第31話 弓道・昇段審査当日

 それから約2週間もの間、由佳ゆかは俺の指導のもとで修練に励んだ。

 彼女のスランプも少しずつ解消されていき、弓道三段取得も現実味を帯びてきた。


 本日日曜日は、弓道の昇段審査当日だ。

 由佳が実力を発揮してくれることを、俺は祈っている。



◇ ◇ ◇



 日曜日の早朝。

 俺は由佳の家の前に立ち、インターホンを押す。

 すると大荷物を持った由佳が、のそのそと現れた。


 由佳は制服姿でスクールバッグを持っている。

 昇段審査では制服着用の義務はないが、「高校弓道部の活動」の一貫であるため、制服を着ているのだ。


 だがそれとは別に、長さ2メートル以上の弓を、レザーの袋に入れた状態で肩に担いでいた。

 更に背中には矢筒を背負っており、トートバッグも別に持っている。


 弓道の審査や試合の時は、だいたいこのような大荷物になってしまう。


「由佳、おはよう」

「お、おはよう。今日はよろしくね……」


 由佳は審査当日のためか、とても緊張している様子だった。


 俺は今日、由佳の「保護者」として審査に付き合うこととなっている。

 彼女のご両親に急用ができてしまったためだ。


 もっとも、保護者を連れていかなければならないという決まりはない。

 同じ高校の弓道部員たちと固まることになるし、むしろ保護者は邪険にされがちだ。


 だが俺は師匠として、弟子たる由佳の昇段を見守りたい。

 そう思って、保護者役を引き受けたのだ。


「荷物、俺が持とうか? 重くて大変だろう」

「ありがとう。助かるわ」


 俺は由佳からスクールバッグと、道着などが入ったトートバッグの二つを預かる。

 弓・矢筒・財布等の貴重品は、由佳自身で持つようだ。


 それにしても、トートバッグからは甘い香りがする。

 道着を洗濯したときに使った洗剤の香りだろう。


 やべえ、めちゃくちゃドキドキする。


「──どうしたの?」

「な、なんでもない! ──さあ、行くぞ!」


 俺は最寄り駅へと、歩を進める。

 由佳の顔は、直視できなかった。



◇ ◇ ◇



 俺と由佳は電車に乗る。

 いかに日曜日であっても、車内にはそれなりに人がいた。


 こういう時、弓使いというものは苦労を強いられる。

 弓は長さ2メートルを超えるため、電車の天井ギリギリにまで迫っている。

 更に、弓が倒れて乗客に当たらないように、保持し続けなければならない。


 そういうこともあり、由佳と俺はドア付近で立ったまま乗車している。

 そんな俺たちを、すぐ近くに座っていたおばあさんが不思議そうに見ていた。


「お嬢さん、その長物は何かしら?」

「弓です。私、弓道をしていまして」


 ──そう、見知らぬ人に話しかけられるのも、弓使いの宿命だ。


 弓は長大であるため、非常に目立ちやすい。

 目立ちやすいということは、それだけ話しかけられやすいということである。


 ──そういえば俺も、現役時代はめちゃくちゃ話しかけられたな。

 試合会場の問題で弓道着姿で電車に乗ったときなんて、陰キャぼっちの俺にとっては目も当てられない状態になった。


「まあ、そうなの。武道をしてる美少女なんて、まさに才色兼備だわ」

「やだ、おばあさんはお上手ですね! 褒めても何も出ませんよ!」


 などと言いつつ、由佳はとても嬉しそうにしている。


「よかったな、褒められて」

「う、うるさいわね……」

「そちらのお坊ちゃんは恋人かしら?」

「こ、こここ恋人じゃないです! 幼馴染ですっ!」


 由佳は顔真っ赤にしながら、おばあさんに返事する。

 まったく、そんなに大声を出したら乗客に迷惑がられるぞ。


「幼馴染ね……かなり大変だと思うけど、がんばってね」

「は、はい!」


 何が大変なのかは分からない。

 だが一つ言えることは、由佳とおばあさんがいい雰囲気で会話をしているということだ。


 俺たちは会話をしながら、電車に揺られ続けた。



◇ ◇ ◇



 最寄り駅から乗車して約1時間後……

 俺たちはついに、審査会場たる体育館に到着した。

 この体育館に受験者控えが設置されており、実技試験は併設されている弓道場にて行う。


 周辺にはすでに、たくさんの人達がいた。

 学生・社会人・高齢者などの属性関係なく、だ。


「ついに、着いちゃったわね……」


 由佳は緊張したような声音で、ポツリと呟く。

 俺は「ああ、そうだな」と、軽く相槌を打った。


 俺たちは体育館に入り、由佳は受付を済ませる。

 その後、体育館のフロア全体を使った待合スペースに到着する。

 同じ高校の弓道部員が固まっているスペースがあったので、俺と由佳は彼らに挨拶したあと荷物を置いた。


 ちなみに今日は、弓道部1年の茉莉也まりやはここには来ていない。

 彼女はまだ、昇段審査を受けるだけのレベルに達していないからだ。


「由佳、審査がんばれよ」

「ええ、絶対に三段受かってみせる──まずは筆記試験、がんばるわ」


 由佳と、そして他の弓道部員たちは筆記用具を手に、筆記試験会場へ向かった。

 俺はしばらく留守番で、午前の筆記試験が終わったあとに実技試験を観戦することとなる。


 うーん……保護者役を引き受けたのはいいけど、暇だな。

 弟子の成長を見守りたいのは本当だが、どうしても暇に感じてしまう。


 スマホでネットサーフィンでもするか……


「おっ……」


 グループチャット「由佳を応援する会」のメンバーから、メッセージが届いていた。

 メンバーは英理香えりか真央まお・茉莉也、そして俺と由佳の5人である。


 実は英理香たちは今日の審査について知っているのだが、「あまり大人数で押しかけては迷惑だ」ということで、俺だけが由佳に付き添うこととなったのだ。


 俺はグループチャットを確認する。



────────────────────



 江戸川えどがわ真央:

 由佳ちゃん、審査がんばってね!


 悠木ゆうき英理香:

 吉報をお待ちしております。


 相羽あいば茉莉也:

 矢口やぐち先輩なら絶対合格出来ます。

 応援しています!


 矢口由佳:

 ありがとう、がんばる。

 今から試験勉強するから、しばらくスマホの電源オフにします。



────────────────────



 由佳、いつの間に返信してたんだ……?

 恐らく俺と別れたあと、歩きスマホしながら高速タップでもしてたんだろう。


 気を取り直して、俺は英理香たちに状況を報告することにした。



────────────────────



 江戸川弓弦ゆづる

 これから午前中は筆記試験だ。

 由佳は勉強が出来る方だから、問題なくパスできると思う。


 江戸川真央:

 そうなんだ。

 ところでお兄ちゃん、由佳ちゃんとはイイ感じになった?


 江戸川弓弦:

 イイ感じ……?

 話が見えないけど。

 由佳は緊張してる様子だったけど、多分大丈夫だよ。


 江戸川真央:

 ふーん、そうなんだ……

 まあお兄ちゃんは鈍感さんだし、この様子だとイチャイチャはしてなさそうだね。

 いやーよかったよかった。


 悠木英理香:

 弓弦、念の為に言っておきますけど、由佳に浮気してはいけませんよ?

 前世で恋人だった、この私がいるのですから。


 相羽茉莉也:

 ええええっ!?

 前世は関係ないですよね!?

 でも、悠木先輩のおっしゃることも一理あると思います!



────────────────────



 みんな文字打つの早いな!

 しかも話題が変な方向に捻じ曲がってるし!



────────────────────



 江戸川弓弦:

 英理香、「浮気」ってどういうことだよ?

 俺たちまだ付き合ってないだろう。


 悠木英理香:

 冗談ですよ、弓弦。

 本気にしました?


 スタンプ:可愛らしいキャラが「てへぺろ」と舌を出している


 江戸川真央:

 冗談でも言っちゃいけないことって、あると思うんだァ……


 スタンプ:強面キャラが「ゴゴゴゴゴゴゴゴ……」という擬音とともに構えている


 相羽茉莉也:

 真央ちゃんの言うとおりです!

 ビックリしましたよ!


 悠木英理香:

 茉莉也はどちらの味方なのですか……?

 先程は私の意見に賛同してくださっていたではありませんか……


 スタンプ:変なキャラが「しょぼーん……」と落ち込んでいる


 江戸川真央:

 当然私の味方だよね、茉莉也ちゃん!

 英理香ちゃんよりも、妹である私のほうがお兄ちゃんにふさわしいよね!


 相羽茉莉也:

 え、妹はちょっと……

 ああでも、どっちも味方できないなあ……



────────────────────



 優柔不断な茉莉也も、今回ばかりは良い判断だと思う。

 英理香・真央のどちらに味方しても、おそらく得をするような結果は得られない。


 っていうか、チャットのスピードが早すぎる。

 俺が文面を考えている間に新たなメッセージが出てくるから、いちいち書き直さなくてはならない。

 それにみんなの表情が分からないせいか、流れてくるメッセージの文脈が全くつかめない。

 地味に疲れる。


 かといって、通知を切って「忙しいから返信出来ない」アピールするのも申し訳ない。

 俺は四苦八苦しながら、みんなとチャットを続けた。

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