第16話:目利きの幸三

 速野はかつて業界最王手のブックオン、しかもフラグシップ店である新宿本店の店長だった!

 それだけでも驚きなのに、当時の速野は仕事は出来るものの、バイトを大声で怒鳴り散らす嫌な奴だったという。

 しかし、とある老人が持ち込んだ古書の価値を見抜けず、思わぬ叱責を受けた速野はショックのあまり失踪してしまう。

 そして次に出屋敷が速野と出会うまで、ゆうに15年間ものの月日が流れていた。

 

「15年経ってからの再会って……そ、それでその間の速野さんに一体何があったんですか!?」

「おいおい、嬢ちゃん。それよりも先に気になることがあるやろ?」

「え?」

「速野が姿を消す原因を作った老人客のことだよ」

「あ」


 言われて初めて気付いた。確かにそれは気になる。


「な、な、何者なんですか?」


 慌てて尋ねる瑞穂。

 

「当ててみなよ、嬢ちゃん」

 

 出屋敷はニヤリと顔を歪ませた。

 

「えーと、普通に考えたらどこか古書店の店長さんでしょうか? 神保町あたりの」

「残念。外れや」

「んー、それじゃあ有名な古書コレクターさん、とか?」

「それも違う」

「えーと、あとは鑑定士、学者、美術館の館長さん、警察官……」

「警察?」

「ほら、持ち込んだ本が実は十年ほど前に起きた殺人事件の重要証拠品で、まもなく時効を迎えるその事件ヤマを解決すべく、定年間際の老刑事が最後の捜査に出向く、みたいな?」

「嬢ちゃん、それ、刑事ドラマの見過ぎや」


 呆れ顔で苦笑いする出屋敷に、瑞穂も「ですよねー」と照れ隠し気味に笑った。

 

「が、警察っていうのは当たりや。まぁ、もっとも元警察、やけどな」

「え、ってことはやっぱり何かの事件の!?」

「だから違うって。この爺さんはな、嬢ちゃんたちもよく知るって奴や」


 せどり……その言葉に瑞穂は一瞬、身体を強張らせた。

 が、そんな瑞穂の様子に気遣うこともなく、出屋敷は老人の正体を淡々と語っていく。

 

 老人の名前は烏丸幸三からすま・こうぞう

 元警察官であり、主に盗難品に関する事件を担当していた。

 昭和の警察官らしく捜査は足でする典型的なタイプで、盗難品を追っては全国各地を精力的に駆け巡って事件を解決するその姿から、署内では一度食らいついたら決して離さない「まむしの幸三」と呼ばれていたそうだ。

 

「もっとも引退後は別の二つ名で呼ばれてたそうだけどな」

「……引退後って、つまりせどりになってから、ってことですよね?」

「そうや。ところで嬢ちゃん、せどりってのはもともとはどういうもんやったか知ってるか?」

「え?」

「今でこそインターネットが人々の生活に行き渡り、嬢ちゃんが働くような店で安く仕入れたもんをネット通販で高く売るのが、せどりって呼ばれとるわな。でも、せどりはネットがない大昔から存在しとった。その頃はどうやっとったか、知っとるか?」


 瑞穂はしばし目をしぱしぱとさせた後、慌てて首を横に振った。

 そもそもせどりなんて存在自体、イエローブック森泉店で働くようになって初めて知ったものだ。

 安く買ってインターネットで高く売る商売なんだから、てっきりネットが出来てからずる賢い人間が始めたもんだとばかり思っていた。

 

「今のせどりの連中はネット価格を調べることが出来る値段チェッカーアプリを使っとるわな。そやから誰でも出来る。が、ネットがなかった昔はそうやない。価値があるのかないのか、価値があるとしてどれぐらいのものか、そんな膨大なデータが頭の中に入っとらんかったらせどりなんて出来へんかった。つまり相当に知識を必要とされる専門職やったわけやな」

「それ、めちゃくちゃ大変じゃないですか。でも、そこまで勉強してもやってることは転売、ですよね?」

「そやな。褒められたことやない。そやけど、中には古書店のオヤジや収集家たちが頼りにしているせどりもおった」

「どういうことですか?」

「せどりは膨大な書籍のデータを覚えとる。つまり記憶力がええわけや。さらに自分の店を持たず、日本各地を渡り歩いとる。だから覚えとる。北海道のなんとかいう店には〇〇という希少本があった、沖縄の店には××という珍書を見かけた、ってな」

「そうか。日本中のどこになんていう本があるか知っているわけですね」

「そう、そやからそれらを欲しいと思うとる連中との橋渡しをするせどりもおった。んでもって、幸三さんは刑事時代に捜査で各地を渡り歩いていたわけやが、盗難品の中には勿論それらの貴重な古書も含まれとる。古書店は勿論のこと、各地の収集家たちも捜査で訪ねては知らず知らずに独自のデータベースを作り上げとった。だから警察を退職後、そんな彼らに乞われてせどりになった幸三さんは、みんなから新たな二つ名を与えられたんや」


 その名も「目利きの幸三」ってな、と出屋敷はドヤ顔を決めた。

 

「目利き、ですか?」

「目利きって言うと、骨董品とかを想像するやろうけどな。そやけどありとあらゆる本の価値を正確に把握しとるんや、それもまた確かに目利きやろ」


 言われてみればそうかもしれない。

 それまでせどりと言えば、価格チェッカーで他のお客さんの迷惑も顧みずにせっせと転売活動に勤しむ人という認識を持っていた瑞穂だが、自分の知識だけで本の価値を推し量るのはせどりと言うよりも目利きという表現の方がしっくりとくる。

 

 さらには自分の利益の為だけではなく、本を欲しがっている人の為に自分の知識を生かすのもまた、瑞穂の知っているこれまでのせどりとはまるで違っていた。

 これまで瑞穂の知っているせどりが悪の姿なら、今、出屋敷から教わったせどりはまさに正義の姿だ。


「一言にせどりと言っても、世の中にはそんな人がいるんですね……」

「ワイも考えを改めなおしたわ。出来れば、生前にお会いしたかったな」

「てことはもう?」

「ああ。今の話は全部、先生から聞いたんや」


 そうなのか、惜しい人を亡くした……と嘆いたのも束の間、出屋敷が唐突にその尊称を出してきたので瑞穂は驚いてしまった。

 

「え、出屋敷さん、先生って?」

「速野先生に決まっとるやん」

「ええっ!? どういうことですか? どうしてここで速野さんが?」

「先生な、実はブックオンを辞めた後に幸三さんに弟子入りしていたんや」


 出屋敷が速野に再会したのは、今から5年ほど前のことだ。

 生活安全課防犯営業第二係に転属となった出屋敷の最初の仕事は、コピー品や盗難品捜査の協力者との面談であった。

 本来ならその協力者は警視庁OBの烏丸幸三。

 が、その幸三が数か月前に病で倒れ、後任者として初顔合わせとしてやってきたのが速野だったのだ。

 

「弟子入りしてかなり鍛えられたんやろうな。若かった頃と比べてかなり丸うなってたわ」


 と言っても体形の話とちゃうで、と出屋敷は自らのボケにガハハと独り言ちた。

 一方、瑞穂は先ほどから身体のずっと奥で何かがビリビリと蠢くような感覚に陥っていた。


 そうか。そうだったのか。


 瑞穂とて速野のことを完璧に信頼していたわけじゃない。

 凄い人だとは思うけれど、頭の片隅ではやはり元せどりという肩書が暗い影を落としていた。

 だから皆草たちを説得するのを躊躇ってしまった。だけど、本当は……。

 

「……そうだったんだ」

「ん? どうしたんや、嬢ちゃん?」

「速野さんってせどりはせどりでも、本当は目利きだったんですね」

「そやな。もっとも幸三さんは先生のことを『買取人』って呼んでたそうやで」

「買取人?」

、ってことらしい。そやから先生は嬢ちゃんちの店で働くことにしたんや」

「え?」

「先生はな、ずっとブックオンで店長をやっていた自分のやり方を反省しとった。もし次があるとしたら、その時は今度こそ正しいの道を進もうと思っとったんや」


 正しい商売人……言われて瑞穂は自分の知っている速野の姿を思い出す。


 商品の価値に見合った金額で買取をする速野。

 その結果、お客さんに信頼されてより良い商品が集まるようになった。


 お店を最大限効率的に回す為、営業時間の短縮を決めた速野。

 おかげで忙しい時でも通常通りにお店を回せるようになって、売り上げが伸びた。


 そして営業時間を短縮しても、朝番・遅番という区別を取り払うことでスタッフの労働時間を極端に減らしたりすることなく、その人に合った仕事を次々と任せていく速野。 

 時給が上がり、収入が増え、だけどそれ以上に仕事が楽しくなって、スタッフたちの士気は上がった。

 

 どれもこれも最初聞いた時は驚いたけれど、全てお店をあるべき姿へと導いてくれた。

 それは速野が過去のやり方を悔い、今度こそは正しい商売人になろうという確固たる意志の賜物……。

 

 だとしたらお盆に店を休ませる意図は?

 店長の上笠と衝突しておきながら、上笠が戻るまでお店の方針を変えない理由は?

 

 ……分からない。

 分からないけれど、きっとそこには何か速野の意図が――。

 

「ま、それでも現場がそれだけ混乱しとるんや。今は先生を信じろって言っても難しいかもしれん。だったら、代わりにワシを信じたらええよ」

「……はい? どうして刑事さんを信じるんですか?」

「だって先生を嬢ちゃんちの社長さんに紹介したの、ワシやもん」

「ええっ!?」

「社長さんとは古物の講習会で仲良うなってな。そこでどうにもお店が上手く行ってないって相談を受けたんや。で、先生が現場に戻りたがっとるのを知っとったから、こんなんおりますけどどうです、って」

「いや、どうですって、そんな捨て猫を貰ってもらうような感じで紹介って」


 一体どうなんだろ? と瑞穂が呆れるのをよそに、出屋敷は「感謝の印としてプリンアラモードもう一杯奢ってもらってもええで?」と言いながら、返事も聞かずに大声で店員を呼んだ。

 瑞穂はいろいろな意味で開いた口が塞がらなかった。

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