第33話 由佳の美しき射技

 昼食を食べ終わったあと、俺と由佳ゆかは体育館に戻った。

 昼から行われる弓道昇段審査・実技試験の順番が来るのを、ずっと待っていた。


 そしてついに、時は来た。


「そろそろ私の順番ね……」


 由佳は緊張した面持ちで立ち上がる。

 弓のつる張りをしたり、矢を確認したりと、テキパキと準備を行っている。


 ちなみに筆記試験や昼食時は制服を着用していた由佳だが、今はもうすでに弓道着に着替えている。

 髪も後ろに束ねてポニーテールにしており、まさしく弓道美少女といった佇まいだ。


「実技試験、がんばれよ」

「ええ、絶対に三段取ってやるんだから……!」


 俺と由佳は、体育館に併設された弓道場へ向かう。

 そして俺は弓道場前で由佳と別れ、観戦スペースに足を運んだ。


 弓道場は主に、射手が弓を構える「射場いば」と、的が設置されている「的場まとば」という二つの建物で構成されている。

 その射場と的場の距離は28メートルで、中庭のようなスペースがあるのだが、これを「矢道やみち」と呼ぶ。


 その矢道と並行する形で、観戦スペースが用意されている。

 防護ネットが張られており、事故のリスクはかなり軽減されている。


 俺を始めとする保護者や付添人たち、それに出番でない受験者たちは、ネット越しに射場の中の様子を見ていた。


 ──おっ、ついに由佳が出てきた。


 由佳を含む8人の受験者が、順番に入場する。

 それぞれが入場する際に審査員席に向かって一礼し、ゆっくりと所定の位置に向かって歩く。


 8つの的の前に8人の射手が、1はりの弓と2本の矢を持ってずらっと並ぶ。

 まさしく圧巻である。


 ちなみに由佳は、8人いるうちの3番目だった。


 まずは先頭にいる若い男が矢を射るが、的中には至らなかった。

 2番手の若い女に至っては矢が地面に突き刺さり、的場に届きすらしなかった。


 恐らく彼らはガチガチに緊張しているのだろう。

 だが弓道の実技試験は2射──すなわち、もう1回だけチャンスが残されている。


 ついに、由佳の順番が回ってきた。

 彼女は一つ一つの動作をきちんとこなしながら、落ち着いて体幹を整える。


 弓をまっすぐ上に持ち上げ、引き絞る。

 一切の力みがなく、とても美しく感じられる。


 ──乾いた音とともに、矢が放たれる。

 矢はブレることなくまっすぐ飛び、的の中心付近に命中した。


「お──」


 俺は一瞬、喜びの声を上げそうになったが、グッと堪える。

 審査中は基本的に、静かにしなければならない。


 一方の観客・審査員たちも、由佳の行射に驚きの表情を隠せていなかった。


 ──由佳、成長したな。


 彼女はスランプに陥ったので俺を頼ったのだが、もうそんな片鱗は残っていない。

 完全にスランプから脱却したようで、俺はとても嬉しい。


 由佳の次に、4番目の受験者は矢を射る。

 5番目、6番目……と、順番通り射が行われる。

 彼らは本来の力を出し切れていないのか、大半の人々は芳しくない結果だった。


 そして再び、由佳の出番が来る。

 彼女はまたしても普段どおりの実力を発揮し、的の中心点に命中させた。


 矢を放ったときの姿勢を5秒くらい維持し、残心を取っている。

 その様はとても綺麗で美しく、由佳の射技や精神の繊細さが見て取れた。




 ────そう……あまりにも綺麗で美しくて、繊細すぎる。




 由佳に限らず、弓道家の弓からは血の臭いが一切しない。

 むせ返るような戦場を経験しているものなど、誰一人としていない。


 ……って、俺はなに中二病患者みたいなことを考えているんだろう。

 いっそのこと英理香えりかの言う通り、前世が弓騎士だったら気が楽になるのに。


 まあでも……三段取得は確実だな、由佳。

 由佳の射を最後まで見届けた俺は、観戦スペースをあとにした。



◇ ◇ ◇



「やった……三段受かったわ!」


 16時頃、体育館にて。


 ついに昇段審査の結果発表が行われた。

 掲示板に張り出された紙を、俺と由佳はチェックしていたのだ。 


 由佳はまるで、高校に受かったときのようにはしゃいでいる。

 無理もない、2週間前にスランプに陥ってマイナス思考を繰り返していたのだから。


「おめでとう、由佳」

「あの、その……合格できたのは弓弦ゆづる、あんたが2週間も私に付き合ってくれたからよ……本当に、ありがとう……」

「ああ。君が嬉しそうにしているのを見ると、指導が報われたような気がして俺も嬉しいよ」


 由佳は制服のスカートを掴んだり離したりして、もじもじしていた。


「さあ、帰ろう」

「ええ!」


 俺と由佳は、体育館を去る。

 最寄り駅までしばらく歩き、電車に乗った。


 由佳は弓を右手で保持したまま、スマホを操作する。

 するとその直後に俺のスマホが何度か振動したので、俺はスマホをチェックした。



────────────────────



 矢口やぐち由佳ゆか

 昇段審査受かった!

 二段から三段に昇格したわ!

 みんな、応援ありがとうね!


 悠木ゆうき英理香えりか

 おめでとうございます!

 あなたならできると信じていました!


 江戸川えどがわ真央まお

 おめでとう!

 これからもがんばってね!


 相羽あいば茉莉也まりや

 おめでとうございますっ!

 さすがは次期女子主将です!


 矢口由佳:

 みんな、本当にありがとう!


 相羽茉莉也:

 ところで弓弦先輩、矢口先輩の射はどうでしたか?

 きれいでしたか?


 江戸川真央:

 あ、それめちゃくちゃ気になるなあ……

 お兄ちゃん、由佳ちゃんにれちゃった……?


 悠木英理香:

 ハートを、射抜かれてしまったのでしょうか……?


 江戸川真央:

 英理香ちゃん、うまいね!

 でお兄ちゃん、どうなのどうなの!?



────────────────────



 ──やれやれ、どうやらグループチャット「由佳を応援する会」のメンバーは、ちょいちょい俺をいじらなければ気がすまないらしい。


 由佳は何かを期待するような目で、俺を見ていた。

 恐らく俺の返信を期待しているのだろう。



────────────────────



 江戸川弓弦:

 由佳の射はとても綺麗だった。

 基本をちゃんと押さえているし、矢を射る前も後も完璧だった。


 江戸川真央:

 由佳ちゃんに惚れちゃった?


 江戸川弓弦:

 正直、由佳の射技には見惚みとれたよ。

 俺よりも弓道がうまいって思ったくらいだ。



────────────────────



「──惚れた……弓弦が惚れた……惚れたって言ってくれた……」


 由佳は顔を真っ赤にしながら、小声で呟いている。

 何を言っているかは、よく分からなかった。


 俺は気を取り直し、スマホをチェックする。



────────────────────



 悠木英理香:

 弓弦、由佳のほうが弓道が上手だというのは本当ですか!?

 あなたは前世でも現世でも、百発百中の男だったではありませんか!


 江戸川弓弦:

 いや、そういう的中率の話じゃない。

 由佳は弓道の精神性に合致していて、「美しき大和撫子の心」みたいなのを感じるんだ。

 一方の俺は、そういう精神論的なのはあまり好きじゃなくって、的中だけを追い求めていたって感じだ。


 悠木英理香:

 なるほど。

 弓弦の弓は実戦を重んじる「弓術」、由佳の弓は心を重んじる「弓道」ということですね?


 江戸川弓弦:

 そういうことだ。

 あの説明でよく分かったな。


 悠木英理香:

 はい……私も前世では勇者として、剣を用いて戦っていましたから。

 現世において剣道をやったことがあるのですが、全然肌に合いませんでした。

 ちなみに当時は、自分の前世を知りませんでした。



────────────────────



 英理香も同じことを思っていたのか。

 もし英理香が本当に勇者だったなら、俺と似たような悩みを持つのも当然だ。

 単なる中二病っていう可能性は否定できないけど。


 殺人のための武術と、精神修養のための武道──


 その二つは相反する。

 決して両立しないと、俺は思っている。


 って、ちょっと暗くなっちゃったな。

 由佳が三段に昇格しておめでたい日なのに。


「由佳、ごめんな。君の前で弓道を貶してしまった」

「惚れた……弓弦が私に惚れた……──え、なに?」

「弓道の精神論は好きじゃないって、メッセージで送っただろう? 本当にごめん」

「ああ……それは別にいいわよ。弓道教本では『的への執着を捨てろ』みたいに書いてあったけど、私だって捨てられないもの。精神論はあくまで理想論でしかないの」


 そうか、由佳も同じだったのか。

 いや、由佳だけではなくみんなが通る道なのかもしれない。


「人は簡単に執着心を捨てられない。だからせめて理想に追いつこう、気高くあろう、っていう心意気が大切だと私は思うわ。上級者がどう思ってるかは知らないけどね」

「その……ありがとう。君から学ぶことは、たくさんあったんだな……」

「なにそれ、嫌味? 自分が百発百中だからって、私から教わることなんてなにもないって思ってたの?」

「すまない、ちょっとだけ思ってた──俺は知った気になっていたんだ、弓道の真髄を──」


 俺はアニメに出てくるニヒルなキャラを意識し、低い声を作って答える。

 すると「カッコつけてもダメなんだからね」と、由佳に軽くデコピンされた。


 そしてその直後、由佳は俺の耳元に顔を近づける。


「──じゃあ、今から弓道を好きになっちゃう?」


 耳元に熱い吐息がかかり、身体全体が甘く疼く。

 矢車菊のような甘い香りが、強く漂ってくる。

 由佳が言った「好きになっちゃう?」という言葉の意味を、「私のこと、好きになっちゃう?」と履き違えそうになる。


 そんな俺をよそに、由佳は俺から離れる。

 そしてなぜか顔を真っ赤にしながら、そっぽを向いた。


「──やっぱり、慣れないことはするものじゃないわね……気持ち悪くて仕方ないわ」

「な、慣れないこと?」

「今の囁きよ……真央とか英理香なら、こういうのやりそうじゃない……?」

「確かに……二人ともめちゃくちゃグイグイ来るし、ドキドキさせられる」

「今のは気の迷いなんだから、本気にしちゃダメなんだからね」


 由佳はただの幼馴染で、姉のような存在。

 そう思っていたのだが、彼女が女の子だということを、俺は今思い知った。

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