第15話:速野の過去
「よお、嬢ちゃん。久しぶりやなぁ」
瑞穂が教えられた喫茶店でコーヒーを飲むこと十数分。約束した時間から五分ほど遅れて現れた待ち人は、そのいかつい身体には不似合いな笑顔を浮かべて前に座ると、「あ、ワシはプリンアラモードで」とこれまた似合わないものを注文した。
「甘いもの、お好きなんですか?」
「おう、めっちゃ好きやで! 特にここのプリンアラモードは絶品や! 代わりにコーヒーは最低やけどな」
「あ、あはは……」
「で、嬢ちゃん、一体このはぐれ刑事肉体派のワシに何の用や? あ、ちなみに愛の告白はあかんで。ワイ、こう見えて愛妻家やから」
そう言って出屋敷警部はニカっと破顔する。
色々と似合わないなと瑞穂は思った。
◇
10月も無事黒字となったが、イエローブック森泉店の状況は最悪だった。
あの日、瑞穂がつい口走ってしまった速野が元せどりであるという話を、皆草が店のスタッフにも流してしまったのだ。
反応は様々だった。
山田のようにあまり気にしなかった者もいれば、皆草に同調する者もいた。
が、この暴露により速野をまるで腫物でも扱うようになったのは、みんな一緒だった。
ただ当の速野本人は相変わらずのマイペースで、皆草に無視されようが、会話がぎくしゃくしようがまるで気にした様子はない。
それどころか自分がせどりだって陰口を叩かれていることにすら気付いていないみたいで、それまでと何ら変わりはなかった。
もっとも、瑞穂は違う。
その過去を暴露してしまった上に、店内では唯一積極的に支持する側に立つ瑞穂は、速野が一部のスタッフから無視されるのを見る度に心を痛めた。
なんとか。なんとかしなくちゃいけない。
店長の上笠が戻ってくればまた違うのかもしれないが、いまだその気配すらなかった。
おまけに出屋敷と連絡を取ろうと考えてはみたものの、詳しい連絡先を瑞穂は知らない。なんとか速野から出屋敷の情報を引き出し、片っ端から警察に電話をして何とかコンタクトが取れたのは、あのファミレスの件から一週間以上も経った後のことであった。
◇
「ははぁ、なるほど。やっぱり先生、大変なことになっとったんやなぁ」
「そうなんです……」
「で、先生のことを詳しく知っているワシに相談しにきたわけやな」
「はい。それにあの時、『なんたって先生は――』って言っておられましたよね? その先に言おうとしていたことも気になって」
「んー、そやけどあの時、先生がわざとらしく止めたやろ? 嬢ちゃんたちには知られとう無いんちゃうやろか、先生」
あっという間にプリンアラモードを食べ終わった出屋敷が、手持ち無沙汰そうにスプーンをゆらゆら揺らしながら答える。
その様子を見た瑞穂はすかさず店員を捕まえて、追加をお願いした。
「……嬢ちゃん、ワイを買収するつもりか?」
「いえ全然。さっき出屋敷さんが『ここのプリンアラモードは絶品や!』って言ってたじゃないですか。だから私も食べてみたいなと思って」
「あ、さよか」
「でも、最近ダイエットしてるんです、私。さすがに全部は食べられないので、残した分を食べていただけると助かるんですけど」
しらっとそんなことを言う瑞穂に、出屋敷は一瞬目を見開いたかと思うと、やがて大きくため息をついた。
「はぁ……なぁ嬢ちゃん、あんた、歳は幾つや?」
「え? この前、19になったばかりですけど」
「まだ十代なんかい! あー、きっと先生の影響なんやろうけど、まだ若いのにそんな駆け引きを覚えたらあかんわぁ。ええか、若いうちはとにかく頭を下げて誠心誠意お願いしとけばええねん。それで大抵のことはなんとかなりよるから」
「そうなんですか? じゃあ、その、教えてください、お願いします」
「……分かった。そこまでお願いされたら、男・
目の前に置かれたプリンアラモードに、瑞穂の視線を意にも介さずデザートスプーンを深々と突き刺す出屋敷。やがて口いっぱいにプリンやらフルーツやら生クリームやらを頬張りながら、出屋敷は瑞穂の知らない速野の話を語り始めた。
出屋敷と速野が初めて出会ったのは二十年ほど前の事だった。
地元関西の大学を卒業し、東京で警官になったばかりの出屋敷は新宿の交番に配属され、多忙な日々を送っていた。
そんな出屋敷のささやかな楽しみは、休日のゲームショップ巡り。
こう見えて実は子供の頃から熱心なゲームファンだったりするのだ。
「そんな時や、先生と出会ったのは」
「じゃあ速野さんは昔、ゲームショップで働いてたんですか?」
「そうやない。先生はその頃、ブックオン新宿本店で働いていた」
「ええっ! それってブックオングループのフラグシップ店ですよね!? 自社ビル8階のフロア全てが本やDVDで埋め尽くされてるって噂の」
「そや。しかも高校を出たばっかりだと言うのに、店長を任されとった!」
ブックオンは言わずと知れた古本業界のトップ企業、その主力店で働いていたばかりか、まだ十代で店長を勤めていたなんて……。
速野の立ち振る舞いから過去にこの業界で働いた経験があるんじゃないかとは思っていた瑞穂だったが、その予想を遥かに超えてきた。
(うわー、そんな凄いところで腕を振るっていたんだ、速野さん。だったらイエローブック森泉店を立て直すなんて朝飯前だよね。あれ、でも、だったらどうしてその事を言わなかったんだろう。それになんでせどりだなんて……)
「ところで、あの頃の秋葉原は確かに凄かった。どんなに珍しいゲームでも見つかったもんや。そやけど高いねん。警官になったばかりの安月給では、ポイポイ買える値段やないねん」
「は? いやいや、出屋敷警部、そんなことより速野さんのことを……」
「そんな時、ふらりと入ったブックオンでレアソフトが激安で売っているのを見つけてな。これやーと思ったわ。専門店やないから、そういう知識がなかったんやろうな、その頃は」
「いや、そうじゃなくて……」
「ところがや、ワイの交番のすぐ近くにあるブックオン新宿本店は、しっかり市場価格に近い値段にしとるねん。がっかりしたわー。こりゃさぞかしゲームに詳しい手練れの店長がおるんやなと思っとったら」
「あ、ちゃんと速野さんの話に繋げるつもりではあったんですね」
てっきり20年前のレアゲー事情の話ばかりかと。
「びっくりしたで。あんなでっかい本店の店長が、自分より年下のガキなんやから」
「普通に考えたらおかしいですよね」
「ああ。なんでも高校の頃からバイトしてたそうで、実力が認められて卒業後はブックオンに就職。いきなり店長を任されたそうや」
高校に在学中からバイトをしていて、卒業後に店長として就職……。
その流れはかつて瑞穂も夢見たものだ。
「……それで当時の速野さんってどんな感じだったんですか?」
尋ねておいてなんだが、瑞穂の頭の中にはある程度予想がついていた。
十代で大店舗の店長に任されるほどなのだ。きっと仕事が出来て、部下の育成も上手く、みんなから慕われる人だったのだろう。
なんせ今でこそ前職がせどりだったと瑞穂が口を滑らせてしまったおかげで一部のスタッフから疎まれている速野だが、それまでは誰もが頼る理想の上司像だったのだ。
それはきっと昔の店長時代に培われたもので――。
「はっきりいって感じ悪い奴やったわ」
「え?」
「まぁ確かに仕事はよう出来た。レジや買取は早くて完璧。商品加工と品出しはひとりで5人分はやりおる。商品知識も豊富でな。こちらがどんな質問をしようと即座に答えよるんや。周りからはパーフェクト超人とか呼ばれとったわ」
「凄いじゃないですか! それのどこが感じ悪いんです?」
「パーフェクトなのが仕事だけやのうて、人格もそうやったらよかったんやけどな。あの頃の先生は、まさに自分に厳しく他人にも厳しい人やったんや。ミスしたバイト君を叱りつけるところをよく見かけたわ」
「速野さんがですか!?」
「それだけ厳しく指導するからこそ優秀なスタッフが育つと信じてやっていたのかもしれん。が、傍から見ていて気持ちのいいもんやなかったな、あれは」
あの速野がそんな叱り方をするなんて、瑞穂にはとても信じられなかった。
そもそも叱るところはおろか、怒った顔すらも瑞穂は見たことがない。
「そんなもんやからどれだけ新人を雇ってもすぐに辞めてしもうて店は常に人手不足でな。あとで聞いた話では、先生はほとんど休みらしい休みを取ったことがなかったらしい」
「休みがないって……それじゃあ最後は結局身体を壊して辞められたんですか?」
「いいや。壊したのは身体やない。心や」
出屋敷が悲しそうに目を伏せた。
それが当時の速野のことを思ってか、あるいは二杯目のプリンアラモードもすっかり平らげてしまったからかは瑞穂には知る由もない。
「その時のことはワシもちょうど店におったからよう覚えとる。破滅はひとりの老人が運んできよった」
出屋敷が語るには、そのお爺ちゃんは一冊の古い本を買取カウンターに置いたそうだ。
イエローブック森泉店でも、ご年配の方が長年大切にされていたのであろう昔の本を買取に持って来られることはよくある。
が、大変残念なことに、それらの本にまともな買取値が付くことはほとんどない。多くが酷く傷んでいる上、イエローブックは年代物である書籍の価値を把握していないからだ。
それは昔ながらの古本屋が店員の膨大な知識によって値付けされているのに対し、イエローブックは素人のバイトでも簡単に仕事が出来るよう値付けのシステムが簡略化されているためであり、バーコードがないような古い本は総じて無価値と位置付けられているからである。
そしてそれはブックオンでも同じで、この時の買取を勤めた速野は一目見て「申し訳ありませんが、こちらの商品は5円買取となります」とご老人に告げた。
「5円? この本がか?」
「はい。当店ではバーコードがない古い単行本は一律五円買取となっておりまして。大変申し訳ないのですが」
「なんと、そうじゃったのか! はぁ、せっかく新宿まで来たのにのぉ。なぁ、店員さん、どうにかならんかね? この本はいい本じゃぞ?」
「そう申されてもこればかりは」
「あんたでは話にはならんのぉ。ちいと悪いが店長さんを呼んでくれんかね」
「店長は私でございます」
「ほぉ、あんたが店長じゃったか。その若さで凄いのぉ。じゃが、それでもこの本の価値は五円だと言うんじゃな?」
「はい、申し訳――」
「まったく。ブックオン新宿本店の店長は相当な目利きだと聞いておったが、とんだ期待外れじゃったな」
その途端、それまでごく普通のお爺ちゃんだった老人の背中が突然大きくなったように見えた、と出屋敷は説明した。
「お客様?」
「この本が5円? ちゃんとした古書店で買えば10万はするこの希少本が、たった5円とは笑わせてくれるのぉ」
「え? 10万?」
「まぁ目利きなどと言うても、バイトの学生さんが買取なんぞする店じゃ。たかが知れとるか」
「…………」
「じゃがお前さんらが無能なおかげで、最近は自分の儲けしか考えとらんせどりが増えとる。何とかして欲しいもんじゃ。どうせこの本も買い取ったら100円で売り場に出すんじゃろ? そりゃあせどりも大喜びで――」
「100円じゃないです」
あまりの老人の言いぶりに速野が咄嗟に答えるものの、すぐに「しまった」と顔を顰ませた。
「ほう、だったら幾らじゃ? まさかおぬし、5円で買い叩いておきながら、10万でだすつもりじゃなかろおうな? こりゃまいった、ブックオン新宿本店はとんだぼったくり屋じゃわい」
「違う! そんなことはしない!」
「だったら幾らなんじゃ?」
「……その本は店頭に出さない」
「は?」
「……古すぎる本は処分することにしてるんだ」
噛みしめるように紡ぐ速野の言葉に、今度は老人が顔を歪ませる番だった。
「処分する、じゃと?」
「だって仕方がないでしょう! 大きなビルとは言え、売り場に出せるものにはどうしても限りがある。売れそうにないものは処分するしか」
「売れそうにないって、こいつは10万の価値はあるんじゃぞ!?」
「でも、だからってどうしようもないじゃないですか! それを100円で出せばあそこは物の価値を知らない店だと笑われる。かと言って5円で買い取ったものを10万円で店頭に並ばせば、あそこはぼったくりもいいところだと噂になる。だったら捨てるしか」
「……おぬし、それは一番やっちゃいけない選択じゃ」
老人の指摘に、速野の身体が傍から見ても分かるぐらいびくんと震えた。
「この本を必要とする人間がどこかにいるとする。今じゃないにしても、この本が存在する限り、いつかはこいつを手にする可能性はあり続けるじゃろう。が、その可能性が消える」
「…………」
「おぬしが価値を見誤ったせいでな」
次の日。
速野は店に姿を現さなかった。
次の日も、次の日も、また次の日も……。
結局、出屋敷が速野と再会を果たしたのは、約15年後のことだった。
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