第3話 勇者の移り香と前世の夢

「お兄ちゃん! なんで勇者の魔力──じゃなかった……お、女の人の匂いがするのっ……?」


 俺に抱きついて体臭を嗅いでいた、我が妹・真央まお

 彼女は抱きつきながら俺を見上げ、問いただしてきた。


 まったく、恥ずかしいから離してほしいんだが……


 とりあえず俺は、事の経緯を話すことにした。

 そう、俺から女の移り香が残っている理由を。


「実は、その……クラスの女子に告白され──」

「え、えええええええっ!? で、受けたの!? 受けちゃったのっ!?」

「いや、クラスメイトだけど全然接点がなかったもんだから、『まずは友達から』って断っておいた。で、今日は一緒に帰ったんだ」

「ええええええっ!? 一緒に帰っちゃったの!?」

「ん? 友達と一緒に帰るのは当たり前じゃないのか?」

「あ……うん、そうなんだけどね……」


 真央の声音は段々とトーンダウンしていく。

 しかし俺を抱きしめる力は、一層強くなった。


「お兄ちゃん。私と一緒に登下校してくれたこと、一度もないよね……せっかく同じ高校に進学したっていうのに……」

「それは真央、君の友達付き合いを考えた上でそうしているんだ」

「私、お兄ちゃんのほうが大切だよ……? お兄ちゃんは、私のこと嫌い……?」

「違う。むしろ大好きだ」

「えっ……!?」


 家族のことが大好きなのは当たり前のことだ。

 嫌いになれるわけがない。


 真央は俺の身体に顔をうずめながら「今『大好き』って言った……今『大好き』って言った……大好き……大好き……」と、何度も口にしていた。


「──じゃあ、まだ私にも可能性あるよね……」

「ん? もう一回言ってくれ」

「お兄ちゃんが知る必要はないよ」


 真央は冷静な口調でそう言い、ハグをやめて俺から離れる。

 そして何事もなかったかのように、家の奥に引っ込んでいった。


 ──まったく、こっちの気も知らないで……

 俺は真央のハグに対し呆れと、そして余韻を感じた。


 人肌の温もり、柔らかい感触、そして薔薇のような甘い香り──

 たとえ妹であったとしても、男である以上は感じざるを得ない。


 真央はそのことを分かっていないのだろうか。

 思春期と反抗期はいつ訪れるのだろうか。


 俺は少し、心配をしていた。



◇ ◇ ◇



「さて、そろそろ寝るか……」


 夕食・入浴・勉強など、夜にやるべきことをすべて終えた。

 後は布団に入り、目を閉じるだけだ。


英理香えりかと友達、か……」


 容姿端麗・成績優秀・スポーツ万能・品行方正。

 そのような難攻不落の優等生と友達になれて嬉しい反面、正直信じられないくらいだった。


 俺は必死に自分を落ち着かせ、目を閉じた。



◇ ◇ ◇



 そこは、まったく知らない部屋だった。


 石の壁、豪華な絨毯や調度品、壁際に立てかけられた大型の弓。

 至るところに花瓶と、そして様々な種類の切り花がある。

 また、エリカの木が少し大きめの鉢に植えられており、小さな花を無数につけていた。


 まさにここは、ヨーロッパの王侯貴族が住むような部屋だった。

 俺は広大な部屋の中で、肌触りの良いソファーに座っている。


 何やらエリカの花の、蜂蜜のような甘い香りが強く漂ってくるので、俺は周囲を見渡す。

 するとその香りの方向には、金髪の少女がいた。

 彼女はなんと俺の隣に、しかも密着するように座っていた。


 どうして俺は、すぐに気づかなかったのだろうか。


「エドガー、どうしたのですか? そんなにキョロキョロして……」

「エドガー? 俺の名前は江戸川えどがわ弓弦ゆづるだが──」


 俺はその時思い出す。

 俺のクラスメイトである悠木ゆうき英理香えりかが、俺の前世は《弓騎士エドガー》だと言っていたことを。


 それに今俺の隣に座っている少女も、金髪という点を除けば英理香とまったく瓜二つだった。

 エリカの花の香りがするのも、彼女と英理香の共通点でもある。


 これは、どういうことだ。

 英理香の中二病設定を聞いたがために、夢に出てきたとでも言うのか。

 いや、そもそもこれは夢なのか。


「英理香、ここは一体……?」

「エリカ……? 私の名前はエリーズですよ。最近は、そのエリカという方とご懇意なのですか?」


 エリーズ……確か英理香の前世だったか。

 まあ、あくまで設定上の話だろうが……


 それにしても、顔だけでなく声までもが英理香と一緒なのは気になる。

 エリーズの声音がややトーンダウンしている気がするので、なおさら気がかりだ。


 俺は彼女の誤解を解くことにした。


「いや、別に仲がいいってわけじゃない。俺が知っている子にあまりにも似てたから……名前、間違えてごめんな?」

「よく分かりませんが……でも、いいです。エドガーが女好きなのは、ちゃんと分かっていますから。それでも私は、あなたのことを愛していますから」


 エリーズの返事もよく分からない。

 確かに英理香も、俺の前世であるエドガーは女好きだと言っていたが……


「さて……今日は久しぶりに、二人でゆっくり過ごしましょうね。魔王が行方不明になってからはむしろ、ずっと忙しかったんですから」

「ああ……そうだな」


 状況がよく分かっていないが、俺はとりあえず話を合わせることにした。

 俺が返事をするやいなや、エリーズは身体を俺の方に預け、頭を俺の太ももに乗せてきた。


 これは……膝枕!?

 エリーズの体温が感じられるし、太ももや下腹部に不思議な感覚がある。

 俺が女の子に膝枕をしてあげる夢を見るなんて、だいぶ疲れているようだ。


 一方、俺の膝で寝ているエリーズは、とても気持ちよさそうな声を上げていた。


「はあ……落ち着きます……」

「あ、あのー……めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……」

「もう、いいじゃないですか。というより、いつも膝枕してくれましたよね? どうして今日だけ嫌がるのですか?」


 エリーズは少しだけ膨れた表情で、それでいて甘い声で俺を糾弾する。

 どうやら、俺の膝の上で寝てもらう以外に選択肢はないらしい。


「分かったよ」

「頭……撫でてください……」


 エリーズは甘えるような声で、俺に懇願する。

 女の子の髪に触れるのはとても恥ずかしいが、膝枕を許した以上はやってあげよう。

 毒を食らわば皿まで、ということわざもある。


「よしよし……」

「気持ちいいです……」


 エリーズの髪は手触りがよく、とても滑らかで気持ちよかった。

 一方のエリーズも、とても気持ちよさそうに表情を緩ませている。


 男子からの告白をすべて断ってきたという、《難攻不落》の悠木英理香。

 彼女と瓜二つの少女が、俺に対して緩みきった笑顔を見せている。


 エリーズの表情に英理香が重なり、俺は思わずドキッとした。


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