第10話 廊下での出会い

「今日の授業はここまで」

「ありがとうございました!」


 昼下がり……

 たった今、5時限目の世界史の授業が終わった。


 俺は世界史の中では、西洋史が特に好きだ。

 その理由は、人名や用語が中二病っぽくてカッコいいからである。


 ドイツ語で「皇帝」を意味する ” Kaiserカイザー ”の語源にもなった、共和政ローマのガイウス・ユリウス・カエサル。

 《カノッサの屈辱》で有名な神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世

 フランス王国の《太陽王》ルイ14世。


 なかなかに中二病心をくすぐられる。


 それほど世界史を愛する俺は、社会科係である。

 つまり、先生から頼まれ事があれば、それを引き受けるのが俺の仕事だ。


 俺は何かやるべきことがないか、世界史を担当する先生に聞きに行く。


「先生、何か連絡事項やお手伝いすることはありませんか?」

「ああ、丁度いい。さっき集めたノートを、職員室にある俺の机の上に置いておいて欲しいんだ。次の授業があるから忙しくてな」

「分かりました」


 俺は約40人分のノートを持つ。

 それなりの分厚さがあるが、大したことはない。


「──弓弦ゆづる、一人で持てますか? 私も手伝いましょうか?」


 教室を出ようとした俺に、英理香えりかが声をかけてきた。

 俺はその気遣いがとても嬉しかったが、部外者に手伝わせるわけにもいかない。

 首だけを彼女の方に向け、返事する。


「いや、俺一人で大丈夫だ」

「そうですか……分かりました」


 英理香は少しだけ残念そうな顔をしたあと、友達のところへ戻っていく。

 俺はそれを見届けた後、廊下に出た。



◇ ◇ ◇



 俺たち2年生の教室は3階、そして職員室は1階にある。

 俺は下に降りる階段に差し掛かるが──


「きゃっ!」

「うおっ!」


 俺は小柄な女子とぶつかってしまった。

 そのはずみで、持っていたノートを床にぶちまけてしまう。

 それと同時に、ぶつかってしまった女子が持っていたと思われるノートも、散らかってしまった。


「ぶつかってごめん。前をよく見てなかった」

「あう……こ、こちらこそすみませんっ……!」


 校章の色からして、1年生のようだ。

 俺が2年生だということもあってか、その女子はかなり萎縮している様子だ。


 とりあえず俺は、呆然としていてノートを拾おうとしない彼女の代わりに、簡単にノートを集める。

 ふむ、英語のノートか……

 恐らく彼女は英語係で、かつ英語が好きなのかもしれない。


「はい、ノート。適当に集めただけだから、一応確認しておいてくれ」

「あ、ありがとうございますっ……!」


 その女子は潤んだ瞳をしながら、俺からノートを受け取る。

 そして中身のチェックをし始めた。


 それを見届けた俺は、散らばったノートを回収する。


「君も職員室までノートを持っていくのか?」

「は、はい……そうなんです……先輩もですか……?」

「ああ、そうだな」


 もし前世の俺・弓騎士エドガーならば、「一緒に職員室に行こうか」と声をかけたかもしれない。

 英理香によると、彼は女好きだとのことだ。


 だが俺には、そんな度胸はない。

 それに俺はソロ充、つるむのはあまり好きじゃない。


 とりあえず俺は職員室に向かうべく、階段を降りる。

 すると当然というべきか、その女子もトコトコと俺の隣を歩いてきた。


「先輩、少し前まで弓道部に入ってませんでしたか……?」


 女子生徒はおずおずと、俺に質問をしてきた。


 そう、実は彼女の言う通り、俺は今年の4月まで弓道部に所属していた。

 それも、新入生向けの部活動見学の時期まで。

 だがとある事情により退部しており、今では帰宅部だ。


 恐らく彼女は部活動見学の時、俺の姿を見たのかもしれない。

 そして弓道部員なのだろう。


 とりあえず俺は、努めて明るく答えることにした。


「ああ、入ってたよ。もう辞めたけどな」

「やっぱりこの人が、江戸川えどがわ先輩だったんだ……」


 その女子は溜息混じりに呟く。

 俺はふと浮かんだ疑問をぶつけることにした。


「どうして俺の名前を知っているんだ? 部活動見学のときは名乗ってなかったと思うけど」

「先輩に聞いたんです……」

「じゃあなんで、俺の名前をその先輩に聞いたんだ? なにか理由があるんじゃ……」

「えっ!? あ……えっと……」


 女子生徒は何故か顔を真赤にして、困惑している様子だ。

 その様子は見ていて可愛いが、なんだか可哀相になってきた。


「すまん、無理に聞くつもりはない。許してくれ」

「あ……はい、大丈夫です。こっちこそすみません──あの、何年何組か聞かせてもらっていいですか……?」

「2年1組だ」

「ありがとうございます……」

「──っと、職員室だな」


 俺たちが話をしている間に、とうとう職員室に到着した。

 俺は世界史の先生の机に向かい、ノートを置く。

 隣の席の先生が「ご苦労さま」と言ってくれたので、俺は「ありがとうございます」と返事した。


「ふう、疲れた……」

「──あっ……」


 そして職員室を出たのだが、その付近では何故か、先程の女子が立っていた。

 彼女とは初対面で学年も違うし、声をかける理由もなかったので、彼女には構わず教室に戻ることにした。


 俺が「陰キャぼっち」と呼ばれるゆえんが、ここにある。

 出会いをチャンスに変えないのが、ソロ充ムーブというものだ。


 俺が職員室から立ち去ると、女子は萎縮した感じで俺の隣を歩いてきた。

 可愛らしいとは思うが、これはどういうことだ。


「先輩、弓道部には戻らないんですか……?」

「戻らないよ。俺には合わなかったんだ」

「他の先輩から『百発百中』だって聞いてたんですけど……そんなに上手なのにどうして辞めたんですか……?」

「百発百中だったからだ。えっと──」


 俺はなぜか、弓道のセンスが抜群に良かった。

 高校から始めたにも関わらず、一年足らずで的中率100パーセントの領域にまで達した。

 だがそれ故に、飽きてしまったのだ。


「──というわけだ」

「そうですか……」


 俺の話を一通り聞いた女子生徒は、何故か残念そうな顔をしていた。


 階段を登り、3階に到着した俺は、そのまま教室へ向かう。

 ここで、1年生である彼女とはお別れだ。


「あ、あのっ……またお話したいんですけど、いいですか……?」

「いいよ。さっきも言ったが、俺は2年1組だから教室まで来てくれれば話はできるけど……一人で来れるか?」

「あうっ……が、がんばります……わたし、相羽あいば茉莉也まりやって言います……よろしくお願いしますっ!」

「俺は江戸川弓弦、よろしくな」


 相羽茉莉也と名乗った少女は、自己紹介をした後はにかんだ。


 肩にかかる程度のボブカットで、清潔感と可愛らしさを両立している。

 体格やお胸の大きさは女性の平均より小さく、とても可憐だ。

 しかも終始おどおどしていることもあり、「守ってあげたい」と思ってしまうほどの破壊力がある。


 俺はそんな相羽さんと別れ、教室へ向かった。



◇ ◇ ◇



「今日のホームルームを終わります。さようなら」

「さようなら!」


 放課後……

 帰宅の準備を終えた俺は、英理香のもとへ向かう。


「英理香、帰ろう」

「ごめんなさい。今日は華道部の活動があるので、先に帰ってください」


 英理香によると、華道部は週一回の活動だ。

 今日はたまたま、その活動日だったというわけだ。


 俺は「そうか、がんばってな」と言って、教室をあとにする。

 が──


「あ、あのっ……来ちゃい、ました……」


 教室の前には、先程ノートを拾ってあげた相羽さんが立っていた。

 彼女は上級生ばかりがいるこの場所で、とても萎縮している様子だった。


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