第11話:悲しみのポニーテール

 店長・上笠が抱える不満と言う名の爆弾は、本当にもうギリギリだった。

 あと少し、ほんのちょっとでも刺激すれば大爆発を起こす。そんな状態だったのに。

 

「お盆の四日間はお休みにしましょう」


 速野は上笠の爆弾を思い切り殴りつけたのだった。

 

 時間は夕方の6時すぎ。

 瑞穂はバイトも終わり、事務室の鏡で自分の顔を見ながらポニーテールに纏めたリボンをほどいた。


 実のところ、瑞穂はポニーテールと言う髪型に拘りは全くない。

 3年以上前のバイト初日、いざ働いてみたら結構動くので一時的に邪魔な長髪をポニーテールにしてみたら、それがたまたまお店の様子を見に来ていた社長に「ポニーテールちゃん」とあだ名をつけられるぐらい気に入られてしまい、変えるに変えられない状況になってしまっただけだ。

 

 それでもさすがにあれから3年も経ち、瑞穂も高校を卒業した。いつまでもポニーテールでもない。

 今度こそ思い切って大人びた髪型にしてみようかなと思っていると、事務室に入ってきた速野が瑞穂の後ろを通り過ぎるのが鏡越しに見えた。

 

 そして奥の机に座り、ノートパソコンで何やら黙々と作業をしていた店長の上笠に、速野がお盆休みの話をいきなり切り出したのが聞こえたのだ。

 

「ちょ、ちょっと、速野さん? お盆は稼ぎ時ですよ。何を考えてるんですか!?」


 速野のトンデモ発言には慣れてきたつもりの瑞穂も、これには思わず自分が話しかけられたわけでもないのに反応してしまった。


 確かにお店の状況はいい。この調子でいけば今月も黒字を達成出来るだろう。

 だけどそれもお盆の数日間でしっかり実績を残すのが必須条件だ。

 

 商売の基本は世間が休んでいる時に働いて稼ぐ。これに尽きる。

 ましてやお盆は年末年始とゴールデンウィークと並び、世間の多くの人が長期間の休みを取る絶好の稼ぎ時だ。

 それを捨てるなんてとんでもない。

 

「何をって……そりゃあ世間もお休みなんですから、みんなも休みたいだろうなって」

「いやいやいや、だからって休んじゃダメでしょ」

「うーん、じゃあ今浜さんはお休みしたくない、と?」

「……そりゃあ出来ることならお休みしたいですけど」


 休みたいか休みたくないかと訊かれたら、そりゃあもちろん瑞穂だって休みたいに決まってる。

 責任感は強いものの、瑞穂はまだ高校を卒業したばかり。高校時代の友達のほとんどは大学に進学して、ゴールデンウィークには遊びに行こうよとお誘いが何件かあった。

 それをバイトがあるからと泣く泣く断り、この夏もみんなが旅行に行くのを「お土産よろしく」と見送ったところだ。

 それもこれもバイトの主力メンバーとして長期のお休みを取り、シフトに穴を開けてはいけないという責任感があるからに他ならない。

 

「分からないなぁ。だったらお店が休むってのは朗報だと思うんですけど?」

「いやまぁ、そうかもしれませんけど。だけどそのせいで――」


 売り上げが下がって、お店がまた赤字に転落するのは嫌だと言おうとしたその時だった。

 それまで黙りこくり、話を聞いているのか聞いていないのか、ただひたすらノートパソコンの画面だけを見ていた上笠が不意に顔をあげた。

 

「速野さん、『』ってどういう意味ですか?」


 一瞬、それが誰の発した言葉か、瑞穂には分からなかった。

 事務室には今、瑞穂と速野、そして上笠しかいない。さらに速野への質問だから、速野の言葉であるわけがない。となると残りは瑞穂と上笠なわけで、当然、瑞穂ではないことは自分のことだから分かっている。

 

 それでも瑞穂には今の質問が上笠によるものだとは瞬間的に気付けなかった。

 3年以上の付き合いの中で初めて聞く、全く感情の欠片も拾えない無機質な声だった。

 

「えっと、質問の意味がよく分からないのですが?」

「瑞穂ちゃんにとっても朗報ってことは、他にも喜ぶ人がいると言うことですよね。それは一体誰なんですか?」

「ああ、そういう意味でしたか。なるほどなるほど」


 頷く速野の傍らで、瑞穂もようやく上笠の質問の意図を理解した。

 と、同時に嫌な予感も覚えた。

 もしここで速野が「自分も休みたいと思っていましたので」という答えを出そうものなら、上笠の爆弾は大爆発を起こすに違いない。

 

「いえ、皆草君たちなんですけどね」


 とはいえ、やることはいちいちこちらをびっくりさせるものの、ここまでの速野の言動は一貫してお店のことを考えてのものだ。「自分が働きたくない」なんて幼稚な理由は出してこないだろうと思っていたら案の定だったので、瑞穂はほっとした。

 が、

 

「皆草君たち、とは? 他には誰なんですか?」

「山田さんと今浜さんを除く、その他全員です。なんでも彼ら、コミケに行きたいって僕に相談してきていたんですよ」


 言われて瑞穂は思い出した。

 数日ほど前、皆草が「この日はコミケに行くので休ませてほしい」と速野に相談したのをきっかけに、何人かの人がコミケの話題で盛り上がっていたのを。

 

「皆草君は前から通っていたらしいんですけど、他のみんなも実は興味があったらしくて行けるのなら自分たちも行ってみたいと言い出しましてね」

「行けるのなら行ってみたい? だったら答えは簡単ですよ。仕事があるから行けません。以上です」

「いやいや、そんなにべもなく断ったらみんなが可哀そうじゃないですか。ここはどうしたらみんなの希望が叶うか考えてあげないと」

「そんなもの、考えても無理に決まってるじゃないですか。彼らがいないと店が開けられない、だったら」

「はい、だからお休みにして」

「ふざけないでくださいっ!」


 それまで機械のように無機質な声色で話していた上笠が突然大声を出した。

 上笠と長い付き合いがある瑞穂も聞いたことがないような大声。しかもそれまでの感情の欠片も感じられなかった声が一変して、怒り、不満、苛立ちをむき出しにしたものになっている。

 それも瑞穂にとっては初めて聞くものだった。

 

「バイトが遊びに行くから店を閉める? 冗談じゃない! そんなお店が一体どこの世界にあるっていうんだ!」

「んー、個人経営の店なら結構あるかと思いますけど」

「そういう話をしてるんじゃないよ! あんた、せどりとしてどれだけのやり手かは知らないけど、これ以上、俺の店で舐めた真似はやめてくれ! ちょっと上手く行ってるからって、調子に乗ってたらそのうち痛い目にあうぞ」

「いえ、調子に乗ってるなんてそんな……僕はただお店のことを考えてですね」

「アホか! 店のことを考えるなら、どうしてお盆に店を閉めるなんて馬鹿げた発想が出てくるんだよっ! いい加減なことを言うなっ!」


 もうこれ以上の議論は不要とばかりに、上笠は怒りでもって話を打ち切った。

 さすがの速野もこれにはお手上げと言った調子で、自分の頭をぽりぽりと掻く。

 

「速野さん、今回は諦めた方がいいと思いますよ。店長も言い過ぎなところはありましたけど、お盆に休店するのはあまりにもやりすぎです」


 それでもまだ何か言いたいのか、その場を離れようとしない速野に瑞穂は声をかけた。

 これ以上何を言ったところで上笠は考えを変えないだろう。それどころか速野が主張すればするほど、事態は泥沼化するのが目に見えている。ここは速野に撤退してもらうしかないと思ったからだった。

 

「そうですかね? 僕は利益さえちゃんと出せていれば問題ないと思うんですけど」

「そりゃそうかもしれませんけど、ようやく先月黒字化したばっかりですよ? ここで気を抜いちゃすぐにまた赤字になっちゃいますよ」

「はぁ。別に気を抜いてるわけではないんですけどね。いや、しかし、これは困ったなぁ」


 虫の知らせとはこういうことを言うのだろうか。弱ったように眉を顰める速野に、瑞穂はなんだかとても嫌な予感がした。

 

「えっと、困ったって何がですか?」

「いえね、実はもうみんなに言っちゃったんです」

「言っちゃったって……え、それってもしかして」

「はい、お盆はお店を休みって、うわっ!」


 止める暇なんてなかった。

 怒鳴りつけた時も椅子に座りっぱなしだった上笠が勢いよく立ち上がると、いきなり速野の顔面へ殴りかかった。

 

「店長! やめてくださいっ!」

「放してくれ、瑞穂ちゃん! もう勘弁できない!」


 突然殴られて倒れこむ速野に、さらへ追い打ちをかけるべく馬乗りになろうとする上笠を、今度こそ瑞穂は必死になって止めた。


 もしこれが皆草や山田たちなら、制止を振り切ってでも上笠は速野に襲い掛かっただろう。

 しかし、女の子の瑞穂だったのが速野には幸いした。

 さすがに女の子の瑞穂を無理矢理撥ね退けるのは躊躇らうぐらい、上笠にはまだ辛うじて理性が残っていた。

 

「はぁはぁ、畜生! 好き勝手やりやがって、お前何様のつもりなんだっ!」

「店長、落ち着いてください。今更そんなこと言っても仕方ないじゃないですか。それよりも今は皆草さんたちに事情を話して、やっぱり出てもらえるようお願いするしか」

「今浜さん、それは止めておいた方がいいですよ。一度休暇を許してるんです。それを今更やっぱりウソでした、お盆は出てくださいなんて言った日にはそれこそ信頼がガタ落ちです」

「速野さんは黙っててくださいっ!」


 先ほどの上笠に負けないぐらいの大声で、瑞穂は速野を怒鳴りつけた。

 

「…………」


 その怒鳴り声が効いたのか――あるいは瑞穂自身も気が付かないうちに流していた涙がそうさせたのかは分からないが、口を噤んだ速野はもう何も言わなかった。

 ただ、それは上笠や瑞穂も一緒だ。

 誰も何も言わず、しばし事務室にはまだ興奮して荒い上笠の鼻息と、どうしてこんなことになってしまったのかとかすかにすすり泣く瑞穂の声だけが静寂を乱した。

 

「……店は休みにしない」


 その静寂を言葉で打ち破ったのは上笠だった。

 

「たとえ俺ひとりでも店は開けるからな!」


                   

 

 かくしてイエローブック森泉店はお盆休み真っ最中の四日間を上笠、速野、瑞穂、山田の四人だけで営業することになった。

 多くのお客さんが来店し、次々と売れ、それ以上に大量の商品が休む暇なく買取へ持ち込まれる。

 結果、四人はひたすら買取と販売に忙殺され、買い取った商品の品出しや加工作業は勿論のこと、売れた商品棚の補充すらも、その四日間は何一つ出来なかった。

 

 そしてなんとかお盆を乗り切り、コミケを堪能したスタッフたちが出勤してきたその日から、上笠の姿がお店から消えたのだった。

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