第7話:速野の提案
「営業時間を短縮する?」
速野の提案に瑞穂と上笠は我が耳を疑った。
「はい。今の森泉店は朝10時から夜11時までの営業ですよね。これを昼の12時から夜の8時までに変更しようと思います」
「5時間も短縮するんですかっ!?」
確かに今回削られる時間帯はお客さんも少ない。売上も買取もさほど振るってないのが事実だ。
しかし。
「それはダメだ、速野君。そんなことしたら遅番の子たちの給料がぐんと下がってしまって、みんな辞めてしまうぞ」
イエローブック森泉店のシフトは基本的に早番が朝の9時半から夕方の6時、遅番が夕方の5時から夜の11時半までとなっていて、間に30分の休憩が入る。
つまり一日の労働時間は早番が8時間、遅番が6時間だ。
それが速野の新営業時間になれば早番は6時間、遅番はたったの3時間になってしまう。
労働時間が減れば当然それだけ収入も少なくなるわけで、しかも半分になるともなればこれはもう間接的に辞めてくださいと言っているようなものだ。決定どころか、提案をしただけで遅番のスタッフたちはへそを曲げてしまうだろう。
「あ、それは大丈夫です。みんなにはすでに了承を得ていますから」
「なんだって?」
「むしろみんな喜んでましたよ?」
「喜ぶってそんな……どういうことですか、速野さん?」
とても信じられない話に瑞穂が戸惑いながら尋ねると、速野は例の強欲な笑顔をにっと浮かべて言った。
「簡単なことです。これからは早番・遅番という区分をなくして、営業時間内でそれぞれが好きな時間だけ働いてもらうというシステムにするんですよ」
◇
遅番の
深夜のアニメ番組はほぼ全てをチェックし、漫画も主要な雑誌は勿論のこと、ウェブ漫画もしっかり追いかけている。
そんな皆草にとってイエローブック森泉店でのバイトは趣味と実益を兼ねたものであったが、不満がないわけでもない。
遅番に入っている彼はリアルタイムに見れないのだ、夜の10時や11時という比較的早い時間帯にやっているアニメを。
それらは勿論録画してあって、出来るだけ早く見るようにはしている。
が、どうしても遅れてしまう、ネット上での熱い感想バトルに。
さらには運が悪いと遭遇してしまう、ツイッターでの禍々しいネタバレツイートに。
これらを避ける為には遅番ではなく早番に移るべき、なのは重々承知している。
しかし、このバイトについて既に5年。体には長年の朝早くに寝て昼過ぎに起きるというリズムが染みついてしまっている。そう簡単に治せるものではない。
それでも昼の2時ぐらいからならなんとか出勤出来るだろう。
だからかつて店長の上笠から土日祝日だけでも昼の2時から出てくれないかと言われた時には、その早く出る時間の分だけ早退出来るのかと一瞬喜んだものだ。
しかし、それはダメだと言われた。早退したら夜の営業が回らなくなる、と。
だったら皆草にとって意味がない。
一応店長には新人のバイトが入って、ピークタイムを埋める中番というタイムシフトを組めるようになったらそこに自分が入りますよと言ってはいるが、一向に新人が入ってくる様子がないので諦めていたのだが。
「皆草さん、実は今度お店の営業時間を昼の12時から夜の8時までに変更できないかと考えているんですよ。それなら皆草さんのご希望にも応えられるかなと思うのですが、どうでしょう?」
切れ者と噂されていた新社員・速野が実はすごくアニメや漫画に詳しく、お互いの好きな作品の話をしているうちにすっかり仲良くなってしまい、ついついシフトに関する愚痴をこぼしたらいきなりそんな提案をされた。
その営業時間帯なら昼の2時から閉店作業のある夜の8時半まで働けば、今と労働時間は変わらない。
それでもいて夜の9時過ぎには家に帰れるから、見たいアニメもリアルタイムで鑑賞出来る。
皆草にとっては願ってもない条件だ。
これはなんとしても実現してもらわなきゃいけない。
皆草は率先して他の遅番の説得に回った。
結果、いきなり12時からは無理だけど、皆草と同じように昼の2時からならばなんとかということで皆の了承を得ることに成功したのだった。
◇
早番の
森泉店に来る前はゲームショップで働いていて、その経験を見込まれて本ではなくゲームやDVDなどのメディアを担当することになった。
それ自体は間違ってない。山田も納得している。
が、いくら人手不足と言えども、メディア全般を山田ひとりに任せきりなのは問題だった。
イエローブック森泉店はゲームやDVDなども取り扱ってはいるものの、メインはやはり書籍だ。
一冊一冊はゲームなんかと比べて安いものの、売れる数が圧倒的に違う。売上にしても全体の七割近くを書籍が担っている。
だから山田は分かっていた。自分の仕事を犠牲にしてでも、まずは買い取った本の清掃や、品出しを優先させるべきだと。
実践もしている。DVDの研磨をしていようとレジにお客さんが来たらすぐに向かい、ゲームソフトの品出しをしていても買取が入ったらすかさず手伝いに入った。
全てはお店のためだ。
それでも時々思ってしまうのは仕方のないことだろう。
他の人はみんなで本の加工(清掃などをして店頭に並べる状態にすること)や品出しを分担してやっているのに、どうして自分はひとりでメディアの加工と品出しをしなきゃいけないのだろう。
そしてそんな自分がどうして率先してレジや買取もしなくちゃいけないのだろう、と。
年末年始やお盆など買取が忙しい時期になると人知れず二時間ほど早く出勤し、営業時間内にとても出来る暇なんてないメディアの加工・品出し作業をひとりでおこなう山田。
それを誰も知らない。
代わりに黙々と仕事をしていただけなのに、いつの間にか無口で気難しい人という印象を持たれてしまった。
無口なのは無駄なおしゃべりなんてしている暇はないだけだと言うのに……。
気難しいように見えるのは「どうして俺だけがひとりで……」と不満を抱いているのが時々顔に出てしまうだけなのに……。
「山田さん、これは相談なんですけど、お店を昼の12時から夜の8時までにして、出来るだけスタッフの多い時間を増やそうと考えているんですけど、どうですかね?」
そんな折だった。新しく入ってきた社員の速野に突然意見を求められた。
それまで山田は速野ともほとんど話したことはなかった。
が、プロらしく商品を見る目を持っている速野に山田は好感を抱いていた。
さらには買い取ったゲームやDVDの高価商品を自ら清掃し、ネットオークションに出品してくれるのもとても助かっていた。
「営業時間の短縮ですか? でもそれだと売り上げが落ちてしまうのでは?」
「いえ、これまで実績が弱い時間帯を切って、代わりに人手不足で機会損失していたところに人を増やすわけですから、むしろ伸びると思いますよ。それに人手が増えれば山田さんも本来の仕事に専念できるじゃないですか」
「え?」
「メディアのお仕事ですよ。見ていて僕、思ったんです。いくらなんでも山田さんの仕事量が多すぎるって。お店の事情から考えたら仕方のないことかもしれませんが、これはなんとかしなきゃいけないなって。だから……って、ちょ、山田さん?」
目の前で速野がなんだか慌て始め、なんだろうと思いつつ何気なく自分の頬に手を当ててみて、ようやく山田は自分が涙を流していることに気付いた。
自分がどれだけの仕事を回され、大変なのか。言っても仕方がないことだし、言うつもりもなかった。だからみんなに分かってほしいとも思わなかった。全てを諦めて、ただ不満を抱えながら働くしかなかった。
それなのにまさか理解してくれる人が現れるとは……それがこんなにも嬉しいことだとは思ってもいなかった。
その日を境に山田は少しずつ変わっていった。
言うまでもないが、速野の提唱する新営業時間には諸手を挙げて賛成した。
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