第29話 英理香と真央の、弓道場見学計画

 俺の部屋にて、真央まお英理香えりかとともにテーブルを囲んでいる。

 真央が少しだけおずおずしながら問いかける。


「お、お兄ちゃん……久しぶりの弓道は楽しかった?」

「俺はただ由佳に教えてただけだから。行射はしてないよ」


 真央は「そうなんだ……」と、なぜか安堵の表情を見せている。

 一方の英理香は、少しだけ残念そうな表情をしていた。


「せっかくですから、弓を引いてくればよかったじゃないですか。前世の弓弦ゆづるは弓騎士でしたし、私も久しぶりにあなたの射技を見てみたいです」

「うええええええっ!? え、英理香ちゃんやめてよ怖いよっ! 弓矢だよ弓矢! 当たったら死ぬんだよっ!?」


 真央はなぜか涙目になりながら、狼狽えている。

 どうしてそんなに怖いのだろうか。


「真央、弓道は的に向かって矢を放つだけだから、対人競技よりは怪我のリスクが低いんだ。防護ネットだって張ってあるし、死亡事故はそう頻繁には発生しない」

「でも、絶対死なないっていう保証はないんでしょ……?」

「ま、まあそうだけどな……」


 そんなこと言ってたら、何もできなくなるじゃないか……

 「外を出歩いたら車に轢かれて死ぬ」「プールに行ったら溺死する」って言ってるのと同じだぞ。

 取越苦労ってやつだな。


 もしかして真央は、夢かなにかで射殺されそうになったのだろうか。

 トラウマがあるのだとしたら、ちょっとだけ申し訳ないけど……


 英理香は心配そうな表情で、問いかける。


「それで弓弦、由佳ゆかへの指導はどうなったのですか? 彼女はスランプだそうですが」

「順調……とは言えないけど、昇段審査までには間に合いそうだ」

「ちなみに、その審査というのはいつ頃でしょうか?」

「2週間後の日曜日だ」

「そうですか……いい結果、出るといいですね」

「ああ」

「でもその間、弓弦とは一緒に帰れないのですよね……寂しいです」


 英理香の表情は暗い。

 あくまで彼女の弁であり真偽は不明だが、俺と彼女は前世で繋がっていたという。

 前世との恋人と一緒にいられないというのは、余程寂しいことなのだろう。


 落ち込む英理香を見て、真央は机を勢いよく叩いて立ち上がった。


「こんなの……勇者じゃない! ゆう──英理香ちゃん! 明日から毎日、私たち三人で一緒に弓道場に行こうよ! そしたらもう、寂しい思いなんてしなくて済むと思うよっ!?」

「真央……でも、ご迷惑にならないでしょうか……? 道場に入れるのでしょうか……?」

「大丈夫だよ! 『見学させてください』って頼んだら、きっと入れてもらえるよ!」

「いや、流石に毎日見学は無理だと思うけど──」

「お兄ちゃんは黙ってて! ねえ英理香ちゃん、一緒に行こっ!? 私、あなたが寂しそうにしてる顔、見たくない!」


 真央は英理香の両手を取り、見つめる。

 英理香はそれに気圧されつつも、にこやかに笑った。


「そうですね。真央、ありがとうございます」

「ううん、いいの。英理香ちゃんとは本当に仲良くしたかったから……」

「だが真央、君は弓が怖いんじゃなかったのか?」

「え……あっ……」


 真央はうつむき加減になり、シュンとしていた。

 俺はそんな彼女の背中を擦り、慰める。


「すまない。怖がらせてしまったな」

「ううん、お兄ちゃんは悪くないよ……」

「弓道はそんなに危険な競技じゃないけど、もし何かあったら俺が絶対に守るから」

「お兄ちゃん……そう、だよね……ありがとうっ! えへへ……」


 真央は泣きそうになりながらも、俺に笑顔を見せてくれた。


 一方の英理香は俺ににじり寄り、頭を俺の方に向けてくる。

 エリカの花のような甘い香りがして、思わずドキドキしてしまう。


「弓弦〜、私も弓が怖いです〜。頭を撫でて慰めてくださ〜い」

「おい、前世勇者」

「お兄ちゃんに頭を撫でてもらうなんて、100年早いんだからっ!」

「うふふ……な〜んちゃって」


 英理香は綺麗な舌をペロッと出した。

 その表情は蠱惑的で、心臓にとても悪い。


 一方の真央は、英理香をものすごい剣幕で睨んでいた。

 英理香はそんな真央の後ろに回り込み、小さな両肩に手を添える。


「まあともかく、明日は真央と一緒に弓道場へ行きます。弓弦の指導っぷりをチェックしておくのも、前世で恋人だった私の務めです」

「そうだね──それに、由佳ちゃんと茉莉也ちゃんも監視しとかないと……」

「ん? 真央、もう一度言ってくれ」

「なんでもないよ……えへへ」


 真央は無邪気な笑みを向けてくる。

 その笑顔を見ているとなんだか癒やされ、彼女が何を言っていたのかがどうでも良くなってきた。


「──あ、もうこんな時間! 長居してしまって申し訳ありません!」


 英理香は腕時計を見た直後、慌てた様子で頭を下げた。

 現在時刻は20時半、女子高生が一人で出歩いていい時間とは言えない。


「いや、俺たちは迷惑には思ってない──俺が駅前まで送っていくよ」

「はい……ありがとうございます」

「わ、私も一緒に行くっ!」

「真央は留守番していてくれ。夜道は危ないから」


 兄である俺が言うのも何だが、真央はとても可愛い。

 小さくて可愛い。

 ロリコンにナンパされる可能性はゼロではないし、不意打ちされれば間違いなく無抵抗に襲われることだろう。


「ええ〜? 真の力に目覚めてないお兄ちゃんよりも、私のほうが強いから大丈夫だよ〜。痴漢されたら火属性魔術で消し炭にすればいいんだし。っていうか英理香ちゃん、前世は勇者なんだから一人で帰れるよね?」

「真の力……魔術……真央、あなた一体何者ですか!?」

「うえっ!? あ……え、えっと……漫画の台詞なのっ!」


 英理香に揺さぶられた真央は、慌てた様子で言う。

 まったく……高校一年の女子が、現役の中二ってどういうことだよ……


「ああ、弓弦がいつか言っていた『中二病』ですね。微笑ましいです……ふふ」

「そうそう、中二病なの……中二病っていえば、お兄ちゃんも中学時代はそうだったよね」

「──さあ英理香、駅に送っていくよ! 真央、お兄ちゃんは駅に行ってくるから、いい子にしてるんだよっ!」


 俺は英理香の手を取り、足早に部屋を出る。

 少々強引だが、これ以上真央と話をすることはない。

 誰にだって、暴かれたくない黒歴史は存在するのだ。


 真央は「いってらっしゃ~い」と手を振ってくれていた。



◇ ◇ ◇



「弓弦、こんなことを言うのもなんですが、あなたは優しすぎます……」


 夜道を歩いている途中、英理香が唐突に話しかけてきた。

 彼女は少し、悲しげな表情をしている。


「こうして君を駅まで送ってあげていることか? それなら気にしなくていい。君は大切なお客さんで、そして大切な友達なんだ」

「あ……それもありますが、由佳の件です。彼女はスランプだから弓騎士であるあなたを頼ったのでしょうが、本来であれば自分の力で解決するべきです。それに指導を乞うのであれば、あなたのような部外者を頼るのは筋違いです」


 そう、確かに英理香の言うとおりだ。

 それに加えて由佳は「俺を2週間近く、夜遅くまで拘束しようとしている」ということになる。


 だが由佳の指導を引き受けたのは、他でもない俺の選択だ。

 デメリットを勘案した上で、それを許容したのだ。


「気を遣ってくれているんだな。ありがとう。でも困っている幼馴染を、由佳を助けたいと思ったから、俺は指導を引き受けたんだ」

「そう、ですか……もし私が困っていたら、弓弦は助けてくださいますか……? 私が頼めば、何でも引き受けてくれますか……?」

「当たり前だ。そりゃ犯罪とかは無理だけど、英理香はそういうことは頼まないと信じてる」

「はい……」

「なにか困っていることはないか?」

「いえ、ありません。ありがとうございます」


 英理香は俺に笑顔を向ける。

 月明かりと街灯に照らされ、普段よりも少しだけ神々しく思えた。


 俺たちは世間話をしながら道を歩く。

 するとついに、最寄り駅に到着した。


 駅前には多くの人々がおり、各々が帰路についていたり仲間内で騒いだりしていた。


「弓弦、ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」

「そうか……気をつけて帰ってくれ。また明日」

「はい、さようなら」


 英理香は一礼し、駅へ向かった。

 彼女が改札を通過したのを見届けた後、俺は家に戻ることにした。

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