第34話 前世の記憶、そして魔王
18時前、まだ日が沈むには早い頃。
電車は自宅の最寄駅に到着し、俺と
「
「どういたしまして」
「またいつでも、弓道場に来なさいよ? あんたは喉から手が出るほど欲しい人材なんだから──そ、それに……また一緒に弓道がしたいし」
由佳はスカートを掴んだり離したりしながら、小声で言う。
「一緒に弓道がしたい」と言われて嬉しいが、武道と武術の方向性が合わない以上は難しそうだ。
俺は「ああ」とだけ返事をしておく。
由佳は少しだけ微笑んでくれた。
「じゃあな、また学校で」
「ええ、さようなら」
由佳が家の玄関に入ったことを確認した俺は、隣にある自宅の扉を開ける。
それと同時に、大きな足音が聞こえてきた。
「おかえり、お兄ちゃん!」
「ただいま」
駆け寄ってきた
薔薇のような甘い香りがして、なんだかドキドキする。
「由佳ちゃん、三段取れてよかったね!」
「そうだな。教えた甲斐があったというものだ」
真央は由佳の昇段を、自分のことのように喜んでいる。
俺は真央の笑顔を見て、とても癒やされた。
◇ ◇ ◇
このあと俺は食事や入浴を終え、布団を敷いた。
現在時刻は23時前。
明日は月曜日なので若干憂鬱だが、そうも言っていられない。
「それにしても、弓道か」
由佳の射は確かに綺麗だった。
だが俺は綺麗な弓道よりも、血なまぐさい弓術を求めている。
「──寝るか」
俺は布団を被り、目を閉じた。
◇ ◇ ◇
空は厚い雲に覆われ、一筋の光が差し込んでいる。
エンジェルラダーがとても綺麗だが、それとは裏腹に周囲の地形は荒廃しきっている。
草木は枯れ果て、動物などは全くと言っていいほど見当たらない。
「なんだあれ?」
前方約100メートル付近では、土埃が激しく舞っている。
よく目を凝らして見てみると、四人の少女たちが戦っているのが見えた。
なぜ遠くにいる人物の顔がはっきり分かるのかは不明だが、見えてしまったものはしょうがない。
四人の内の一人は英理香によく似た人物──確か勇者エリーズだ。
彼女は二人の仲間とともに、禍々しい格好の女性と戦っているようだ。
「助けに行かないと……!」
英理香によく似たエリーズのことを放っておけず、俺は駆け出そうとする。
その時、俺の左手には弓が握られていることに気がついた。
人殺しのために弓を使うのは初めてだが、弓道部時代に培ってきた技術をここで使う。
弓道では28メートル先の的を狙うことがほとんどだが、一発で100メートル先の敵を射殺してみせる。
俺は体幹を固定し、矢をつがえてロングボウを引き絞る。
そしてエリーズの敵と思われる、禍々しい格好の女性の頭蓋に狙いを定め──
「うそ……だろ……!?」
その時、俺の心臓は激しく脈動した。
なぜなら俺が射殺そうとした女性の顔が、どことなく真央と似ていたからだ。
高身長でスレンダーな体型、まっすぐ下ろされたロングヘア、そして大人びた表情は、真央のそれとは全然違う。
真央は低身長・貧乳で、髪型は長めのツーサイドアップであり、そして童顔である。
しかしながら、目・鼻・口などのパーツが真央のそれとそっくりだ。
「
「──ちっ!」
俺は思わず、弦から手を離してしまった。
狙いがきちんと定まっていなかったため、矢は真央に似た人物の頭ではなく、足元に突き刺さる。
真央っぽい女性が、俺の方をまっすぐ見据える。
見れば見るほど、真央にそっくりだ。
彼女の姿が一瞬にしてかき消えたかと思うと、いきなり俺の前に現れた。
瞬間移動だなんて、まるでファンタジー世界の魔法みたいだ。
「君……真央、なのか……?」
「そう、私は魔王よ。というより、あなた達勇者パーティのメンバーは、もう私のことを知っているものかと思っていたのだけれど」
魔王? 俺の聞き間違いだろうか。
それにしても魔王とかいう女の声は、真央が極稀に発する低めの声と全く一緒だった。
──というより、マズイ!
絶対に殺される!
弓は一回一回矢つがえしなければならないので、攻撃速度が劣る。
ならばと手回り品をチェックしてみるが、武器は護身用と思われるダガーくらいしかなかった。
これでは「魔王」と名乗った女性を倒せない!
「でも、魔王の仕事も今日でおしまい。だって今まで世界平和のために戦ってきたのに、殺されるのは嫌だもの」
「──え?」
「私、これから異世界に転生するの。確か『チキュウ』と言ったかしらね」
地球──それはこの俺・江戸川弓弦が住む星だ。
──あれ? じゃあこの世界はなんなんだ?
これはおそらく夢なのだろうが、異世界の夢をわざわざ見るだろうか。
「殺されそうになるのを見越して、色々と研究してたのよ──追えるものなら追ってみなさい」
「ちょっと待ってくれ、一体どういう意味──」
「《異界の門を開き、我に新たな生命を与えよ》」
「くっ!」
魔王が詠唱するやいなや、強い光が俺に襲いかかってきた。
俺は思わず目を塞いでしまう。
しばらくして目を開けると、彼女の姿は忽然と消えていた。
そこに残っているのは、薔薇のような甘い香りだけだった。
──そういえば真央も、こんな感じのいい匂いだったな。
◇ ◇ ◇
「──はっ……」
俺は目が覚める。
時刻は5時頃、いつもの起床時間よりも随分早い。
「思い、出した……」
そう……俺の真名はエドガー。
勇者エリーズたちとともに、魔王討伐の旅をしていた弓騎士だ。
その魔王だが、実は俺たちに倒される前に異世界に転生してしまった。
俺たちは魔王を追うべく、仲間の魔術師に転生魔術を研究してもらっていた。
前世の俺・エドガーとエリーズは、転生魔術のプロトタイプを行使してもらい、江戸川弓弦と
「マジか……」
大好きな妹である真央が、前世での仇敵だったとは思わなかった。
世界中の人々を震撼させた魔王であるなどとは、思いもしなかった。
だがこの俺・江戸川弓弦にとっては、前世のことなど関係ない。
真央が前世では悪名高い魔王であったとしても、それで家族の絆が揺らいだりはしない。
ましてや、真央を殺すことなどありえない。
たとえすべてを敵に回したとしても、家族は俺が守る。
「──お兄ちゃんっ!」
突如、真央がドアを蹴破って俺の部屋に入ってきた。
そして俺から布団をはがし、力強く抱きしめてきた。
やっぱり真央の匂いと魔力は、あの魔王と全く同一だった。
──あれ……じゃあなんで英理香は、真央の正体が魔王だって分からなかったんだろう?
「あああああああっ……! 完全に力を取り戻してる……!」
真央は絶望したような声を上げている。
俺も彼女の正体を知って、正直落ち込んでいる。
だがそれでも、聞かなければならないことがある。
「真央、君は前世では魔王だったのか?」
「もう、隠してもしょうがないよね……──うん、私は魔王……だけど、もう誰も傷つけたりしないから! 奪わないから! お願いお兄ちゃん、私を殺さないで!」
もちろん俺には、真央を殺すつもりなどない。
だから俺は真央を力強く抱き返し、頭を優しく撫でて落ち着かせる。
真央の髪は寝起きではあるもののとてもサラサラで、撫でているこっちが気持ちよく感じるほどだ。
「よしよし、大丈夫。俺の名前は江戸川弓弦、江戸川真央の事が大好きなお兄ちゃんだ」
「本当に……? 勇者パーティの弓騎士エドガーじゃないの……?」
「確かに、前世はエドガーだった。たった今思い出した──けど、絶対に君は殺さない。殺させない。だって俺は、真央のお兄ちゃんだからだ」
「おにい、ちゃんっ……! うわあああああああんっ……!」
真央は俺の腕に抱かれ、胸元で泣きはらす。
彼女の体温や甘い香りはとても心地よく、服の湿り気すらも愛おしかった。
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