第4話:偽物をあげろ!
瑞穂たちがイエローブック森泉店に戻ってきたのは、店長の上笠から電話を受けてちょうど10分後のことだった。
郊外店ならではの広い駐車場は平日の昼間ながら8割ほど埋まっている。
その中に一台、大きなトラックが停まっていた。プレートナンバーを見れば、どうやらレンタカーのようだ。
が、そんなことはともかく、瑞穂たちは出張買取のライトバンを片隅に停めると、買い取った商品の荷下ろしも後回しにして、急いで店へと駆け込んだ。
「おい! 一体いつまで待たせるんだよっ!」
そんな瑞穂たちの耳に飛び込んできたのは、いきなりの怒声だった。
と言っても、ふたりに浴びせられたわけではない。
声の主は買取カウンターにいる、20代半ばと思われる男性。申し訳なさそうに禿げ頭を下げる店長の笠原を、もうひとりの若い男と一緒に睨みつけている。
「す、すみません。なにぶん高価な商品なので、もう少ししっかり状態査定をさせていただき」
「だから、もう十分に査定しただろうがっ! こっちは急いでるって言ってんだろうが! もたもたするんじゃねーよ!」
お店の隅から隅まで行き届くほどの大声で男は怒鳴った。
店内には当然、他のお客様もたくさんいる。が、誰もが触らぬ神に祟りなしとばかりに無視するか、あるいは遠巻きに見守るだけだ。
今日は上笠店長、速野、瑞穂の他にももう一人、守北という二十代前半の男性アルバイトも朝番に入っているが、こちらもまた「トラブル対処は店長にお任せ」とばかりに距離を取っている。
確かにトラブルを上手く処理するのは店長の仕事だ。
とはいえ、相手が相当エキサイトしているうえに、ふたりなのに対してこちらがひとりではあまりにも分が悪い。ここは助力が必要だろう。
瑞穂は決して気が強い方ではない。が、店を守りたいという気持ちだけは店長の上笠にも負けないぐらいにある。気を引き締めて買取カウンターへと一歩踏み出した。
「すみません店長、遅くなりまして。ただいま戻りましたァ」
そこへ瑞穂の脇をすっと通り抜けた速野が、場に似つかわしくない明るい口調で声をかけた。
「速野君!」
「いやー、すごいお宝ばかりのお家でして。なんと買取総額50万円ですよ! おっ、そう言っている傍からこっちにも何やらお宝っぽいものが!」
ようやく現れた待ち人に縋るような目で見つめてくる上笠をよそに、速野は買取カウンターに置かれたCDの山から一枚を手にして目を輝かせる。
「なんだよ、ようやく話の分かる奴が来たのか。そうだよ、こっちもレアもののお宝だ。状態もいいんだから、俺たちのもまとめて50万円で買ってくれよ」
いきなり場の雰囲気を無視して割り込んできた速野に最初は「なんだてめぇは?」と顔を顰めていた男も、50万円という値段を聞いて厭らしそうに眼を細めて話しかけた。
「いやぁ、さすがに50万円は無理ですよー。でも、そうですね、まとめて15万――」
「15万? ふざけんじゃねーよ。どう低く見積もってもその倍はするだろうが!」
「え、アニキ、でもこれ、他の店なら10万ぐらい」
「お前は黙ってろ!!」
どうやら男は値を釣り上げる為にふっかけたらしい。が、素直すぎる若い連れのおかげで、その目論見はあっさりと瓦解した。
「ちっ。しゃーねーなー。じゃあさっき言ってた15万で売ってやるよ。こっちも忙しいんだ。これ以上待たせるんじゃねーよ」
それでも速野が言った値段を利用して、話を強引に纏めようと試みてくる。
「あー、いや、それなんですけどね。さっきお客さんが途中で割り込んできたので最後まで言えなかったんですけど、続きがあるんですよ」
「はぁ? 続きなんて関係あるかよ。15万と言ったら15万――」
「ただし、ホンモノだったら、ね。残念ですけど、これら全部偽物です」
速野の言葉に一瞬何を言われたのか分からないという表情を男はみせた。
が、すぐに烈火の如く顔を赤らめると、わなわなと身体を震わせ、これまで以上の怒声を張り上げる。
「ナメてんのかぁ、てめぇ!!!」
店長の上笠がひっと引き攣った声を上げた。
瑞穂は店全体が揺れたような錯覚を覚えた。
これまで知らんぷりを決めていた守北でさえ、さすがにこれには驚いて視線を買取カウンターへと向ける。
「いえ、全然。僕はちゃんと査定しただけです」
そんな中、ただひとり速野だけは平然と、何事もなかったかのように男と向き合って言い切った。
「ふざけんなっ!!! これらのどこが偽物って言うんだよ!!」
「んー、例えばコレ、ジャケットの裏面に不自然な空白がありますよね? ホンモノならここにメーカーのロゴが入っているんですよ」
「…………」
黙って睨みつける男に、速野は「ちなみにホンモノならこれ一枚だけで10000円はします」と付け加えた。
「続いてこちらはちゃんとメーカー名が書かれていますが、よく見てください。本来なら『エンタテインメント』とあるべきところが『エソタテイソメソト』になってますよね。これは海外からの海賊版によく見られる誤字です」
「あ、ホントだ……」
横から覗き込んだ店長がぽつりと呟いた。
さらにこれはロゴが違う、本来あるべき商標がない、ジャケットの印刷がホンモノと比べて粗いなど速野は次々と指摘する。
その名口調に気が付けばそれまで遠巻きに見守っていた瑞穂や守北、さらには他のお客さんたちもいつの間にか買取カウンターへと集まって、速野の講評を見入っていた。
「お次はなかなか手の込んだ、というか、全力で騙そうとしている一品。はい、こちらの商品、見たところは何の問題もありませんね。ちゃんとロゴも入っているし、表記類にもおかしなところはない。バーコードを通してもほら、ちゃんと入ります」
速野がバーコードを読み取ると、タブレットに買取金額20000円と表記されて周囲から「おおー」と声が上がる。
「でも、バーコードの下の数字を打ち込んでみると……あれれ、登録なしと出てしまいますね」
「あ、ホントだ」
「これ、実はバーコードは正しくても、下の数字を変えているタイプの偽物なんです」
「ええっ!? そんなの見抜けないですよっ!?」
憤る瑞穂に「だから高価な商品はバーコードを読み込んだ後にもう一度、今度はその下の数字を打ち込んでみてください」と速野はアドバイスすると、
「そういうわけでこれらは残念ながら全て偽物です。でも手が大層凝ってらっしゃる。大切にお持ち帰りください」
これらを持ち込んだ男性と連れの若い男に向かってにこやかに微笑んだ。
まるで某鑑定団の名物審査員のような口調に、周りがどっと笑う。
そんな様子に連れの若い男が苦々しく顔を顰めた。
が、しかし。
「……だったらよ、これはどうなんだ?」
「はい? どうかしましたか?」
「どうかしましたか、だと!? これはどうなんだって聞いてんだよっ!!!」
すっかり笑いものにされてしまった男性が、わなわなと振るえる指でとあるCDを指差しながら吠えた。
「てめぇ、これだけは避けるようにして説明しなかったよな!? てことは知ってやがるんだ、こいつがホンモノなら、この中で一番値が張るってことをよっ!!!」
「そうですね、ホンモノなら30000円で買い取らせていただきます」
「だよなぁ。だけどお前はこいつを説明しないどころか、査定すらしなかった。それで偽物と断定するのはどういうことだ、ええっ!?」
言われて瑞穂は慌てて記憶を探った。
店に帰って速野が買取に持ち込まれたCDを査定する。ケースを見たり、中のCDを見たり、一枚につき10秒前後で判断していった。
ただ、そのCDだけは指摘されたように手付かずだったように思う。
もしそれが速野にも真偽の判断が難しいと避けた上での行動なら、これは一転して大ピンチだ。
「んー、まいりましたね。ここでお帰り願えたら助かったのですが」
「はっ! 本音が出たな。やっぱりこいつはお前でもホンモノかニセモノか分からないってわけだなっ!」
「そうですね。では、これを見てもらいましょうか」
そう言って速野はポケットからスマホを取り出すと、しばらく操作した後にカウンターへと置いた。
「この画面に映っているのは
速野はCDのケースを開けると、これも同じくカウンターへと置く。
一斉に周りのやじ馬たちが見比べようとカウンターへ群がる中、瑞穂は件の買取を持ち込んだ男性の顔色を窺っていた。
どことなく緊張気味、のように思えたが。
「えー、どこか違うところがあるか、これ?」
「私には同じに見えるわねぇ」
「てことはこれもホンモノってこと?」
と群がったお客さんたちの声が聞こえてくるにつれて、表情から硬さが取れてニヤニヤと笑いだしてくる。
それがなんとも気持ち悪くて、瑞穂は目を逸らし、代わりにカウンターに置かれたスマホとCDに目を向けた。
そして。
「あれ? これもしかして周りの星の数が違ってたりしません?」
一瞬だった。一瞬見ただけで、瑞穂はその違和感に気付いた。
CDの盤面には星のマークが円周を飾っている。が、どうにもその傾き、一つ一つの間の空間が微妙に違うように思えたのだ。
「あ、ホンマや! よくよく数えてみたらこっちは18で、こっちは17や!」
「嬢ちゃん、よく分かったなぁ。さすがは店員さんだ!」
「そんな、たまたま偶然で」
「いやいや偶然でもこれに一瞬で気付いたのは大したものですよ」
周りのお客さんだけでなく、速野まで目を丸くしつつ褒めてくれたのが、瑞穂にはなんとも照れ臭かった。
「てことはやっぱりこれも偽物――」
「うるせぇぞ、てめぇら!」
照れ隠しで話を早く結論に持っていこうと発した瑞穂の言葉を、しかし、男性の怒号がかき消した。
「そんなもんでこれが偽物の証拠になるかいっ! オークションに出されている方が偽物かもしれんやろうがっ!」
「それはないですね。なんたってこのお店は業界でも一番信頼されて」
「うっせぇぞ。黙りやがれ、クソジジイ!」
「え? クソジジイ?」
人間、思わぬ一言で固まってしまうことがあるが、瑞穂はこの時の速野ほど一瞬にして凍り付いた人間を見たことがない。
男の一言でまるで彫像のようになってしまい、耳を澄ませば時折「ジジイ?」とうわごとのように呟いている。
そんな深いショックを受けて呆然とする速野をいくら威嚇したところで埒が明かないと見たのか、男は「お前らはどう思うんだ、こら」とばかりに群がっていたお客さんたちをジロリと見回した。
その迫力にそれまでざわついていたお客さんたちも一斉に黙り込んでしまう。
一瞬、広い店内が開店前のように静まり返った。
「はっはっは、威勢のいい兄ちゃんやないかー」
その静寂を破ったのは、いつの間にいたのだろうか、買取に持ち込んだ男の後ろでにこにこと笑顔を浮かべて立っている、やたらとがっしりした体つきの四十代後半の男性だった。
「なんだてめぇは!? 怪我したくなければ、部外者は引っ込んでろよ!」
「部外者じゃねぇんだよ」
突然、声のトーンが変わった。
いや、それだけじゃない。さっきまでの笑顔が一転して、仁王像の如く怒りの表情に変わる。
「ひっ」と連れの若い男が小さく悲鳴をあげた。
「てめぇ、さっきオークションの方が偽物やって叫んどったなぁ」
「そ、それがどうしたよ? あんたには……関係ないだろ?」
「関係大ありよ。あそこのご主人にはな、俺たちも捜査で色々と手助けしてもらってんだわ。それを偽物呼ばわりするってことはよ、兄ちゃん、それはすなわち俺たち警視庁を侮辱していることと変わらねぇんだよ」
そう言いながら胸ポケットから取り出された警察手帳を見て、男性の顔色が一瞬にして青ざめた。
「い、いや、すみません。そんなつもりはなかったんです。警察を侮辱するつもりなんかこれっぽっちも」
「なんだ、そうなの?」
「あ、ああっ! 勿論!」
「そうかぁ。それはこちらの早とちりやった。ビビらせちまって、悪かったな、兄ちゃん。でもよ」
声の調子が柔らかいものへと変わり、男性がホッとしたのも束の間、警察を名乗る男はカウンターに置かれた海賊版CDの一枚を手に取り、「これは見過ごすわけにはいかへんなぁ」とニヤリ顔を歪ませた。
「ち、違う! それは俺たちも知らなくて」
「ほう。でもさっき、これはこの中でも一番高いとかぬかしとったやんけ」
「それはたまたま手に入ったものをネットで調べて知っただけで」
「なるほどなァ。ところでもう一人の兄ちゃんよ、ちょっとカギ出せや」
いきなり話がわけの分からないところに飛んで、傍でやり取りを見ていた瑞穂は困惑した。
いや、瑞穂だけじゃない。店長の上笠も、周りのお客さんたちも一緒だ。
ただふたり、買取に持ち込んだ男たちだけはその言葉の意味を理解して、ますます顔を青ざめた。
「カ、カギってなんのことッスか、おまわりさん」
「決まってんだろ。お前らが乗ってきたトラックのカギや」
「そ、そんなの知らな」
「いいから出せって言ってんだろうがっ!!!!!」
ほんの数分前、店を震わせた中年男の怒鳴り声をすらも遥かに凌駕する声量で吠えられては、もはや抵抗することなど出来るはずもなかった。
差し出されたカギを、男は制服を来た警官に手渡す。
そしてきっかり一分後、一度外に出た警官が戻ってきて、トラックの中に今回持ち込まれたものと全く同じCDが大量に積まれていることを報告した。
「まぁ、詳しい話は署で聞かせてもらおうか。おい、連れてけ」
複数の制服警官に二人組が連行されていく。
もはやその姿に先ほどまで怒鳴っていた様子は重ならない。これからどうなってしまうんだと早くも不安で憔悴しきった表情を浮かべて、連れていかれた。
「はぁ、やだやだ。最近の日本人と来たらホンマ根性が無ぇ。外人なら必死で逃げようとしたり、襲い掛かったりしてくるのによ」
「いや、あの、お店で暴れられたら困るんですけど」
「そうは言ってもや、嬢ちゃん。こっちはこの歳になっても毎日トレーニングして、身体を万全に仕上げてるんやで。なのに肝心の相手がこのざまじゃあ、その甲斐もないってもんだ。それにあんたも一生に一度は犯人に拳銃を頭に突き付けられて、人質になってみたいやろ?」
「なってみたくありませんよ!」
「そうかぁ? だが、俺は言ってみたい。『来いよ、ベネット。そんなもの捨てて男らしく殴りかかってこい』って。なぁ、先生、あんたも男ならそう思うやろ? って、あれ、先生? どうしたよ?」
戸惑う警察男性の姿に、瑞穂も隣に立つ速野へと目を移す。
「ジジイ? まだ40にもなってないのに、この僕がクソジジイ?」
速野はいまだショックで固まっていた。
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