第11話 茉莉也とジャスミン

 放課後の、2年1組の教室前。

 そこには1年生女子の相羽あいば茉莉也まりやさんが立っていた。

 彼女は俺に用があるらしい。


「あの……中庭でお話しませんか……?」

「分かった。でも、部活は大丈夫か? 弓道部に入ってるんだろう?」

「あ、はい。世間話をしたいだけですから、そんなに時間はかからないと思います……」

「じゃあ行こう」


 俺と相羽さんは、1階の中庭に向かった。



◇ ◇ ◇



 校舎の中庭。

 そこには多数の低木と花が植えられており、色とりどりで目に優しい。


 俺と相羽さんは、3人がけのベンチに座る。

 俺たちはお互いに端の方に座っており、絶妙な距離感がある。

 だがそれでも相羽さんからは、ジャスミンのような甘くて官能的な香りが漂っていた。


「あの……えっと……『弓弦ゆづる先輩』って呼んで、いいですか?」


 相羽さんは何の脈絡もなく、尋ねてきた。

 恐らく気が動転しているのだろう。


 それにしても、いきなり下の名前か……

 とても恥ずかしいが、特に断る理由もない気がする。


 俺は、相羽さんの要請に応えることにした。


「いいよ」

「ありがとうございます、弓弦先輩っ! あの、わたしのことは『茉莉也』って呼んでくださいませんか……?」


 相羽さんが俺を「弓弦先輩」と呼ぶのであれば、確かに下の名前で呼ぶのが妥当だろうが……

 彼女は後輩だし背丈も小さいので、「茉莉也」でも「茉莉也さん」でもなく「茉莉也ちゃん」と呼んだほうがいいのだろうか。

 いや、それだと恥ずかしすぎる……けど──


「わ、分かった……茉莉也、ちゃん……」

「あ、あのっ……できれば呼び捨てがいいですっ……」

「そうか──分かったよ、茉莉也」

「きゃあっ……うれしいです……」


 何故か相羽さん──いや、茉莉也は目を潤ませていた。

 下の名前で呼ばれるのが、そんなに嬉しかったのだろうか。


 俺にはよく分からないが、喜んでもらえたのならそれでいい。


「中庭に咲いてる薔薇、キレイですね……」

「ああ、そうだな」


 中庭には、赤薔薇や白薔薇が咲き誇っている。

 茉莉也はそれを見て、うっとりしている様子だった。


「もし許されるなら、摘んで帰りたいくらいだ」

「え……弓弦先輩、もしかしてお花が好きなんですか?」

「ああ、花とか観葉植物とかは好きだ──まあ、俺にはそういうのは似合わないかもしれないけどさ」

「似合わなくなんかないですっ!」


 茉莉也は叫びながら、俺の両手をガシッと掴む。

 そして、熱のこもった目で俺を見つめていた。


 は、恥ずかしいな……


「あっ、すみません!」

「い、いや……大丈夫だ……」


 茉莉也は顔を真赤にしながら、手を離す。

 そして恥ずかしそうに、そっぽを向いてしまった。


 とりあえず俺は、彼女との会話を続けることにした。


「俺、花には昔から興味があったんだ。見ているだけで癒されるからな。色々調べたんだよ」


 それに英理香えりかの話によれば、俺の前世・エドガーは女性に花を贈っていたという。

 俺の花好きが前世からの因果なのであれば、とてもロマンティックだ。

 まあ本当に前世があるのかどうかは、未だ確証がつかめていないが……


「そうなんですか! ちなみに、どんなお花が好きなんですか!?」

「エリカだな──って、あっ……!」


 どうしてそこで英理香の顔が浮かんでくる!?

 めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!


 ──まあいい、植物の名前が人名に用いられるのはよくある話だ。


 ツツジ科エリカ属の木は、釣り鐘のような花を大量に咲かせる。

 ヨーロッパやアフリカ原産で、主に荒野に生息している。


 そういえば前世の記憶っぽい夢にも、エリカの花が出てきたな……

 何か関係があるのだろうか。


「──花言葉は『孤独』なんだ。まあ他にも色々あるんだけど、俺はそれが一番自分にピッタリだと思う」

「そ、そうなんですか、知らなかったです……でも、弓弦先輩は多分『孤独』じゃないと思います」


 茉莉也は静かに言った。

 俺は英理香と出会うまで、ソロ充という名のぼっちだったのだが……


「どうして、そう思う?」

「おどおどしているわたしとも、ちゃんとこうしてお話してくださいますし……」

「来る者拒まず、去る者追わず。これが俺の信条だからな。でもそのせいで、大抵の人がすぐに去ってしまうんだ。俺が追いかけることはないからな──」

「そうですか……でもわたし、弓弦先輩とこうしていられてうれしいです。隣にいるだけでも、居心地がいいです」


 茉莉也ははにかみつつも、そう言ってくれた。

 俺はなんだか、少し嬉しい気分になる。


「ところで、茉莉也はどんな花が好きなんだ?」

「ジャスミンです。甘くていい香りがしますし、お茶にしてもおいしいんです」


 ジャスミンは白い花を咲かせる植物で、花からはとても甘美な香りがする。

 そのことから「香りの王」という異名を持っている。


 茉莉也は顔を真っ赤にしながら、うつむき加減に言う。


「そ、それに……ジャスミンの中に『茉莉花マツリカ』っていう種類があるんですけど……わたしの名前と同じ漢字が使われてて、親近感が湧いたんです……」

「そうか、『まりや』って漢字で『茉莉也』って書くんだな。いい名前だな──確かジャスミンには『愛らしい』なんていう花言葉があったが、君にピッタリだ。それに君からは、ジャスミンのような甘い香りがする──って、あっ!」


 マズい、つい熱くなりすぎて本音をぶちまけてしまった。

 これではキモがられるに違いない。


 ──いや、これは俺の前世・エドガーの仕業だ。

 彼は女好きだと聞いているし、女を口説くテクニックを持っているはずだ。

 前世の自分を、無意識に降霊・憑依させてしまったのだろう。


 そうに違いない。

 そうであってくれなければ困る。


 ──違う、そんなことはどうでもいい。

 早く謝らないと……


「ご、ごめん! キモいこと言っちゃったな!」

「あっ……いえいえいえ! むしろわたし、嬉しかったんです!」

「甘い香りがするって言われて、気持ち悪いって思わないのか……?」

「う、う~ん……正直に言うと恥ずかしいですけど……でも、気持ち悪いなんて思いませんし、むしろ『弓弦先輩ってこういう香りが好きなんだ』って知れてよかったです……えへへ」


 少し釈然としない部分はあるが、茉莉也がとても可愛く笑っていたので良しとしよう。

 少しずつ打ち解けてくれているようで、とても嬉しかった。



◇ ◇ ◇



「あっ、もうこんな時間!」


 17時頃……

 茉莉也は中庭に設置されている時計を見て、驚いている様子だった。

 花の話で盛り上がった後、俺たちはしばらく時間を忘れて話し込んでしまったのだ。


「あう……これじゃあ大遅刻だよ……」


 茉莉也は涙目になっていた。


 そういえば茉莉也は弓道部だったか……

 部活動、特に体育会系は規則に厳しいきらいがある。


 これは少々厄介なことになった。


「すまん、俺がちゃんと気を遣っていれば……」

「あ……いえっ、時間に気づかなかったわたしが悪いんですっ!」

「いや、俺の責任だからうまいこと言っておく。弓道部はもう辞めちゃったけど、それを差し置いても信用できる子がいるし」

「そ、そうなんですか……?」


 先程まで涙目だった茉莉也だったが、少しだけ希望を見出したような表情をしている。

 これはすなわち頼りにされているということで、男心がくすぐられてしまう。


「大丈夫だ──じゃあ行くぞ」

「はい、ありがとうございますっ!」


 俺たちは弓道場へ向かった。



◇ ◇ ◇



 校舎から少し離れた場所にある弓道場。

 その前に広がる敷地では、新入部員と思われる生徒たちが2・3年生とともに練習していた。


 新入部員は弓を、矢をつがえずに引き絞っている。

 これは「素引き」と言われる練習方法で、型を学べると同時に弓を引く上で必要な筋肉が鍛えられる。


 練習中の弓道部員は俺と茉莉也の姿を見て、驚いている様子だった。


「な、なんで江戸川えどがわのやつが、相羽ちゃんと一緒にいるんだよ!?」

「江戸川が戻って来てくれれば、全国優勝は間違いないのに……」

「相羽さん、彼氏いたんだ……」


 彼氏じゃないけどな。

 とりあえず俺は部員たちに黙礼をし、弓道場に入る。


 そして、俺がもっとも信用している女子を探す。

 すると、目的の人物はすぐに見つかった。


「──由佳ゆか


 俺が静かに呼びかけると、弓道着姿の少女は慌てた様子で駆け寄ってきた。


「誰かと思えば、弓弦じゃない!」


 その女子学生の名は矢口やぐち由佳ゆか

 2年生であり、俺の幼馴染であり、そしてわずか1年であったが弓道部で苦楽をともにした仲間だ。


 白い弓道着に黒い袴、そして黒革の胸当て。

 それはまさしく、女子弓道部員の装いだ。


 弓道のときに邪魔にならないように結われたロングポニーテール。

 先端にウェーブがかかっておりオシャレな感じで、さらに首元がはっきりと見えているのでセクシーである。

 背が高くてお胸も大きく、胸当ても相まって目に毒だ。

 さらに矢車菊ヤグルマギクの甘い香りを漂わせており、ドキッとしてしまう。


「……で、弓弦。どうして無断遅刻をした相羽さんと、一緒にいるのかしら?」


 由佳は茉莉也の姿を見るやいなや、何故か遅刻した茉莉也ではなく俺をにらみ始めた。

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