第19話:日頃の売り上げをあげるために
「ハ、ハワイに行ってたぁぁぁぁぁぁ!?」
その日の夜。
買取地獄だった年内最終日をなんとか終え、誰もがくたくたに疲れ切っている。
それでも四ヵ月ぶりに戻ってきた店長の身の上話を聞こうとスタッフルームに集まったみんなは、上笠の第一声に思わず声を上げた。
「そう、ワイハ~」
驚くスタッフたちを前にして、上笠が両手を親指と小指だけを立てるシャカと呼ばれるハンドポーズで応えた。
「なんでそんなところに?」
「実はハワイに社長の別荘があってさぁ。そこの管理人も兼ねて四ヵ月過ごしてたんだ」
聞けばビーチまで車で10分もかからない好立地。
そこで上笠は四カ月もの間、別荘の管理という仕事をしながら毎日サーフィンをして過ごしていたと言う。
「まぁ別荘の管理と言っても毎日一時間ほどで仕事が終わるんだけどな」
「マジッすか! じゃあ遊び放題じゃないですか!」
「いやー、やっぱハワイはいいわ! 海は綺麗だし、波も日本と全然違って大きいし、何よりも時がゆっくり流れてる。ありゃあ天国だね。みんなも一度行ってみるといいよ」
ガハハと豪快に笑う上笠に、瑞穂たちは戸惑いを隠しきれない。
本当にこれがあの上笠だろうか? てか解雇されたとか、鬱病になったとか、瑞穂への恋に破れたとかという話は一体どこに行った!?
「えっと、同じ質問を繰り返すようでなんですけど、どうしてハワイに行ってたんですか? 別荘の管理って言っても簡単そうだし、そんなの現地の人に任せておけばいいじゃないですか?」
呆気に取られながらも瑞穂が質問する。
「リフレッシュですよ」
その質問に答えたのは速野だった。
「上笠店長は本来もっとやる気があってアクティブな方です。が、長年の勤務で身も心も疲れ切っていた。だから一度思い切ったリフレッシュが必要だと思い、社長が持つハワイの別荘に行ってもらってたんです」
「え?」
「サービス業とか小売業とか飲食業とかってなかなか休みが取れないじゃないですか。だからどれだけ元気で優秀な人でも、何年も働き続けていたら、どうしても疲れが身体の芯に残っちゃうんです。疲れはやる気とか新しいアイデアとかいろんなものを奪います。だからそれをなんとかして取り除いてやらないといけない」
その為、速野はあのお盆営業後に行ったファミレスで、上笠へ長期の休暇を進言した。
勿論、その時には既に社長の許可は取ってあった。
「最初は俺も驚いたよ。いきなりハワイで休めって言うんだもん、この人。また何を言い出すのかと思ったもんさ」
上笠がぽりぽりと日焼けした鼻の頭を掻きながら、あの日の事を振り返る。
「だけどな、話を聞いているうちにこの人マジでそこまで俺のことを考えていてくれたのかって感動した。だって自分が休むんじゃなくて、他人の休みの為に社長を説得してくれたんだ。その間、お店は自分が責任を持つって。当時、やることなすこと気にいらなくて敵対していた俺の為に、そこまでやってくれるなんて思ってなくて俺……」
「あ、だからあんな大泣きしてたんスね」
「そう、いい歳してファミレスであんなにぼろぼろと……って守北、どうしてそれ知ってんのッ?」
「あ、やべ」
「まぁまぁ守北さんのことはいいじゃないですか。でも良かったです、店長。戻ってこられて」
守北がらしいポロリミスをしたので、すかさず瑞穂はフォローに入った。
ここで話を脱線させたくなかったからだ。
「ありがとう、瑞穂ちゃん。それにみんなもありがとな。俺がいない間、ずっとお店を守ってくれて」
上笠がみんなと改めて向き合って深々と頭を下げた。
「俺たちは別になにもしてないッスよ」
「そうそう。速野さんに言われるまま仕事をしてただけです」
守北が早くもさっきのミスを忘れて照れ笑いを浮かべ、山田もそんなお礼を言われるほどでもないと謙遜する。
「…………」
ただ皆草だけは何も言わず、ばつが悪そうに顔を背けていた。
「てか速野さん、何で事情を説明してくれなかったんですか? 店長には長期休暇が必要で、だからハワイで休んでいるとちゃんと説明してくれたらよかったじゃないですか?」
「あれ、しませんでしたっけ?」
「してませんよ。ただ休みを取られますとしか言ってなかったです」
「いや、それだけで十分かなと思いまして」
そんなわけあるか。いつだって速野は言葉が足りないと瑞穂はぷくっと頬を膨らませる。
が、すぐに
「でも、ホント、戻ってきてくれて良かったです。今日も店長がいなかったらどうなったことか」
数時間前のことを思い出し、助かったぁと表情を緩ませた。
「ああ、あれ凄かったッスよね。30箱のダンボール分の本をまとめ買いで対応するとか、マジ神ッス」
あの後、熊みたいな客の後を追いかけていった上笠は、十分もしないうちにお店へと戻ってきた。
傍らには何やら上機嫌な熊男も一緒。
そして一体どうしたのだろうと買取で忙しいのも忘れてぽかんとする瑞穂たちに「ひと箱千円。まとめて合計3万円で手を打ったから。レジお願いね」と言ってのけたのだ。
かつて速野が出張買取で見せた、個々の査定を省いたまとめ買い戦法。
瑞穂があともうちょっとで思い出しそうになったのも、実はこのやり方だった。
「ああいうお客さんは値段ではなく処分目当てで持って来られてるからね。だったら時間をかけず、相手が納得出来る値段を提示して終わらせてしまった方がお互いの為なんだよ」
「お客さんも喜んでましたしね」
「うん、予想していたよりも商品の質が良くて助かった。大抵の場合、あれだけの量の持ち込みとなるとほとんどがシミが出来ていて買取出来ないんだけど、今回はパッと見た感じだとどの箱のも状態が良かった。まぁ古いものが多そうだから、ひと箱千円は妥当なところだと思うけどね」
まぁ詳しい査定金額は年が明けて落ち着いてからのお楽しみということでと、上笠は悪戯っ子っぽい表情を浮かべる。
「だけど30箱をひとりで裏の倉庫に運ぶのは大変だったでしょう。本来ならそういうのはアルバイトである自分たちの仕事なのに」
申し訳なさそうに山田が上笠の行動を労う。
「いや、それがなんか身体が軽くて軽くて。まるで若い頃に戻ったみたいなんだ」
「そうなんですか?」
「まさに体力・気力、ともに充実って奴だよ。改めて休むことの重要性を認識した」
上笠が真っ黒に日焼けした頭を何度も上下させてしみじみと頷く。
正直なところ、まだ十代の瑞穂には、疲労云々というのはよく分からない。
例えば今日みたいな日は、身体はもちろんのこと、頭も何も考えたくないぐらい疲れている。
だけど一晩眠って次の日になれば、身体はしっかり回復し、気力だってコップになみなみと注がれた水のように満ち溢れている。
他のアルバイトスタッフたちはみんな瑞穂よりも年上だけれど、それでもやっぱり疲労の回復具合は自分とそう変わらないだろう。
だとしたら。
「あ、あの……速野さんがお盆や年末年始にみんなを休ませるのって、そういう理由なんですか?」
「はい?」
「だから、みんなの体力や気力を回復させる為に、わざわざお店を閉めてるのかな、って」
突然の質問で困惑気味な速野に、瑞穂はやや言葉に棘を持った言い方で再度問いかける。
一応、休店の名目は皆草たちがコミケに行きたいと休みを希望し、それに応えた形だ。だけど本当の狙いはみんなの疲労の回復で、だとしたらそれはあまり若いスタッフには意味がないような……。
「ああ。そう言うことですか。まぁ、そういう目的もありますが、一番の理由はそれがお店にとって大切だからですよ」
「大切ってお盆や年末年始の稼ぎ時に店を閉めることがですかっ!?」
「ええ。そもそも今の時代、稼ぎ時なんてものに頼っていてはいけないんです」
「それはどういう意味ですか?」
「下手に稼ぎ時なんてものがあるから、日頃の売り上げが良くなくてもそこで挽回できるって思っちゃうんです。今、大切なのはその逆。日頃の売り上げが良ければ、稼ぎ時なんてものに頼らなくていいと考えることが重要なんです」
日頃の売り上げが良ければ、と速野は簡単に言うけれども実際はそれが難しい。
特にお盆など世間が長期休暇を取っている時は、お店側もここぞとばかりにセールを開催してお客さんを呼び込もうとする。
その結果、その数日間だけで月の3分の1以上の売り上げを確保することも少なくない。
これを日頃の売り上げで補完しようというのだから、かなり大変だ。
「では稼ぎ時の売り上げをどうやったら日頃の営業で賄うことが出来るのか? はい、守北君、何かアイデアはありますか?」
「えっ、俺ッスか!? えーと、そうッスねぇ……あ、そだ、毎週の日曜日にセールをしたらいいんじゃないッスか?」
「ちょっと、そんなことしたら平日の売り上げがガタ落ちしちゃいますよ」
守北のアイデアにすかさず瑞穂はダメ出しする。が。
「いえいえ、稼ぎ時にセールをしない以上、やはりどこかでセールは必要です。特に日曜日と指定してきたのはさすがですね。やはりセールは休日にやらないと意味がありません」
意外にも速野の評価は良く、どんなもんよとばかりに守北は瑞穂にドヤ顔を決めた。
「やっぱり日頃から良い買取をして、接客の質を高めることが重要かなと思います」
そこへ山田がわざわざ挙手して答える。
いかにも真面目な山田らしい模範解答。それだけに物足りなさを感じた瑞穂は口を開こうとする。
「さすがは山田さん。まさにその通りです。良いものを集め、良い接客を日頃からしていれば、お客さんはおのずとやってきてくれます」
しかし、瑞穂が何か言うよりも早く、速野が山田を褒めたたえた。
なんだろうか、どこか会話の間に速野の意図を感じる。
瑞穂はあえて口を挟まず、速野たちの会話を見守ることにした。
「でもさぁ、ぶっちゃけそれだけではなかなか売り上げは伸びないよね。何かしら画期的なアイデアがないと」
「そうなんですよ、店長! 基本は良い買取、良い接客なのですが、さらにお客さんを飽きさせないアイデアがあれば鬼に金棒です」
「それならいいアイデアがあるッス! お客さんのオススメ大募集ってのはどうッスか? 店頭に記入用紙と投稿箱を用意して、お客さんにオススメの小説や漫画、ゲームなんかを書いてもらうんス。で、投稿されたものは店内に張り出すんスよ」
「いいですねぇ! 記入用紙に作品の紹介文とは別にお客様のお名前と住所を書いてもらえれば、毎月投稿された方から抽選で何名様に当店の割引券が貰えるとかにすれば、結構集まるかもしれませんよ」
「ほぉ山田のくせにやるなぁ。だったら速野さん、こんなのはどうかな。その名もズバリ『高価買取中の人気漫画、一巻だけ立ち読みオッケーキャンペーン!』」
「さすがです、店長。高価買取している漫画はどれも立ち読み出来ないようシュリンクしていますが、一巻だけ読んでもらって内容に興味を持ってもらうってのはアリですよ!」
「えっと、それなら僕からもひとつ。実は前からゲームだけセールの対象外なのが気になってたんです。本全品30%オフ、CD・DVD20%オフってのはあっても、ゲームだけはセールの対象になりませんよね。いや、理由は分かってます。最新ゲームソフトはかなり粗利が低い高価買取をしていますので、ゲーム全品何パーセントオフってやるとわざわざ高いお金を支払って集めたゲームソフトを下手したら赤字で売ることになってしまうんです」
「そうですね。ゲームソフトはそれが理由でセールが出来ません」
「ですが、二本同時購入で500円引きというセール内容でしたら、どうでしょうか? 500円引きと謳ってますが、二本同時購入なので実際は一本あたり250円引きです。これなら高額で買い取ったゲームソフトでも割引額としては無理がないと思います。あ、もちろん、対象は500円以上のゲームソフトとなります」
「素晴らしい! それ、2月に一度やってみましょう!」
それを皮切りに誰もが我も我もと次々にアイデアを出し始めた。
皆草だけが相変わらず沈黙を守っているが、他のみんなは買取地獄であれだけ疲れ切っていたのがウソみたいに元気ハツラツだ。
それもこれも速野が相手の言葉を一切否定しないからだと、瑞穂は傍から見ていて気が付いた。
いわゆるブレストって奴なんだろう。参加者から様々なアイデアを出すのを目的にしていて、その時に否定をしてはいけないと聞いたことがある。
でも、それだけでこんなにもみんなが積極的に意見を出し合うものだろうか?
速野の会話術も見事だけれど、それとは別の何かが今の状況を作り出しているような気がする……。
「みなさん、ありがとうございます。これだけ色んなアイデアを形にしていけば、きっとお店はもっと良くなります。そして来年はお盆や年末年始は勿論のこと、GWも何日かはお店を休みにしてもいいぐらいになるかもしれません」
速野の言葉に、わぁと歓声が上がる。
「その為にもまずは皆さん、この年末年始を楽しく過ごしてください。そして来年、また元気な姿で楽しく仕事をする皆さんの姿を見ることが出来れば、この年末年始に店を閉めた価値があったことになります。体力の回復、気力の充実だけではなく、皆さんが快適に休みを取れ、楽しく仕事が出来ることこそが、お店にとって一番大切なのですから」
12月の夜の寒さが、お店の熱を奪っていく。
まずは昼間、あれだけ騒がしかった店内を。そして
「今年一年お疲れ様っした。来年もよろしくッス」
「お疲れさまでした。よいお年を」
「……お疲れさま」
先ほどまで各々のアイデアを語り合って盛り上がったスタッフルームも、ひとり、またひとりと家路へつくにつれて気温が下がっていくのを感じる。
ただ、それでも瑞穂は身体が何やらぽかぽかするような気持ちに浸っていた。
おそらく他のスタッフも多くは、多分自分と同じなんだろう。それは皆がスタッフルームを出ていく表情からも見て取れる。
瑞穂はポニーテールに縛っていたリボンを解いた。
縛られていた髪が自由になり、毛先が肩や背中を擽る。それを心地よく感じながら、ふと鏡へ視線をやった。
そう言えば四ヵ月前、あの時もこうして髪を降ろした時に事件が起きたんだっけ。
あれから色々と大変だったけれど、最後にはこうして大団円を迎えることが出来て本当に良かった。
(やっぱり速野さんって凄い人だ)
まさか店長のやる気のなさが長年の仕事で蓄積した疲労のせいだと見抜き、長期休暇をさせていただなんて。
辞めたとか、鬱病だとか、はたまた自分を巡った色恋沙汰の果てだとか考えたけれど、まさかそんなことだったなんて思ってもいなかった。
これで店長も元気いっぱい働く、昔のような店長に戻ってくれるだろう。
そしてスタッフたちもみんな、速野のあんな言葉を聞いてやる気を出さないわけがない。
果たしてどれだけ頑張れば大型連休に店を閉める分を補えるかは分からないけれど、きっと自分たちなら出来るはずだ。
(あー、来年が今から楽しみだなぁ)
鏡の中で自分の顔がこれ以上ないほどニヤけている。我ながら変な顔だ。あまり人に見せられたものじゃない。
と、そこへ鏡に自分の背後を通り抜ける上笠の姿が映ったのでドキっとした。
今の顔、見られてないよねと恐る恐る上笠の後を目で追うと、そこには速野がいて。
「さて、速野さん。あんた、また例によってまだ何か隠してますよね?」
上笠が不敵な笑みを浮かべながら、速野にそう問いかけたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます