第12話 弓道部と幼馴染

 弓道場はとても静かだ。


 矢が放たれ、弦の乾いた音が鳴り響く。

 そしてその数秒後には、的紙を貫く音が聞こえてきた。

 つまり、その矢は的中したということである。


 俺と茉莉也まりや、そして弓道部員にして俺の幼馴染である由佳ゆか

 俺たちはそんな静かな場所で、相対していた。


「ねえ弓弦ゆづる、どうして無断遅刻をした相羽あいばさんと一緒にいるのかしら?」

「ああ、茉莉也──いや、相羽さんには俺の仕事を手伝ってもらったんだよ。まさか弓道部に入ってるとは思ってなくて。だから相羽さんの代わりに、『江戸川えどがわが迷惑をかけた』って主将にも言っておいて欲しい」


 もちろん、「仕事を手伝ってもらった」というのは嘘だ。

 本当は「世間話に興じていたら時間を忘れてしまい、遅刻してしまった」というのが正しい。


 だがそのまま伝えてしまったら茉莉也が100パーセント悪いことになってしまうし、そのような形で揉めるのは彼女が可哀想だ。

 どうせなら、部外者である俺が罪をかぶったほうが、全て上手くいく。


 茉莉也は嘘をついた俺を、ビクビクした様子で見ている。

 一方の由佳は、眉を吊り上げさせていた。


「茉莉也……? へえ、お二人ってそんなに仲が良いのね」


 あれ? ツッコミどころはそこなのか?

 「仕事ってなに?」って聞くところじゃないのか?


 由佳の言葉を受けて、茉莉也は何故か顔を赤らめている。

 俺はとりあえず、平静を努めて返事することにした。


「いや、仲が良いってわけじゃない。今日知り合ったばかりなんだ」

「知り合ってすぐ、異性を名前で呼ばないわよ! 変態!」


 そ、そうか……名前で呼んで欲しいと頼まれたからそうしただけなのだが……

 だが、それを言ってしまうとさらにこじれそうになるので、俺はなにも言わないことにした。


 一方の茉莉也はビクビクした様子で、頭を下げた。


「あ、あのっ! 矢口やぐち先輩、遅れてしまってすみませんでした!」

「弓弦の仕事に付き合ってくれていたそうね。そこのところは、幼馴染として感謝するわ。でも次からは無断遅刻しないようにね」

「は、はいっ! 気をつけます!」

「主将にも『江戸川のせいで遅刻した』って報告しておくから」

「す、すみませんっ!」


 矢口由佳はどうやら、後輩にはとても甘いらしい。


 いや違う、「俺の仕事を手伝った」という説明を受けたからこそ、茉莉也には優しくしているのだろう。

 これが「世間話で遅刻しました」などという話になれば、恐らくはただでは済まない。


「それにしても相羽さん、うちの幼馴染が馴れ馴れしくてごめんなさいね。よく知らない男からいきなり名前で呼ばれて、気持ち悪かったでしょう?」

「あ、いえ! わたしが名前で呼ぶように、弓弦先輩に頼んだんです!」


 茉莉也のぶっちゃけトークに、俺と由佳は「え……?」としか言えなかった。

 特に由佳は「弓弦……先輩……?」と、戦慄している様子だった。


 あ、これはマズい。

 こうなると分かっていたから、俺は茉莉也を名前呼びしていた件について、言い訳しなかったのだが……


 由佳は腕を組み、そっぽを向きながら言った。


「ま、まあいいわ! べ、別に弓弦を名前で呼ぼうが、私には関係ないしっ!?」

「──おいそこ、うるさいぞ!」

「あっ、すみません!」


 道場の奥の方から声が聞こえてきた。

 声からして、確か弓道部の主将のはずだ。


 由佳は少しだけ慌てた様子で言う。


「弓弦、今から主将に報告しておくから、そこでちょっと待ってて──相羽さん、行くわよ」

「は、はい!」


 由佳は茉莉也を連れて、弓道場の奥へ向かった。



◇ ◇ ◇



 そして数分後、俺は由佳と茉莉也によって、弓道場の近くにある広場に連れて行かれた。

 彼女たちの真意は分からないが、恐らく世間話というわけでもないだろう。


 由佳は話を切り出してきた。


「それにしても弓弦、久しぶりね。真央まおは元気にしてる?」

「ああ、元気だ。もし学校で見かけたら、優しくしてあげてくれ」

「あ、あんたに言われなくてもそうするわよっ!」


 由佳は決まりが悪そうに、そっぽを向いた。


 俺と由佳は幼馴染だ。

 ついでに、妹である真央の幼馴染でもある。


 家が隣近所だった関係で、由佳とは仲が良かったのだ。

 まあ中学くらいからは疎遠になって、高校で弓道部員として一緒に活動し、そしてまた疎遠になったわけだが……


 ふと、茉莉也が申し訳無さそうに手を挙げる。


「あ……あの、矢口先輩! 聞きたいことがあるんですけど、弓弦先輩とは幼馴染なんですか!?」

「そうよ。もし弓弦関係で何か困ったことがあったら、いつでも相談しなさいね」

「はい、ありがとうございますっ!」


 まったく、俺はなにもやらかさないっての!

 ──とは言えないか……


 まあ正直、茉莉也との共通の知り合いがいるというのは、俺にとっても心強い。


「それで弓弦、あんたに話があるわ──お願い、弓道部に戻ってきて!」


 由佳は改まった表情で、そう言った。

 そして茉莉也も「お、おねがいしますっ!」と頭を下げてきた。


 が、俺の答えは決まっている。


「悪いが、それはできない。弓道に飽きた人間が弓道をやってても仕方がない──これは分かるよな?」

「で、でも!」

「──もうそのへんにしてあげてください。弓弦が嫌がっているではありませんか」


 突如、後ろの方から声が聞こえてきたので振り返る。

 するとそこには、俺の友達である英理香えりかが立っていた。


 由佳と茉莉也は、英理香の乱入に驚いている様子だ。

 そんな由佳たちなどお構いなしに、英理香は後ろから俺の首元に手を回してきた。

 対面してはいないが、エリカの甘い香りがかすかに感じられる。

 それに、俺の背中には英理香の小さな胸が当たっているように感じた。


「弓弦……私、寂しかったです。けど、私の部活が終わるのを待っていてくださったのですね──さあ、一緒に帰りましょう」

「な、なななな! あんたたち、なにやってんのよ!」

「あ、あわわ……ど、どうしよ……!」


 英理香と俺の仲を見せつけられた格好となった由佳と茉莉也は、一様に驚いていた。

 まあ、英理香の行為は明らかにやりすぎなのだが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る