話を戻すんスけど、そのうち店長が突然立ち上がったんスよ」

「お、ブチギレモード、きたー!」

「と思うじゃないスか? 違うんスよ。そのままスタスタと席を離れて、こっちに来たんスよ。俺、ヤベ見つかったと思って慌ててテーブルの下に隠れたんスけど」

「マジで!? お前、ファミレスで何やってんだよ」

「あとで友達にも笑われたッス。ま、それはともかく、店長ですけど実は俺を見つけたんじゃなく、ただトイレに行っただけみたいで、テーブルの横を足早に通り過ぎて行ったんスけど、友達が言うには泣いてたらしいんですよね」

「え? 店長が泣いてた?」

「それもボロ泣きだったらしいッス」


 いい歳した大人が、しかも映画や小説を見て泣くならまだしも、ファミレスで同僚と話をしていて泣くなんてあり得るのだろうか?

 人生経験にはまだまだ乏しい瑞穂だけれども、それは尋常ではないような気がしてならなかった。

 

「お酒を飲んでいた、ってことは? ほら、たまにいるじゃん、泣き上戸な人」

「いや、店長たちのテーブルにお酒はなかったと思うッス」


 そもそもお酒どころか店長は何も飲んだり食べたりはしていなかったと守北は証言した。

 

「てか、ここだけの話、おふたりは速野さんと店長をどう思ってるスか?」

「どう思ってるって、どういうことですか?」

「ズバリ言うと、速野さんさえいれば店長はいらないんじゃないかって俺思うんスよ」

「おいおい、いきなり何を言い出すんだよ、お前」

「だってそうじゃないスか。速野さんがやってきて、お店めっちゃいい感じになったッスよね。働きやすくなったし、休みも取りやすくなった。それでいてこれまで赤字だったお店が黒字になったんスよ。速野さん、マジ神ッス」

「それは認めるけど……」

「対して店長はどうッスか? 長年店長をやっていたってだけで、全然ダメダメじゃないッスか。従来のやり方に固執しすぎて、頭が固いんスよね。つまんないことでキレるし、そのくせ速野さんみたく営業前に出張買取へ出かけるわけでもない。はっきり言って店長って地位が大切なだけで、やる気はないですよね、あの人」

「いや、さすがにちょっと言いすぎじゃないですか、守北さん」

「そうッスかね? でも、おふたりも気付いてますよね? 店長がいなくなってこの一カ月、別に何も困ってないって」


 しばし三人の間に沈黙が流れた。

 守北の発言は、言うなれば誰もが感じ取っていたことだ。が、それゆえに誰も口にはしなかった。してはいけないと思っていた。暗黙の了解、触れてはならない禁忌ってやつだ。

 

「それで俺、思ったんスよ」


 沈黙を破ったのは守北だった。

 

「何をだよ?」

「一か月前の店長の涙……当時は訳が分からなかったッスけど、実はアレ、速野さんからクビを言い渡されたからじゃないかな、って」

「いやいや、それはないだろ。だって速野さん、仕事は出来るけど、そんな権力は持ってないはず」

「でも俺、聞いたッスよ。速野さんは社長からお店のことを全部任されてるって。だから営業時間の縮小とか大胆なことも出来たんスよね? だったら店長をクビにすることも出来るんじゃないッスか?」

「だけど店長は休暇を取ってるって速野さんが」

「それなんスけど、やっぱりいきなり店長がクビになりました、辞めました、では俺たちも動揺するじゃないッスか? だからとりあえずは休暇を取ったことにしておいて、ちょっと時間を置いてから『個人的な理由で辞めました』って改めて通達するんじゃないかな、って」

「……なるほど、それはありえそうだな」

「でしょ? ありえるッスよね!?」


 皆草の同意を得てはしゃぐ守北をよそに、瑞穂の心は動揺していた。

 速野が上笠店長をクビにした? 

 確かにふたりの仲は良くなかったけれど、そんなことを速野がするだろうか?

 だけど自分たちを動揺させない為に、今は上笠を長期休暇扱いにしているという守北の主張は筋が通っているようにも思える。

 

「あー、守北、喜んでるところ悪いが、俺の本当の考えはちょっと違うぞ?」

「えー、なんスか、それ」

「俺は店長が鬱になっちゃったんだって思ってる。考えてみろ、仮にも店長として十年以上勤めてきた店に、突然どこのどいつか分からん奴がやってきて好き勝手やり始める、しかもそれが悉く成功するんだ。俺が今までやって来たことは一体、ってなるだろ?」

「なるほど、確かにそれもありえそうッスね」


 だから今は自宅か病院かは知らないけど治療中で、復帰がいつになるかまだ分からないんだと皆草は続けた。

 上笠が鬱病……咄嗟には想像がしにくい瑞穂だったが、今の世の中、誰がそうなってもおかしくない時代だ。可能性としてはこれもあるだろう。

 

「瑞穂ちゃんはどう思う?」


 ふたりの主張にあれやこれやと考えを巡らしていると、唐突に自分の名前を呼ばれた。

 

「え?」

「え、じゃないっスよ。瑞穂ちゃんはどっちだと思うんスか?」


 守北が妙に浮かれた様子で尋ねてくる。

 

「私はその、おふたりのどちらの案もありそうでなさそうと言うか……」

「なんスか、それ!?」

「その様子だとまた別の可能性もあると思ってるのか?」

「可能性って言うか、単純に仕事が嫌になって辞めちゃったんじゃないか、と……」


 だが、それもまた納得出来ない仮説だなと瑞穂は思った。

 辞めるんだったら、上笠は何も無理してお盆に店を開ける必要なんてなかった。お盆は休店すると速野が言ってきた時点で、だったらもう辞めると言えばいいだけだ。


 それに辞めてしまったのだったら、いまだ速野が休暇扱いにされてる意味が分からない。

 

「自分で言っておいて信じられないって顔をしてるな」


 表情に出ていたのだろうか。皆草にズバリ言い当てられた。

 

「……すみません」

「いいさ。俺のだって所詮は単なる推測だ。確たる証拠なんてひとつもない。守北だってそう……って、なんだおい、何か言いたげな顔をしてるな?」

「いやぁ、実はもうひとつ、本当のことを言えばさっきの話よりもずっと可能性がありそうなのがあるんスよ」


 そう言って守北は「それを確認するために瑞穂ちゃんを呼んだんス」と、何故かニヤニヤと厭らしい表情を浮かべながら瑞穂をチラチラと見てきた。

 

「なんだよ気持ち悪い奴だなぁ。いいから話してみろ」

「ういッス」


 そして守北が話し始めた内容は、瑞穂を驚かせるには十分すぎるものだった。

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