第7話 眠りの夜と目覚めの朝

「今日、一緒に寝てもいい……?」


 夜、いよいよ寝ようと思ったその矢先。

 真央まおが寝ぼけた表情をしながら、寝ぼけたことを言い出した。


 年頃の妹と一緒の布団で寝られるわけがないので、俺はきっぱりと返事をする。


「ダメだ」

「ええー……なんで……? 病人のお兄ちゃんが心配だから、こうして来てあげたのに……」


 真央は眠気混じり目で、潤んだ瞳で訴えかける。

 俺はそれにドキッとするとともに、一度下した決意が揺らいでしまった。


 真央を悲しませることは、俺の本意ではない。


「分かったよ。今日だけだぞ」

「うん……ありがと……」


 灯りを消した後、俺と真央は同じ布団に入る。

 彼女からは薔薇のような香りがかすかに漂っていた。


「こうして寝るの、久しぶりだね……」

「ああ、そうだな。君が小学生の頃は、よく『怖いよぅ……』って言って俺に泣きついてきたな」

「もう……お兄ちゃんのいじわる……えへへ」


 真央はそう言って、俺の右手を優しく握ってきた。

 すべすべした感触と体温を感じる。


 だが、こんなに仲のいい兄妹がいて良いのか、俺には分からない。


 聞くところによれば、兄は「お兄ちゃん」とか名前で呼ばれることはないらしい。

 「なあ」とか「ねえ」とか「おい」などと呼びかけられるというのだ。

 最悪、一言も口を利かずに事実上の絶縁状態になるとも聞く。


 そう考えてみると、俺と真央との距離感はかなり近い。

 いや、近すぎる。

 だが嫌われていないのであれば問題ない。


「真央の反抗期は、いつ来るんだろうな」

「すー……すー……」


 寝るの早いな!

 規則的に発せられる真央の寝息を聞いていると、なんだか俺までもが眠くなってきた。



◇ ◇ ◇



「う……」


 目を開けると、ほんのわずかに明るかったが、いつもの朝よりは暗かった。

 どうやら俺は、いつもより早く目を覚ましてしまったらしい。


 とりあえず、現在時刻を確認するためにスマホを取ろうとする。

 が、すぐに異変を感じた。


「すー……すー……」


 俺の体は、隣で寝ている真央によってガッチリと固定されている。

 抱き枕にされてしまっているのだ。

 彼女の小さな胸が押し当てられているのを、感じてしまうほどに──


 薔薇のような甘い香りがするし、柔らかくて温かくて気持ちいい。

 だから、このままでいたいという誘惑に負けそうになるが──


 とりあえず俺は真央を起こさないように、優しくほどく。

 その後、ようやく自由になった俺はスマホを見る。


「5時半か……」


 かなり早い時間に目が覚めてしまったようだが、もうすっかり眠気が覚めている。

 真央に抱かれていることに気づいた時、ドキドキしてしまったせいだ。


 もう身体のだるさも頭痛も治まっている。

 とりあえず俺は、朝の準備を済ませることにした。



◇ ◇ ◇



 午前7時半頃の駅のプラットホーム。

 そこは今、朝の通勤ラッシュで人がいっぱいだ。

 スーツ姿のサラリーマンと、制服姿の学生が目につく。


 俺はそこで、英理香えりかが来るのを待っている。

 待ち合わせの時間には、まだまだ時間はある。


弓弦ゆづる!」


 ふと、少女の声が聞こえてきた。

 するとそこには、慌てた様子で駆け寄る英理香の姿があった。


「英理香、おはよう」

「おはようございます! 遅れてしまってすみません!」

「いや、時間通り──どころかまだ10分前だからね。大丈夫だ」

「すみません……ところで、体調はもう大丈夫なのですか?」

「ああ、問題ない」

「それはよかったです」


 俺と英理香は行列に並び、電車の到着を待つ。

 そしてしばらくすると、車両が到着した。


 多くの人が電車から降り、多くの人が電車に乗り込む。

 この路線は都市圏方面で、なおかつ今は朝の通勤ラッシュなので、それなりに人は多い。

 まさに今、俺たちは満員電車に乗り込むのだ。


 俺はさり気なく英理香をドア前に誘導する。

 他の人に押されたり、痴漢されたりするのを防ぐためだ。


「弓弦……なんだかこの体勢、恥ずかしいですね」


 英理香にそう言われると、さらにこちらまでもが恥ずかしくなってくる。


 ここは満員電車なので英理香との距離が近く、車両が大きく揺れでもしたら実際に接触することになるだろう。

 接触しなくても、エリカの花の甘い香りが俺をドキドキさせてくる。


 そして何より、ここは人目につきやすい場所だ。

 人前で破廉恥なことはしてはならないという背徳感が、俺の興奮度を加速度的に上昇させる。


 ──まったく、女友達と登校するのも一苦労だ。

 俺はそんなことを思っていた。


「うおっ!?」


 突如、電車が大きく揺れた。

 俺はバランスを崩し、英理香の胸元にダイブしてしまう。


 お胸のサイズはあまりない彼女だが、それでも柔らかい感触があった。

 それに何より、彼女の身体や服から漂う甘美な香りが、とても心地よい。


「えっ……!? ち、ちょっと……! わ、私は大丈夫ですけど、こんな人前ではダメですよっ……!」

「ああ……すまないっ……!」


 英理香の小声で我に返った俺は、体勢を立て直す。

 もっと彼女とこうしていたかったが、まだ恋人ではない上に満員電車の中だ。


 俺は悶々とした気持ちで、この場を乗り切ることにした。

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