第20話 弓弦大先生と争奪戦

「マジかよ……あの陰キャぼっちが……」

「女の子たちと勉強会……だと……? もうぼっちじゃねえじゃん……!」

「これだけ女子を侍らせてるなんて……なんだかちょっとカッコいいかも……余裕がある感じで」

「それってあれだよね。既婚の男性が女性にモテるっていうのと同じ理由だよね。なんか分かるなあ」

「バンドワゴン効果──つまり、『人気が人気を呼ぶ』というのもあるだろうな」

「嘘だろ……」


 放課後、2年1組の教室……


 俺たちはクラスメイトの声を聞きながら、机と椅子を並べる。

 これから勉強会を行うのだ。


「お兄ちゃん、『いんきゃぼっち』ってなに?」

「『陰キャ』は陰気なキャラ、つまり暗い子っていう意味だ。で、『ぼっち』は一人ぼっちでいる、友達がいない人のことを指す」


 真央まおがクラスメイトの会話を聞きつけたのか、俺にネットスラングを質問してきた。

 あんまりこういう言葉は覚えて欲しくないけど、俺は懇切丁寧に教えておいた。


「それって、お兄ちゃんをバカにしてるってことだよね……? 私の前でそういう事して、死にたいのかな……!?」

「なっ──この魔力はっ!?」


 真央からは何故か、まばゆい光を放つオーラが噴出し始める。

 そしてそれを見た英理香えりかが何故か、焦り始めた。


「──はっ!? あ、危ない危ない……魔力が暴発するところだったよ……」

「魔力が暴発……あなた、一体何者なのですか!? 転生者ですか!?」

「うえっ!? わ、私っ! 普通の女の子だよっ! えへっ!」


 鋭い目つきをした英理香の質問に対し、真央は冷や汗をかきつつウィンクしながら答える。

 真央に詰問した英理香を怪訝そうに見つめながら、由佳ゆかは質問する。


「英理香、『なっ──この魔力はっ!?』っていうのはアニメかマンガの真似? もしかしてあんたって中二病?」

「ちゅうに……──ああ、『ありもしない設定を仮想して悦に浸る人のこと』のことでしたね。弓弦ゆづるがこの前仰っていました。でも、私は中二病ではありませんよ? なぜなら私の言うことはすべて現実であり真実なのですから」


 「うふふ……」と満面の笑みで笑いながら、英理香は由佳に返答する。

 英理香と由佳、そして英理香と真央の間には、少しばかり不穏な空気が流れていた。


 このままだと勉強どころではないので、俺は手を叩いた。


「はいはい、やめやめ! 勉強しよう!」

「むー……分かったよう……」

「弓弦がそう言うのでしたら……」

「ふ、ふん! 仕方ないわねっ!」


 真央・英理香・由佳が落ち着いたところで、総勢5人の勉強会は始まった。


 席次についてだが、俺がいわゆる議長席の立ち位置にいる。

 俺の右手前には英理香が、その隣には茉莉也まりやがちょこんと座っている。

 左手前には由佳が、そしてその隣には真央が嬉しそうに座っていた。


 俺たちは教科書を読み込み、問題を解く。

 しばらく無言の時間が続いたが、茉莉也が挙手をした。


「ゆ、弓弦先輩っ! 理科で分からないところがあるんですけど……」

「ああ、見せて──」

「茉莉也、私が見ましょう」

「あ……はい、ありがとうございます」


 俺が茉莉也に教えようとしたが、代わりに英理香が教えてくれるようだ。

 茉莉也は英理香に質問し、英理香の指導に真剣に耳を傾けている様子だ。


 次は真央が立ち上がり、俺の傍に近寄ってきた。


「お兄ちゃん、英語教えて!」

「分かった、どこが──」

「ま、真央! 私が教えるわ!」

「え……う、うん……ありがとうね、由佳ちゃん」


 真央に教えようとしたが、由佳が指導役を名乗り出てくれた。

 ──しかしこころなしか、俺が教えようとするのを邪魔されているような気がする。


 今度は、茉莉也への指導を終えたと思われる英理香が、俺に教科書を見せてきた。


「弓弦、生物学で分からないところがあるのですが……」

「どこが分からない?」

「ここです」

「なるほど、これは──」


 俺は椅子を移動させ、英理香に一通り説明する。

 彼女からはエリカの花の香りがしてきて少し呆けてしまったが、気合を入れて教えていく。


 英理香はうんうんと頷いていたが、俺は一つ矛盾点を見つけてしまった。

 それは彼女が、首席の俺に並ぶほどの優等生だということだ。


 まあ優等生でも、最初から全てを理解しているとは限らないのだが。

 テスト前までに苦手を克服した結果テストで良い成績が取れた、なんていうこともあるだろう。


 もしかしたら、考えすぎなのかもしれない。


「──というわけだ」

「ありがとうございます。弓弦の説明は分かりやすいですね」


 英理香は笑顔で俺に感謝してくれた。

 やっぱり人に感謝されるのはとても嬉しい。

 それが女の子からならなおさらだ。


 英理香への指導が終わった直後、今度は由佳が手を挙げた。


「弓弦、生物教えて!」

「ああ、いいよ──」

「由佳、私が教えましょう」


 英理香がまたしても、俺の言葉を遮ってまで由佳への指導を申し出た。

 茉莉也のときと同じだ。


 だがそんなことよりも、由佳の表情が引きつっているのが気になった。


「英理香、あんた生物が苦手なんじゃなかったの?」

「え、生物は得意ですよ?」

「じゃあなんで、弓弦に生物を教えてもらってたの? 不自然よね」

「あっ……えっと、たまたま分からないところがあっただけです……」

「ボロを出したわね……もしかしてあんた、弓弦を独り占めしようと思って、弓弦に頼まれた仕事を横取りしてたんじゃないでしょうね?」

「それを言うなら由佳、あなたこそ弓弦を独り占めしようとしていましたよね? 真央は弓弦に教えてもらいたがっていた様子なのに、それをあなたが指導を申し出たから……」


 由佳と英理香がお互いを睨み合っている。

 『俺を独り占め』などという物騒なワードが聞こえてきたが、できることなら聞かなかったことにしたい。

 そもそも、何故俺を独り占めしようとしたのか、その理由が分からない。


 一方の真央と茉莉也も、由佳と英理香をジト目で見ている。

 真央は先程由佳から教わり、茉莉也は英理香から教わっていたのだ。


 このままでは勉強会が瓦解する。

 みんなが仲良くいられるようにするには、どうやら俺が一肌脱ぐ必要がありそうだ。


「みんな。これからは全部俺が教えるから。俺は逃げたりしないから。だから『独り占め』なんて言わないでくれ。みんな仲良くしてくれ──頼む」

「わ、分かりました……弓弦がそういうのでしたら……」

「やったあ! ありがとう、お兄ちゃん!」


 俺が宣言した途端、英理香と真央たちは安堵の表情を見せる。

 俺は先程質問してきた由佳の隣に、椅子を移動させて座る。


「由佳、どこが分からない?」

「ここよ」

「えっと──」


 俺は由佳に、丁寧に説明する。

 そのあいだ、彼女の矢車菊のような甘い香りがとても気になり、ドキドキしてしまう。

 だが俺はそれを必死に堪え、指導に集中した。


「ありがとう。本当に助かるわ……あっ! これは……その、ち、違うのっ!」


 由佳は俺に礼を言った途端、何故か顔を真っ赤にして否定した。

 うーん……感謝の言葉くらい、否定しなくてもいいだろう……


「お兄ちゃん! 今度は私の番だよっ!」

「はいはい」


 俺は真央の隣に座る。

 血の繋がった家族なのにも関わらず、薔薇のような甘い香りが俺を蕩かしていく。

 妹に興奮してはならない、という背徳感があるからだ。


「英語なんだけど、ここの構文が分からないの……」

「えっとこれは──」


 俺は分かりやすいように、言葉を選んで教えていく。

 真央の前で問題を解き、ゆっくりと解説していった。


「わあっ! ありがとう、お兄ちゃん!」

「え、ええええっ!?」


 真央は俺の腕に抱きついてきた。

 小さいながらも柔らかいものが当たっており、俺はとても驚いている。


 茉莉也・英理香・由佳だけでなく、同じ教室で自習している同級生までもが驚きの声を上げた。

 特に同級生は、「ここでイチャイチャするのか……!?」「羨ましい! ──い、いや! 風紀に関わる! けしからん!」などと口々に言った。


 まったくそのとおりだ。

 そう思った俺は、真央に抗議することにした。


「真央、こんな人前でそういうことはしないでくれ……」

「ま、真央ちゃん……弓弦先輩が困ってるでしょ……? は、離してあげて……?」

「あ、もしかして茉莉也ちゃん。お兄ちゃんにくっついてる私が羨ましかったりするのかな〜?」

「う、ううん! そ、そういうわけじゃ、ない……と思う……」


 真央の指摘に対し、茉莉也は顔を真っ赤にしながらうつむき加減で答える。

 すると真央は弾んだ声でこう言った。


「茉莉也ちゃんも同じことをすればいいんだよ。きっとお兄ちゃんも喜ぶから」

「喜ばない」

「お兄ちゃんは女の子、嫌いなの……?」

「いや、嫌いじゃないけど──」

「じゃあ好きってことだよね! 茉莉也ちゃん、がんばってね!」

「うえっ!? うーん……弓弦先輩、理科で分からないところがあるので教えて下さい……」


 茉莉也は少し困った様子で俺を指名する。

 先輩として後輩への指導はきちんとしなければならないので、俺は彼女の隣に椅子を移動させた。

 ジャスミンの甘い香りが漂ってきて、なんだか落ち着かない。


 茉莉也が「ここが分からないんです……」と教科書を指し示す。

 俺が初歩的なところから教えると、彼女は「あっ……そういうことだったんだ……」と呟いた。


「あ、ありがとうございますっ……!」


 茉莉也はそう言って、俺の両手を握る。

 先程のように抱きつかれるよりはマシだが、彼女の赤い頬を見ていると、とても恥ずかしい。


 それにしてもなぜ、茉莉也は俺にボディタッチしてくるのだろうか。

 男の手汗が気にならないのだろうか。


「茉莉也、そろそろ離してくれないか……?」

「ご、ごめんなさーい!」


 茉莉也は大声で叫びながら手を離す。

 これはこれで、こっちがキモがられているみたいで少しショックだった。


 ──まあいい、気持ちを切り替えよう。

 俺は自分の席に戻り、教科書にかじりつくが──


「弓弦、分からないところがあるのですが!」

「わ、私に教えなさいよねっ!」

「お兄ちゃん!」

「ゆ、弓弦先輩……!」

「よし、分かった! 俺が一人づつ、全部教えてあげるから!」


 やけっぱちになった俺は、英理香たちを巡回して回る。

 その間、クラスメイトたちの視線がとても痛かった。

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